ホンダがF1の戦略的パートナーであるマクラーレンと決別した。実際には、エンジンを供給するホンダがマクラーレンに見捨てられたといえる。
ホンダ製エンジンは4月にスペインで行われた開幕前の合同テストから不調続きで、今シーズンの成績も惨憺たるものだ。9月17日のシンガポールグランプリを終えたところで、マクラーレン・ホンダのコンストラクターズポイントは10チーム中の9位。ドライバーズポイントもフェルナンド・アロンソが21人中15位、ストフェル・バンドーンは17位。遅れて参戦したとはいえ、3年目の成績としては予想をはるかに下回るものだ。
同チーム不振の主な原因がホンダ製エンジンだといわれ、日本のF1ファンもホンダの低迷に驚きを隠せない。マクラーレンがホンダを離れると、ホンダにはエンジンの供給先がなくなりF1から撤退するしかない。そんな土壇場でレッド・ブルの弟チームであるイタリアのトロ・ロッソがホンダのエンジンを搭載することになり、来シーズンからトロ・ロッソ・ホンダが誕生することになった。
実はホンダの開発陣の迷走はF1に限ったことではなく、ここ10年ほどの間に社内で生じた変化にも相通じる結果だといえる。ホンダの開発を担う本田技術研究所の社員は、溜息をつきながらいう。
「最近のホンダはデータばかりに重点をおいて、現物で確認することが少なくなった。開発プロセスをみても、現場・現物を最重要視する昔のホンダとはかなり違う会社になってしまった」
このようなことは、F1のエンジン開発部隊も襲った。今シーズンが始まって間もなく、ホンダのエンジンは続けざまに出力不足に見舞われた。研究所内のベンチテストでは高い数値を記録しても、実車に搭載すると出力が思うように伸びないといった事象が続いたのだ。
失われたモノづくり哲学
それだけではない、「今のホンダにはモノづくりの職人のような人が少なくなってしまった」という。F1エンジンの部品は高度な手づくりが要求される分野だが、ホンダ社内ではレース用部品の信頼性を確保することさえ難しくなってきた。
それはレース用に限ったことではなく、量産車でも起こっていた。このような変化が顕在化したのは、伊東孝紳・前社長の在任中だ。すべてが伊東氏の責任ではないが、リーマンショック後の景気低迷を乗り切るために、伊東氏は「早く、安く、うまいクルマつくり」を社内で進め、その結果、安っぽいシビック(米国)、リコール続きのフィット(日本)など安易なホンダのモノづくりが露呈した。
その前兆は伊東氏の前任、福井威夫社長の頃にもあり、コストはかかっても良質の部品を使うといった本田宗一郎氏のモノづくり哲学が次第に姿を消していった。確かに、完璧主義な本田宗一郎流のモノづくりでは儲けを確保するのは難しい。実際、そのようなモノづくりをやっていたホンダは1990年代まではあまり儲からない会社だった。