世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」、世界初のカップめん「カップヌードル」。これらを発明したのが日清食品創業者の安藤百福氏。
現在放送中のNHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・今井福子の夫である立花萬平のモデルでもある。
その安藤氏の自叙伝が『魔法のラーメン発明物語』(安藤百福著、日本経済新聞出版社刊)だ。本書では、大ヒットなどの裏にある事業に賭ける執念、食への思いを綴り、麺の故郷を中国に探るエッセイも収録している。
1958年、理事長をしていた信用組合が倒産。すべての財産を失い、唯一残ったのが大阪府池田市の自宅のみ。その自宅の裏庭の小屋を研究室として発明したのが「チキンラーメン」だ。第20週の朝ドラでは、ちょうど「まんぷくラーメン(チキンラーメン)」が完成した場面が放送された。
そして、1971年に発売されたのが「カップヌードル」。カップヌードル発明のきっかけは、海外視察で知った「欧米人は箸とどんぶりで食事をする習慣がない」ことだったという。即席めんを世界商品にするために、めんをカップに入れてフォークで食べられるようにしようという思いから安藤氏はカップヌードルの開発に取りかかる。
そして、試行錯誤の末に完成したカップヌードル。ところが問屋からは「袋めんが25円で安売りされている時代に100円は高い」「日本には昔から家族で食卓を囲み、いただきます、ごちそうさまという行儀のいい習慣があるのに、立ったまま食べるとは良風美俗に反する」と言われ、注文もこなかった。
苦戦する安藤氏。そんな中で一気にカップヌードルが広がる事件が起こる。
それが1972年2月の連合赤軍による「浅間山荘事件」だ。雪の中で山荘を包囲する機動隊員が湯気の上がるカップヌードルを食べているのが、テレビの現場中継で繰り返し画面に大写しされたのだ。
当時カップヌードルが納入されていたのは警視庁の機動隊だけだったが、他の県警や報道陣から、すぐ送ってくれという電話が本社に入り、さらにそれが新聞で大きく報道された。NHKで中継された浅間山荘事件は連続10時間20分にわたり、犯人逮捕時の視聴率は66.5%。こうしてカップヌードは国民食への道をたどることになる。
チキンラーメンの開発をしていたとき、安藤氏は48歳。「人生に遅すぎることはない。50歳でも60歳からでも新しい出発はできる」と本書の中で述べている。チキンラーメンとカップヌードルが有名だが、安藤氏は他にも多くの事業に挑戦してきた。
年齢など関係なく、挑戦し続けた安藤氏の生き方から学ぶことは多いはずだ。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。