金融商品取引法違反(偽計、相場操縦など)に問われ、東京地方裁判所で公判中の誠備グループ元代表・加藤暠(あきら)被告が2016年12月26日、東京都内の病院で死亡した。
インターネット上のコラムに虚偽の情報を書き込み、11年11月~12年4月に大阪証券取引所1部(当時)の化学メーカー、新日本理化の株価を不正に吊り上げたとして15年11月に逮捕された。容疑は12年2月15日にから3月2日にかけて同社株式を大量に買い付けたというもの。15年12月に東京地検特捜部に起訴された。
加藤氏は、16年6月に東京地裁で開かれた初公判では無罪を主張。だが、勾留中から体調が悪化、9月に保釈後そのまま入院していた。長男で元大阪大学大学院助教の恭(たかし)被告も、共謀したとして起訴されていた。東京地裁から公訴棄却の決定が出される見通しだ。
銀座で1億円の落とし主
加藤氏は“兜町の風雲児”と呼ばれた伝説的な相場師だ。1941年に広島県で生まれ、2歳の時に被爆した。高校生の頃、当時、不治の病といわれた結核に罹り、4年間の療養生活を送った。
被爆と結核療養という2つの体験を通して人生観、宗教観が形成された。あらゆる宗教に救いを求め、たどり着いたのが般若心経だった。復学した加藤氏が倫理社会の授業で人生について語ると、魂を揺さぶられた同級生が感動のあまり涙ぐむことがあったというエピソードが残っている。
療養所近くにあった宮島の競艇場に通い、「じっと見ていると、どれが1番になるか見えてくる」と同級生に語っている。療養生活のなかで、人を感動させるカリスマ的能力と、ギャンブルに対する天性のカンが養われた。
早稲田大学商学部を卒業したが、入社試験で苦渋を味わった。4年遅れという年齢的なハンディキャップのため、大企業からことごとく門前払いを食らったのだ。
いろいろな仕事に就いたが、「男になるには株式市場しかない」と考えた。それで黒川木徳証券の歩合外務員となった。加藤氏の特異な才能を認めたのが、日本のドンといわれた笹川良一・日本船舶振興会会長(当時)だった。
77年に投資顧問会社、誠備を設立。その名付け親は笹川氏だった。医師や社長、政治家など5000人を会員とする誠備グループを率いた加藤氏が“兜町の風雲児”と呼ばれたのは、この頃のことだ。