NHK大河ドラマ『西郷どん』の初回が7日に放送され、平均視聴率は15.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことがわかった。過去10年で最低、大河ドラマ史上でもワースト2位となるスタートとなった。
初回では、小吉と名乗っていた西郷隆盛の少年時代が描かれた。簡単に言うと、下級藩士の長男として貧しいながらもわんぱくに育っていた小吉が、お忍びで国元に帰っていた藩主の嫡男・島津斉彬(渡辺謙)と偶然出会い、真に強い侍となるようにと諭されるというストーリー。ケンカで腕を斬られたことが原因で武術の道をあきらめ、学問の道に進んだという史実を織り交ぜつつ、後に明治政府の要職に就いた西郷が推し進めた政策などに反映された「弱い者を助ける」「女性にも機会の平等を与える」といった精神の源流が少年時代に生まれたことを描いていた。
ただし、少年時代の西郷に斉彬が大きな影響を与えたという話はまったくの創作。西田敏行が担当するナレーションでも、「この年、島津斉彬が薩摩にいたという記録はありません」とフィクションであることを認めた。ここまで堂々と創作であることを明かすのは珍しいが、このドラマの中の斉彬は影武者を江戸に残して極秘で帰国したことになっているため、ストーリーとしての筋は通っている。幕府は人質的な意味合いもあって各藩の世継ぎを江戸に在住させることと定めていたため、もし本当にこっそり斉彬が帰国していたとしても、そんな記録が残っているはずがない。「記録にはないが絶対にないとは言い切れない」という絶妙なラインの時代考証に基づいた脚本だったといえる。
オープニングのテーマ曲も軽快で、晴れ渡った青空にそびえる雄大な桜島や、西郷が流された島をイメージしたと思われる美しい海の映像などと相まって、爽快感や高揚感を感じさせる。本編の映像もロケが大半だったこともあり、小吉を育てた薩摩の風土や空気感がリアルに感じられた。
斉彬役の渡辺も、めっぽうかっこ良かった。大河ドラマ『西郷どん』は林真理子の小説が原作となっているが、林は当初から渡辺をイメージして斉彬を描いたとしている。正直いって、これを知った時にはあまり良いこととは思えなかったのだが、実際にドラマを観てその考えは180度変わった。
子役の芝居が大半を占めたから、ということを差し引いても、渡辺の存在感はずば抜けており、文武に優れただけでなく人情の機微に通じ、先見の明まで兼ね備えた“スーパー名君”を演じるのにぴったりとしか言いようがない。騎乗した馬を事もなげにススッと何歩か後退させた手綱さばきも見事。私生活では世間を騒がせたが、こんなかっこいい姿を見せられてはそんなことなどどうでも良い。もっと斉彬の出番を多くしてほしいし、西郷にどんどん影響を与えてほしい。2016年の大河ドラマ『真田丸』で、主役の真田幸村を演じた堺雅人より真田昌幸役の草刈正雄が人気を集めたように、本作でも渡辺が序盤の人気キャラクターとなるのは間違いないだろう。
ここまではほめてばかりだが、不安要素もある。それを今回は2つだけ挙げたい。そのうちひとつは、渡辺に関することだ。今ほめちぎったばかりだが、不安はまさにそこにある。渡辺がその圧倒的な存在感と演技力でドラマを牽引していくことは疑いようもないが、残念ながら渡辺演じる斉彬は、西郷が本格的に活躍する前にこの世を去ってしまう。始まったばかりでもう登場人物の退場後を考えるのは少し気が早いかもしれないが、渡辺が人気や関心を集めれば集めるほど、視聴者が感じる「斉彬ロス」は激しくなってしまうことだろう。『真田丸』も、昌幸の死後にその穴を完全に埋めることはできず、17年の大河ドラマ『おんな城主直虎』も高橋一生演じる小野政次が死んだ後に結局最後までその穴を完全に埋めることはできなかった。今年も似たような結果になってしまう可能性は大いにある。
もうひとつの不安要素は、「薩摩ことばがわからなかった」という視聴者の反響があまりにも多いことだ。筆者は当初から字幕を表示して視聴したためおおむね理解できたが、「難しい」「何を言っているのかわからない」と感じた人が多かったのは事実。方言を再現しようとするNHKのまじめな姿勢は良いと思うが、それで視聴者が離れてしまっては元も子もない。いずれなんらかの対策が打たれるか、もしくは視聴者の耳が慣れてくるとは思うが、ライトな視聴者層はそれまで我慢できるだろうか。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)