権力闘争は人間に埋め込まれた本能であるかのように、これまで歴史のさまざまな場面で繰り広げられてきた。
日本の平安時代も同様だ。大きな戦はなかったが、階級社会に生きた貴族たちは地位上昇をめぐって、策謀をめぐらせ画策を練っていた。平安宮廷社会は権力奪取をめぐる闘争の場だったのだ。
ただし、平安宮廷社会では天皇の位ではなく、それを後見する摂政、関白をめぐってなされていた。摂関政治体制では権力者は天皇ではなかった。次代の天皇を決めるのもその後盾なので、天皇の権威は、摂政、関白に移譲されたも同然で、なし崩し的に権力の最高位は摂政、関白に置き直されていたのだ。
天皇に取り入り権力を目指す 平安貴族たちの戦い
『平安貴族サバイバル』(木村朗子著、徳間書院刊)では、古典文学だけでなく女性学などにも詳しい津田塾大学教授の木村朗子氏が、弱肉強食の世界に翻弄されながらも意外とアグレッシブな平安貴族たちの軌跡を史実と文学作品をもとに解説する。
天皇の後見である摂政、関白の座は天皇の外祖父であることを根拠とした。娘が天皇の后になるだけではこの地位は手に入らず、娘が男子を産んでその子が次代の天皇になって初めて手にすることができたのである。
この熾烈な闘争を勝ち抜くためには、まずは天皇の籠愛を得なければならない。天皇の愛情を一極集中させて、天皇の夜をジャックしたいと考えた権力者たちは、教養と才気あふれる女房たちを配備する。藤原道長は『枕草子』で評判をとっている清少納言のいる中宮定子のサロンに対抗して、娘・彰子のサロンに紫式部を呼んだ。それだけでなく、彰子サロンには、赤染衛門、和泉式部といった錚々たる文学者の女房たちを揃えた。
権力闘争という生々しい現場で、子を産むという幸いを引き出すために、女性たちの知力をあてにしたのだ。
ところで、そんな平安貴族がどうしようもないときに頼ったのが呪術や信仰だった。平安宮廷社会には、陰陽師が陰陽寮の役人として常駐していて、吉日を占う暦をつくったり、病人が出れば祈祷をし、依頼があれば呪いをかけたり、その呪いを解いたりするなどの仕事をしていた。
『枕草子』が書かれたサロンの女主人の定子と『源氏物語』が書かれたサロンの女主人の彰子が、次代の天皇となる皇子を競っていた時代。懐妊出産といった人知の及ばないことが争点になるため、運勢を占いに頼りたくもなり、ことによっては呪詛に及ぶこともあった。ときには神頼みや呪いによって相手を陥れるなど、平安貴族たちはさまざまな戦略を施していたという。
武力にものをいわせることができない平安時代に、平安貴族は宮廷社会をどんなノウハウで勝ち上がっていったのか。平安貴族のサバイバル作戦を本書から垣間みてはどうだろう。一千年以上前の出来事ではあるが、権力欲をはじめとした欲望という点では、人間はあまり進歩していないのかも。そんな思いを抱く一冊だ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。
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