成功を収めている人は、人生のどこかのタイミングでやってくる「きっかけ」を逃さずにつかんでいる。それは人との出会いかもしれないし、1冊の本かもしれない。
でも、成功を収めている人たちは、どのようにして「きっかけ」をつかんだのだろうか。
『人生を変える「きっかけ」のつかみ方』(西沢泰生/著、U-CAN/刊)では、「きっかけ」で成功をつかんだ著名人たちのエピソードを通して、人生を変える「きっかけ」のつかみ方を紹介する一冊だ。
日本のお笑い界の「ビッグスリー」といえば、明石家さんまさん、ビートたけしさん、タモリさんだ。今でも誰もが知っているタモリさんだが、芸能界デビューを果たしたのは30歳。それまでは、博多でいろいろな職業を転々としていた「ただの人」だった。
その彼が、タレントの道を歩み出した「きっかけ」は「ある扉」が偶然に開いていたからだった。
博多でジャズフェスティバルが開催されたある夜。タモリさんは、ホテルで知人と酒を飲んでいた。翌日の仕事に備えようと帰ろうとして、ホテルの廊下を歩いていると、騒がしい部屋の前を通りがかった。ドアが開いていたので中をのぞいて見ると、ジャズフェスティバルの出演者であるピアニストの山下洋輔さんとその仲間たちがいたのだ。
その人たちは、頭にゴミ箱をかぶって虚無僧のマネをしてバカ騒ぎをしている。それを見たタモリさんは「これは自分と波長が合っている!」と感じ、部屋に入り、そのゴミ箱を奪うと自分でかぶり、虚無僧のマネを始めたのだ。
突然、飛び入り参加してきた見知らぬ男に驚いた中にいた男たちは、メチャクチャな韓国語で抗議する。すると、タモリさんは、はるかにうまい「ウソ韓国語」で切り返す。「なんだ、コイツ、面白いぞ!」という事になり、4時近くまでバカ騒ぎをすることになる。
帰り際、山下さんはこの乱入者に対して「ちょっと待った、あんた誰なんだ?」と聞くと、「私は森田と申します」とタモリさんは答えたという。
この出来事が、タモリさんが上京する「きっかけ」となる。半年後、再び博多を訪れた山下さんが「あの時のモリタを探せ」と大捜索を行い、見つけたタモリさんを東京に呼び寄せた。その後、飲み会で赤塚不二夫と出会い、赤塚家での「伝説の居候生活」がスタートすることになる。
また、山下さんの宴会に飛び入り参加した夜には、まだ裏話がある。実はタモリさんがこのホテルにいたのは偶然ではなく、ジャズファンだった彼が、山下さんたちが宿泊しているホテルに様子を見に行ったというのが真相だという。
タモリさんの他にも、春風亭昇太さんが落語家になったきっかけ、司馬遼太郎が歴史小説を書き始めたきっかけ、コント55号が誕生したきっかけなどのエピソードも紹介している。