電子工業分野の近代化を重視していた鄧が、「教えを請う姿勢で参りました」と切り出したのに対し、松下は「何であれ、全力で支援するつもりです」と全面的なバックアップを約束した。
松下は、改革・開放路線の黎明期に日中経済協力に踏み出した功績で、中国では「最初に井戸を掘った人」と賞讃されてきた。同社が87年に北京で設立したカラーブラウン管の合弁工場は、天安門事件前後の戒厳令下でも操業を続けた。
今回の事態は、これら過去の功績が、中国での安定した操業を保証するものではないことを印象付けた。中国での企業活動には、「政治」というリスクがつきまとう。日系企業の場合は、繰り返し噴出する反日意識の標的となるわけで、異質なカントリー・リスクが、より一層、対中ビジネスを難しいものにしている。
■キャノン、御手洗冨士夫会長兼社長 第11代日本経団連会長
IT関連業界初の財界総理(経団連会長)も、中国の巨大市場という幻想にとうとうよろめいてしまった。
御手洗は、キャノンの複写機やプリンターの最先端工場は故郷、大分に建設してきた。理由は、最先端技術が流出する懸念があるから、中国に工場を作ることに二の足を踏んでいたのだ。しかし、キヤノンの主要な市場である欧州で、売り上げが伸びないこともあって、中国にシフトした。先見性と未来予知力が必要不可欠な財界リーダーとしてはお粗末だ。
なお、御手洗は06年から09年まで4年連続で、9月の日中経済協会訪中代表団最高顧問を務めている。
中国は海外企業による中国進出や技術供与を認める条件として、技術の完全公開や技術移転を求め、国家公認で公然と技術を盗み取るという事実に、御手洗は、もうとっくに気づいていたはずだ。
■現役の親中派経済人の重鎮は、トヨタ自動車の張富士夫会長
中国政府は国内自動車産業育成のために、「中国企業との合弁」という条件を満たした外国企業の参入を認めた。これは、利益の半分を中国側に渡さなければならない上に、先端技術などが流出する危険がある不平等条約だったが、世界最大の人口を持つ市場に対する魅力は大きく、日本の自動車メーカーが次々と中国市場に参入した。
トヨタは張社長の時代の04年に合弁事業を開始。中国側は、合弁会社から得た利益と(盗んだ)技術を元に、中国資本の自動車メーカーを設立。トヨタを上回る生産と販売をあげるまでに急成長した。
彼らの次なる狙いはハイブリッド技術。それを手に入れたら、トヨタに難癖をつけて中国から締め出すハラではないかと、推測される。