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三菱自、倒産が現実味高まる…名門没落の元凶「A級戦犯」の院政、御曹子社長の失態

文=編集部
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三菱自、倒産が現実味高まる…名門没落の元凶「A級戦犯」の院政、御曹子社長の失態の画像1燃費試験の不正行為について会見する三菱自動車工業・相川哲郎社長

 三菱自動車工業燃費データ改竄問題で、不正が明らかになった軽自動車4車種以外にも、法令とは違う方法で燃費試験用データが測定されていたことが発覚した。

「過去10年間に販売された30車種のうち、不正は27車種、200万台強に上るとみられている。さらなる販売や生産の停止に追い込まれる可能性も高く、顧客への補償やエコカー減税の返還など、対策費は数千億円規模に膨らむ恐れがある」(大手自動車メーカー役員)

 経営への打撃は深刻だ。「対策費は5000億円規模。倒産の二文字が見え隠れしてくる」(自動車担当アナリスト)といった厳しい指摘も出始めた。たとえ倒産は回避できても、軽自動車からの撤退、あるいは身売りは十分に考えられる。野村證券は軽の補償額を425~1040億円と試算しているが、販売停止の長期化に加え、三菱自の下請け企業への補償という新たな問題も発生しており、金額はさらに膨らむという見方も強い。

 三菱自の15年9月末の大株主順位は以下のとおり。

・1位:三菱重工業(12.6%)
・2位:三菱商事(10.0%)
・3位:三菱東京UFJ銀行(3.9%)

 三菱重工の連結対象会社ではなくなったが、持ち分法適用会社である。三菱自の相川哲郎社長は、三菱重工の社長・会長を10年間務めた相川賢太郎氏の長男である。賢太郎氏は「三菱重工の帝王」と評された。三菱自では14年4月1日付で益子修前社長が会長兼CEO、相川哲郎常務が社長兼COOに就任した。

「益子氏が考えていた社長の本命候補が別にいたにもかかわらず、筆頭株主の三菱重工に配慮して相川氏を社長に据えた。社内には『相川社長では持たない。不安だ』との声が渦巻いていたため、結局益子氏が会長とCEOを兼務した」(三菱グループ関係者)

 社長に就任することになった相川氏は「もう一度、技術とデザインで三菱自ブランドを構築したい。他社がやれないことをやれと育てられた。この気持を復活させたい」と技術屋の心意気を示した。

三菱御三家と人事

 相川氏は根っからの“自動車野郎”として知られている。東京大学工学部を卒業して1978年に三菱自に入社。「大学3年生のとき、三菱から初代ギャラン・シグマ、ギャラン・ラムダが発売された。当時としては画期的なデザインで感銘を受けた。三菱は他社よりも格好よいクルマを出すメーカーだと思ったことがきっかけになった」と入社の動機を語っている。車両開発の責任者として第一線で活躍し、軽では初代eKワゴンの開発を手掛けたことで知られている。

 三菱自は三菱重工から分離した会社だ。三菱重工の重鎮の息子である哲郎氏は、三菱自生え抜きのプリンスとして大切に育てられたのである。

 三菱自は2000年に大規模なリコール隠し、04年に品質欠陥問題に伴うデータ隠しが発覚。資本・業務提携先だったダイムラー・クライスラー(現ダイムラー)が支援を打ち切り、深刻な経営危機に陥った。05年1月、「三菱自動車再生計画」を発表し、会長に三菱重工出身の西岡喬氏、社長に三菱商事出身の益子氏が就任した。三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行の「三菱御三家」を中心とした三菱グループ各社に4000億円に上る優先株を引き受けてもらうなど、物心両面の支援を受け再建を進めてきた。

 14年3月期には懸案だった優先株を処理し、再生に一定の区切りをつけたことから新体制へ移行することになった。益子氏の後任候補には、3人の名前が挙がった。ekワゴンを開発した相川常務・生産統括本部長(当時)、コルトの開発に携わった中尾龍吾常務・商品戦略・事業化統括部門長兼開発統括部門長(同)、益子社長の出身母体の三菱商事からきた一寸木(ちょっき)守一常務執行役員・第二海外営業統括部門長(同)である。

 一寸木氏は三菱商事で「もっと出世してもおかしくない人材」と評されてきた。13年4月に三菱自に転じたときは社長含みの人事とささやかれたが、三菱グループでは執行役員からいきなり社長というサプライズ人事はあり得ない。

「益子氏は当初、自分の後任として中尾氏を第1候補に、相川氏を第2候補に考えていた。相川氏は根っからの技術屋だが、中尾氏は技術だけでなく経営にも詳しいオールランドプレーヤーだったからだ。中尾氏を社長に据えた場合、益子氏は経営から身を引き全権を委任するつもりだった」(三菱自元役員)

 結果は前述のとおりだが、三菱自の経営再建を支援してきた大株主である三菱御三家の意向で決まったと、益子氏は漏らしていたという。相川氏の経営手腕が未知数であるため、益子氏に引き続き経営の最高責任を委ねたと解釈されている。

凋落を招いた長期院政

 相川氏の毛並みは申し分ないが、今回の燃費データ不正では「不正な方法で燃費を良くしていたことは知らなかった」と語っている。

「相川社長の引責辞任は不可避」(三菱グループ首脳)

 4月27日付毎日新聞は、「燃費不正 三菱自社長、引責辞任へ」と報じた。同日付読売新聞は「益子会長辞任へ」としている。もし、益子氏が退任すると、相川氏が代表権を持たない会長になり、中尾龍吾現副社長が社長に昇格する公算が高い。今年4月、三菱商事の機械グループCEOだった白地浩三氏が三菱自の常務に就任している。中尾新体制を白地氏が補佐するかたちが有力だ。

 益子氏、相川氏の2人が同時に引責辞任することになれば、中尾氏が会長になって、白地氏が社長に昇格する可能性もある。再び三菱商事から社長が出る体制に戻るわけだ。

 三菱自の経営危機は、ひとえに人災である。数々の不祥事や、その温床となった風通しの悪い組織をガンのようにはびこらせたのは経営トップの資質に問題があったからだ。人災の種を蒔いたのは元社長の中村裕一氏である。3期6年の社長の任期を終えた中村氏は、自分の意のままになるイエスマンを次々と社長に据え、院政を敷いた。

 中村氏は会長を辞任した後も人事に対する影響力を行使した。河添克彦氏が副社長5人と上席の常務8人を飛び越す抜擢で社長になった人事も、中村氏が決めた。河添氏は重要な場面では中村氏に判断を仰いだという。三菱自凋落の“A級戦犯”として中村氏を名指す声は多い。益子氏が社長になるまでの10年間に6人が社長になっている。益子氏だけが例外で9年務めた。

「身売りしかないんじゃないじゃか」(前出の三菱グループ首脳)

 しかし、国内の自動車メーカーのなかで三菱自を引き取る意向のある企業はない。そうなると売却先として、中国企業や自動車ビジネスに進出したグーグルやアップルなどの名前も浮上してくる。いずれの場合でも、上場を廃止して小回りが利く会社にしてから売却するというステップを踏むことになるだろう。
(文=編集部)

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