仕事が思うように運ばない、人間関係が上手くいかない。誰かと自分を比べてしまって息が詰まる。職場にはそんな「苦しいこと」がたくさんある。そんな気持ちや状況から抜け出すヒントを与えてくれる古典が『猫の妙術』という一冊。
『猫の妙術』は、有名な宮本武蔵の『五輪書』と双璧をなす剣術書の古典で、『五輪書』を剣術の「技術の極意」とするなら、『猫の妙術』は剣術における「メンタルの極意」を記している。
その古典をわかりやすく解説した一冊が 『新釈 猫の妙術: 武道哲学が教える「人生の達人」への道』(佚斎樗山著、高橋有訳、草思社刊)だ。
『猫の妙術』は談義本と呼ばれる物語仕立てになっており、現代で言えば「ストーリーでわかる◯◯」のような本。『新釈 猫の妙術』では、原典にはない「解説」もあり、その教えをわかりやすく伝えている。その中から、現代の職場や人間関係の悩みを解消する「極意」を紹介してみよう。
■「テクニック」だけを身につけても意味はない
物語は、ある侍の家に凶暴な大ネズミが現れるところから始まる。
侍は3匹のネズミ捕りの名人(名猫?)たちに大ネズミの退治を頼むが、名猫たちは次々に敗れてしまう。そして、最後に現れる古猫がすんなりとネズミを退治する、というストーリーだ。
その後、3匹の名猫たちは古猫にその極意を尋ね、古猫はそれぞれの猫の未熟な点を指摘していく。
たとえば「技」に絶対の自信を持っていた黒猫には、「技と道理は一体」「見せかけの技を磨いても意味はない」と指摘をする。
本書の解説では、この古典の教えをビジネスシーンにおけるコミュニケーションの「技(テクニック)」に照らし合わせており、「テクニックを身につけたはずなのに仕事で成果が出ない!」という悩みを解消するヒントを与えてくれる。
たとえば、コミュニケーション術には「相手の目を見る」という、技(テクニック)があるが、大事なのは「相手を尊重する」という根本的な姿勢だ。
その根本的な姿勢や考え方(=道理)を見出していなければ、相手に「こいつ、うわべだけでコミュニケーションをしているな」と見透かされてしまうだろう。
表面的なテクニックの奥には、必ず本質となる「道理」がある。それを掴んでいなければ「見せかけの技」となる。物事が上手く運ばない人は「技」に溺れていないかを見直してみたほうがいいだろう。
■「勝ち負け」にこだわらないためのキーワード
仕事で成果を出したい、テストで良い点が取りたい、彼氏彼女が欲しい。こうした思いは、勝負に置き換えれば「勝ちたい」というこだわりがある状態。その欲が強いとプライドが邪魔をしてかえってうまくいかなかったり、頑張りすぎて人間関係がおかしくなったりする。
しかし、勝ち負けや出来不出来にこだわってはいけないというのは、頭ではわかっても「そういう自分になる」のが難しい。主人公の侍もこの点に悩むが、メンター役である古猫は次のような言葉を伝える。
「すべて心の形は妄想じゃ。上も下もなく、良いも悪いもなく、重いも軽いもなく、自分も相手もない。本来一つに融け合って道理に従い移りゆく現実を、勝手な形でとらえておるに過ぎんのだ」 (P90)
「人間は皆、これは辛い、これは楽しい、これが手に入った、これを失ったなどと、現実に勝手な線を引いて苦しんでいる。だが、そうした苦しみの世界を作っているのは、自分の心であることに気がつかなくてはいかん」 (P92)
つまり、そもそも物事の価値観を分けて考えるから「こだわり」が生まれ、ひいては生きていても苦しくなるということだ。この「価値観を分ける」ということを、古猫は面白い方法で侍に説明していく。
「おぬしは、自分の立っている場所をどう称すかの?」
「ここを、でござるか?」
「まさにそれじゃな」
一瞬、何を言われているのかと思ったが、つまり「ここ」ということらしい。(P87-88)
そして、今度は侍を自分のところまで呼び寄せる。
「さて、もう一度尋ねよう。おぬしの立っている場所は?」
「それは無論、『ここ』に立っておる」
「では、先ほどまで立っていた場所は?」
「無論、『そこ』だが」
「さっきは、『ここ』と言っておったではないか」(P88)
このやりとりから侍は、「ここ」と「そこ」、つまり、物事の見方や価値観を分けているのが自分自身の心だということを悟りはじめる。
自分がこだわっていることは、あくまで特定の立場から見た場合の現実でしかない。そのとらえ方の枠組みを広くすれば、苦しむことはなくなる、というのが古猫の言葉の真意だ。
たとえば、「同期に仕事で負けたくない!」という心も、「部署の売上に貢献して切磋琢磨している仲間」ととらえられれば、無用な競争心で苦しむこともなくなるだろう。
本書は、剣術や武道の世界で読み継がれてきた名著だが、その奥深く確かな教えのエッセンスは、現代の仕事やプライベートの人間関係に悩む人の一助にもなるはずだ。
(新刊JP編集部 )
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。