春はお花見、土用の丑の日はうなぎを食べて、十五夜には月見をして…というように、日本古来の風習は季節を感じさせてくれたり、ちょっとした楽しみや刺激を毎日の暮らしに与えてくれるもの。
ただ、こうした伝統的なしきたりや習慣も昔からそのまま残っているわけではなく、常に変遷し、形を変え、形式だけが浸透しているものや忘れられてしまうものも中にはある。
「絵馬に願い事」はいつ始まったのか
『日本の絶滅危惧知識: 百年先まで保護していきたい』(吉川さやか著、新谷尚紀監修、KKベストセラーズ刊)では、そのうち忘れ去られてしまいそうな風習を集め、その本質や変遷の歴史などをトリビア的なネタを絡めて解説する。
たとえば「受験に合格しますように」など、人々の願いや煩悩をのせて境内に掲げられる絵馬。表には馬の絵が描かれているのが一般的だが、干支の動物やその神社や寺に関係する祭神などが描かれることもある。
そもそも、なぜ願いを書く板のことを絵馬というのか。それは、古くは絵馬ではなく本物の馬を奉納していたことに由来する。馬は昔から神様の乗り物として神聖視される縁起のいい動物。稲作を中心とした昔の日本人にとって、天候の良し悪しは死活問題。そこで人々は、雨乞いや日照を望むときなどに、生きた馬そのものを捧げて祈っていた。特に白い馬は希少で、特別な祈願のときに用いられていた。とはいえ、大切な馬を捧げるのは相当な痛手だった。そのうちに負担を軽減するため、土や木などで作った馬の代替品を収めるようになり、さらに板に馬を描いた今日の絵馬の形へと変わっていったという。
次は絵馬以上に馴染みがある「お花見」だ。お花見の定番といえば桜。しかし、昔は今と違って別の花がお花見の定番だった。どんな花かは『万葉集』を見るとその答えがわかる。春に咲く花の中でもっとも多く歌われているのは梅の花で、その数は110首にのぼる。中国からやってきた梅の花は、高貴な花として奈良時代の貴族たちに好まれていたのだ。一方、桜を詠んだ歌は43首にとどまる。また、季節を問わなければ一番多く歌われた万葉植物は萩の花で、実に140首以上もの歌が詠まれている。花といえば春は梅、秋は萩というのが奈良時代の人たちの感覚だったのだ。
しかし、平安時代になると、次第に主役は桜になり、『古今和歌集』では梅より桜のほうがはるかに多く詠まれ、歌の中で花というだけで桜を指すようになった。
日本のしきたりや風習は「縁起」にまつわるものが多いことが本書を読むとわかる。日本文化は先人たちが幸せをつないできた文化でもあるのだ。それぞれの風習には、由来や意味がある。本書から日本古来の風習に触れてみてはどうだろう。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。