怖すぎて大人になっても見たくない、本当に怖い「まんが日本昔ばなし」3つのお話
あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか?
1970~90年代の「懐かしい」を集めたのが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。
さて、今回振り返るテーマは、アニメ『まんが日本昔ばなし』(TBS系)でやっていた怖い話。1975年から放送されていた同番組では、時折、幼児向けとは思えないほどヘビーな話がオンエアされ、そのたびに、テレビの前の子どもたちにトラウマを植え付けていたものです。今回はその中でも、有名人が「怖すぎてもう観たくない」と言っていたり、有名漫画家が監督を務めていたりと、選りすぐりの作品を3つピックアップして紹介していきます!
三本枝のかみそり狐
数ある日本昔話の中で「最恐」と名高いのが、この『三本枝のかみそり狐』です。その恐ろしさは、日本昔ばなしフリークとして有名で、ほぼすべての話をVHS&DVDで保有しているという伊集院光でさえ、「怖すぎて唯一観ない」「大嫌いな作品」とのたまうほど。
どんな話なのか、簡単に説明しましょう。
昔、ある村はずれの「三本枝」という竹やぶに人を化かすキツネが棲んでいました。村人たちがキツネを恐れる中、村の若者「彦べえ」だけは怯えることなく、「キツネをふん捕まえてやる」と一人竹やぶへ。
暗い竹やぶの中で見張っていると、赤ん坊を背負った娘を発見。あれはキツネに違いない……そう思いあとを追うと、娘は老婆の棲むあばら家へ入って行きました。続けざまに家の扉を開け、「婆さん、娘はキツネで赤ん坊は赤カブだ!」と告発する彦べえ。その証拠を見せてやるといい、なんと赤ん坊をいろりの火に投げ込んでしまいます。しかし、赤ん坊は赤カブに変わることなく、そのまま焼死。これに怒り狂った老婆が包丁を持って、彦べえに襲いかかります。逃げ惑う彦べえ! 命からがら寺へ駆け込み、僧侶にかくまってくれるよう懇願します。すると僧侶は「罪を償うには、仏門に入るしかない」と言われ、彦べえはやむなく出家を決意し、髪の毛を強引に剃られるのでした……。
この話、老婆も娘も赤ん坊も僧侶も、全員キツネだったというのがオチ。ハイライトシーンは、穏やかだった老婆の顔が、孫(赤ん坊)の死をきっかけにぐるんと180度回転し、ピカソの抽象画みたいな悪鬼に豹変するところ。伊集院が「土曜の朝から、これをやる理由は何なの?」と言うほど、恐すぎる内容となっているので、気になる人は見てみると良いでしょう。
吉作落とし(きっさくおとし)
この『吉作落とし』も、有名な“トラウマ回”の一つ。googleで検索にかけると、「吉作落とし 助かる方法」と予測変換が出るなど、いまだに議論の対象となっているようです。
そんな『吉作落とし』のあらすじはこんな感じ……。
昔、ある山に、岩茸を採って暮らしている「吉作」という若者がいました。断崖絶壁の壁面に生えている岩茸を取るのは、綱一本につかまりながら採るという実に困難な作業。ある日、人里離れた山奥で岩茸取りをしている最中、崖の中腹にあった岩棚に座って休もうとしたところ、うかつにも綱を離してしまった吉作。吉作の体重を支えて伸びきっていた綱は、彼が手を離した途端に、もうつかまることのできない高さに縮んでしまったのでした。おーい! 助けてくれー! 誰かー!……必死になって叫んでも、誰も来てくれません。そして、飢えと寒さ、孤独で意識がもうろうとする中、最後は地上に向けてダイブして果てていくのでした……。なんとも救いのない話です。
このエピソードに対して、ネットでは「雨が降るのを待てば、濡れて綱が下がってくるのではないだろうか?」「フンドシを外して細く裂いて縄を編むのは?」などと、吉作を助けるための知恵が振り絞られ続けています。
飯降山(いぶりやま)
最後に紹介するのは、『ぼのぼの』(竹書房)、『忍ペンまん丸』(スクウェア・エニックス)で知られる漫画家・いがらしみきおが演出&文芸を担当した作品。いがらしといえば、シュールかつ不条理で闇の深さを感じさせる作風でお馴染みですが、この『飯降山』も、彼のダークサイドを存分に感じさせる怪作となっています。
これは、山で修行中の尼さん3人の話。一番年下の尼さんは、か弱い乙女系。二番目の尼さんはおっとりとしたマイペース女子。そして、最年長の尼さんは、仏のような柔和な表情でいかにも温厚そうな人だった……というのが、山でその3人を見守り続けた猟師の視点から語られます。
3人は励まし合い、助け合いながら、修練に励んでいたのですが、ある時、空から切り株の上におにぎりが3つ降ってきました。以降、毎日、切り株の上におにぎりが3つ降るようになります。しかし、これに味を占めた最年長の尼さんは、二番目の尼さんをそそのかして、なんと一番年下の尼さんを殺害してしまうのです。これでおにぎりを一人分多く食べられる……そう思って、いつもの切り株へ行ってみると、おにぎりは2個に減少。さらに、おにぎりを独り占めしたい最年長の尼さんが2番目の尼さんを殺すと、今度はおにぎりがゼロに……。
やがて冬がやってきて、季節は春になります。冬の間は山に入っていなかった猟師(尼さんたちが殺し合いをしていたことを知らない)が、ある日、庭に出てみると、林の中から最年長の尼さんが出現。御仏のように柔和だった顔は、みすぼらしいヤマンバのように荒みきって、気がふれたようにこちらへ笑いかけるのでした……。
この話、すごいのは、何の解決もなく終了しているところ。まず、どんな理由でおにぎりが降ってきたのかも不明なままですし、それに、2人も殺している最年長の尼さんに正義の鉄槌が下るという、教養物語にありがちなカタルシスも起きません。
そもそも、話の中で語られる「おにぎり」を、語り手である猟師さんが直接確認した描写はありません。にもかかわらず、どこで猟師さんは「おにぎり」の存在を知ったのでしょうか? もしも、山から下りておかしくなった最年長の尼さんがした話を真に受けて、そのまま語っているのだとしたら、「おにぎり」の存在自体狂言であり、もしかすると、「おにぎり」は殺した尼さんの比喩? つまり、カニバリズムなのでは……? などと、深読みさえできる、児童向け作品とはほど遠いカルトな内容になっています。
いかがでしたか? この連載では、次回以降もみなさまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供して参ります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、ぜひお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)