2016年9月14日、串カツ専門の居酒屋チェーン「串カツ田中」が東京証券取引所マザーズに上場を果たした。東京・世田谷に1号店がオープンした08年12月から、わずか8年足らずのスピード上場である。
串カツ田中は、大阪名物・串カツをメニューの軸に据える、一風変わった居酒屋だ。駅から離れた商店街の奥地にも積極的に出店し、現在130店舗以上を展開するほどの急成長を遂げる一方、なぜか串カツの本場・大阪をはじめとする関西圏にはまだ8店舗しかない。
なぜ今、串カツ田中が人気なのか。その独特な経営戦略や現在に至る道のりについて、同社取締役管理部長の坂本壽男氏に話を聞いた。
亡き父の遺品から秘伝のレシピを発見
――創業社長の貫(ぬき)啓二さんは、そもそも違う飲食店を経営していたと聞きます。
坂本壽男氏(以下、坂本) 貫は、もともとトヨタ系の物流会社に勤めていたのですが、サービス業に興味を持ち、27歳のときに会社を辞めて大阪でバーを始めたんです。その店の最初のアルバイトが、今弊社の副社長を務めている田中洋江でした。
田中は広告代理店の出身なので、そのマーケティング力を生かしてデザイナーズレストランをやろうということになりました。レストラン自体は成功したのですが、やっぱり、はやりものは長く続けられる業態ではない。貫は、30年間続く店をつくりたいと考え始めました。
――成功していた店に見切りをつけ、長く続けられる業態に進出したわけですね。
坂本 「『30年間続く』となると、やはり日本料理だろう」と。それで、東京・青山の一等地に「京料理みな瀬」という店をつくったのです。多額の設備投資をした高級料亭で、味もおいしく繁盛したんですが、家賃も料理長の人件費も高いので、売り上げは伸びても利益が全然出ない。そこにリーマン・ショックが起きて、それまで接待で利用されていたお客様が来なくなってしまったのです。
「このままでは、あと半年ももたない」となったとき、貫が田中に「大阪に帰る準備をしてくれ」という話をしました。副社長の田中は串カツがすごく好きだったので、父親がよく家でつくってくれたそうです。その串カツがおいしくて、ずっと「あの味で、串カツの店をやりたい」と思っていたらしいのですが、その父親は田中が20歳の頃に亡くなっているのでレシピがわからなかった。
ところが、大阪に引っ越す作業をしていたら、父親からの手紙の箱のなかに、串カツのレシピが書かれた紙が入っていたというんです。ためしにそのレシピでつくってみるとすごくおいしい串カツができたので、「『串カツ田中』としてやってみよう」ということになったんです。