80年4月、東京・銀座で仕事帰りの運転手がふろしき包みを拾った。日本中を騒然とさせた「1億円拾得事件」である。それは加藤氏が落としたもので、「政治家に渡すカネだった」と後年、述懐している。
81年2月、加藤氏は東京地検特捜部に逮捕された。所得税違反(脱税共犯)の容疑だったが、特捜部の狙いは顧客である政治家の名前を吐かせることにあった。加藤氏は取り調べ中、般若心経を唱え完全黙秘を貫いた。もし口を割っていたら、リクルート事件のような一大疑獄事件に発展していたに違いないといわれている。
助け船を出したのは、「経済ヤクザ」の異名を持つ石井進・稲川会会長だった。「秘密は厳守する」というプロ相場師の侠気に感動した石井会長は、加藤氏側の証人に立った。
裁判の核心は、加藤氏本人の24億4500万円に上る脱税だ。仮名口座による株取引による利益は、すべて加藤氏の所得と検察は主張した。石井会長は、仮名口座は自分が加藤氏に資金運用を任せた分だと証言し、利益は顧客のもので加藤氏の利益でないことを立証した。加藤氏は顧客の脱税幇助で有罪になったが、脱税という点では無罪になった。石井氏の証言が決め手となった。
般若心経を唱えながら滝に打たれる苦行をした加藤氏は、株式市場に戻ってきた。89年、石井会長の指南役として仕掛けた東急電鉄株の仕手戦が彼のキャリアのハイライトだった。地産グループの竹井博友氏や光進グループの小谷光浩氏といった大物仕手筋が総結集し、大相場が形成された。だが、91年に石井会長が病気で亡くなり、東急電鉄株の買い方は崩壊した。これで株バブルの狂乱も終焉した。
ネットで新日本理化の株価高騰を予測
11年3月、東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所事故によって、長く沈黙していた加藤氏の名前が株式市場で復活することとなった。原発事故の報に接した加藤氏は「般若の会」を立ち上げ、実名で株価の見通しを披歴した。
同年11月1日、「時々の鐘の音」と題するサイトを開設し、「般若の会代表、加藤暠」名で「空売りが異常に膨らみ、大相場になる雲行き。1300円で売って利益を得た人だけが天から合格証を与えられる」と最初の書き込みをした。市場関係者には、大証1部に上場している化学メーカー、新日本理化を指していることはすぐにわかった。