「30までには結婚して親を安心させてあげないと」、「大晦日はやっぱりこたつで家族団らんしながら紅白歌合戦だよね」…なんて、私たちが何の気なしに言ってしまうセリフ。こういった発言の裏に隠れているのは、日本を覆う“家族信仰”の呪縛かもしれません。
『家族という病』(下重暁子/著、幻冬舎/刊)は、そんな“家族信仰”について、長年第一線で世の中を見つめてきたジャーナリストである著者が切り込んだエッセイです。
著者の下重さんは1936年生まれ。早稲田大学卒業後、NHKを経てフリーのアナウンサーとして活躍後、文筆活動に入りました。本書では、“家族”の実態をえぐりながら、従来の思い込みを一刀両断していきます。
■“家族の話”は、つまらない。
本書の中で、日本人の多くが“一家団欒”という言葉にあこがれ、そうあるべきだという思い込みに囚われている、と下重さんは指摘します。
「円満な家庭を持ち、一族に優れた人が多い」ということが“最も良い”とされる価値観は、家族のあり方が多様になってきた現在では皆に当てはまるものではなくなっています。それにも関わらず、自分の幸せをアピールするために「家族のことしか話さない人がいる」と下重さんはいいます。
たとえば女性では、ある時期までは夫のことばかりを話題に上らせ、それをすぎると子供のことになります。男性でも、自分の家柄の自慢をひけらかす人が往々にして見られます。
下重さんは「私達は一生に様々なことを話題にしているが、3分の1は人の噂話。3分の1は男と女に関する話、残りの3分の1だけが必要な話だという。つまり、3分の2はどうでもいい話をしているのである。」と辛口です。たしかに、聞き手が興味のない家族のささいな愚痴や自慢を延々と話してくる人、いますよね…。
しかも、“家族のことばかり話してしまう病”は、一度かかるとエスカレートしていくといいます。特に、年をとると話題が限られていくため、病気や健康の話、そして家族の話ばかりになっていってしまうそう。
■“家族の墓”は、いらない。
「家族という単位が苦手」と言う下重さん。戦中、戦後という、女性に対する視線が大きく変わっていく中を進んできた彼女は、昔の価値観を引きずる父や母を反面教師にして育ったため、従来の“幸せな家族”信仰に巻き込まれることなく、自らのライフスタイルに適した“つれあい”(夫)との共生の仕方を見つけることができたといいます。
家族がいるからといって幸せとは限りませんし、逆に家族がいなければ不幸せかというと、実はそんなこともありませんよね。そのことを証明するかのように、現在では、「家族の墓に入らない」という人が増えているそうです。「死んでまで、夫の家の墓に入って姑にいびられたくはない」と思い、「心の通じ合う友人たちや、自分の父母といたい」と願う年配の女性も増えているそうです。
現代では、同性同士のパートナー認定制度や、婚姻届を出さない夫婦、養子縁組など、かつてには認められてこなかったような多様な家族のあり方がようやく見えつつあります。