トヨタ自動車の創業家に連なる豊田家の御曹司が破廉恥なことで元女子大生に訴えられるという、とんでもない醜態をさらしている。
3月25日付で訴えられたのは、トヨタグループのアイシン・エィ・ダブリュ(以下、アイシンAW)」で昨年11月まで製造本部副本部長を務めていた豊田理彰氏(43)。昨年11月27日付当サイト記事『トヨタ系幹部の豊田家御曹司、女子大生に内定と引き換えに肉体関係を強要…卑劣な手口』でも既報のとおり、豊田氏は昨年夏、飲食店でアルバイトしていた女子大生(当時)に対し、アイシンAWへの入社と引き換えに肉体関係を迫った。
元女子大生は不適切な関係を迫られ精神的な苦痛を受けたとして550万円の損害賠償をするように名古屋地裁に提訴した。
アイシンAWの社内調査の結果、豊田氏は「あなたの能力ではうちの会社には受からないから、私と特別な関係を持てば、親戚扱いにして入社させてやる」といった趣旨の発言をし、嫌がる女子大生に迫ったとされる。豊田氏と元女子大生のやり取りがLINE上に証拠として残っていたうえ、行為が悪質と判断してアイシンAWは昨年11月、豊田氏を懲戒解雇処分にしている。
関係者によると、この女子大生はアイシンAWの入社試験の一次試験(筆記テスト)を受けて自分の実力で合格したが、豊田氏が「本当は合格ラインの点数ではなかったが、私の力で合格させた」などと言って女子大生に迫り、最終面接の直前に肉体関係を強要してきたという。女子大生は豊田氏の要求を撥ねつけた。結局、最終面接では不合格になった。
「女子大生が最終面接で不合格になった後、親宛に女子大生を誹謗中傷し、脅迫と見られても仕方ない文面の匿名の手紙が届いたが、豊田氏が送ったことは明白」(関係筋)との指摘もあり、豊田氏が取った行為の悪質さを象徴している。
元女子大生と親は豊田氏の行為に激怒しており、個人の責任だけではなく、会社の管理責任も問う方針だという。
分家・本家の対立
豊田氏は、豊田自動織機を創立したトヨタグループの始祖、豊田佐吉翁の弟・佐助氏の孫。佐助氏の長男でアイシンAWの親会社であるアイシン精機の社長、会長を務めた稔氏が、本妻ではなく、高級クラブのホステスに産ませた子どもだ。稔氏も理彰氏を認知している。豊田家の分家筋だが、血縁上は豊田家本家の豊田章一郎トヨタ名誉会長とはまた従兄弟の関係に当たる。
「稔氏はホステスに2人子どもを産ませ、妹は医者になっており子どもの頃から学業優秀だったが、理彰氏は勉強がまったくできず、玉川大学を出てコネでアイシンAWに入社した。仕事もろくにできないのに、創業家の威光により40代で役員直前の待遇である『参与』に特別待遇で昇格していた」(名古屋財界関係者)
これまでトヨタグループのなかでは、豊田家は本家でも分家でも「豊田」の苗字が付けば別格扱いされてきた。本家の佐吉翁にはもう一人、平吉という弟(佐助氏の兄)がいた。この平吉の長男がトヨタ中興の祖と呼ばれる、トヨタの社長・会長を務めた豊田英二氏だ。分家でも特別待遇を与えてきた象徴として、英二氏の長男、幹司郎氏はアイシン精機会長、次男の鐵郎氏は豊田自動織機会長、三男の周平氏はトヨタ紡織会長をそれぞれ務めていることが挙げられる。
「豊田章男氏がトヨタ社長に就任以降、本家と分家は重みが違うという強い意向を打ち出し、分家の豊田家を特別扱いすることに難色を示し始めた。たとえば、2年前に中部経済連合会の会長に豊田自動織機の豊田鐵郎会長を担ぐ動きがあった際には、章男氏と父の章一郎氏が『分家のくせにでしゃばるな』と言ってその財界人事をいったんは潰した。しかし、中部財界も人材難のため再度、鐵郎氏の中経連会長起用を決め、渋々本家サイドも受け入れた」(同)
厳しい処分は本家の意向
章一郎氏や章男氏が分家を嫌う背景には、分家の豊田英二氏が「名経営者」と世間から称賛されてきたことに対し、章一郎氏や章男氏は「総領の甚六」的な評価をされてきたことへのひがみもある。しかし、13年に英二氏が死去して重石が取れたうえ、章男氏が社長就任後、リーマンショック後遺症や米国での大規模リコール問題、東日本大震災から立ち直ったことで、章男氏は経営者として自信をつけ、社会の評価も高まったことで、本家の威光が高まりつつあった。
こうした状況を受け、「章男氏は豊田家を代表するのは自分という自負心が高まっていて、分家が目立つのを嫌うようになった」(同)。
理彰氏が起こした破廉恥なトラブルも本来であれば、豊田家の血を引く人物が行ったこととしてトヨタ本体が裏で動いてもみ消しを図り、メディアには広告という「飴」を配って口を封じ、被害を受けた元女子大生側にも誠意を示して穏便に済ませる努力を怠りなくするところだった。しかし、今回の件では、「むしろトヨタ本体がアイシンAWに対して理彰氏を厳しい処分にするように指示し、理彰氏を追い出したようだ」(名古屋在住の大手紙記者)といわれる。
そこには分家に対して厳しい姿勢で臨んでいる章男氏の意向が働いている。「本家と分家の争いは別にしても、常識的に章男氏は正しい判断をした」(同)とみられている。
理彰氏が取った行為は言語道断で許されることではないが、その処分などからは新しい豊田家の動きも垣間見ることができる。
(文=編集部)