西日本旅客鉄道(JR西日本)が60%、三越伊勢丹ホールディングス(HD)が40%をそれぞれ出資し共同運営する百貨店、JR大阪三越伊勢丹(以下、大阪三越)は、売り場面積を5万平方メートルから6割減らし、店名変更も検討する。三越と伊勢丹の両方の名前がついている全国で唯一の店名が消える見通しで、三越伊勢丹HDは大阪での百貨店事業から事実上撤退する。
2011年5月に開業した大阪三越は、今年夏に一部を除き閉鎖して改装工事に着手。15年春に再オープンする。百貨店部分(2万平方メートル)は、伊勢丹が得意とする女性ファッションや紳士服、雑貨に絞り込み、呉服や美術品などは置かない。空いたスペース(3万平方メートル)には専門店が入る。改装後はJR西日本が主導し、隣接する専門店ビル、ルクア(売り場面積2万平方メートル)との一体運営を進める。ルクアと合計した売上高は13年3月期は660億円だったが、これを16年同期には800億円に伸ばす計画だ。ルクアの業績は好調だが、隣接している2つの商業施設の明暗を分けたものはなんだったのだろうか。
大阪三越は、伊勢丹と三越が経営統合する前に三越が進出を決定していた。大阪・北浜にあった店舗を閉鎖した三越にとってJR大阪駅に新しい店をオープンするのが悲願だった。三越の石塚邦雄社長(当時、現三越伊勢丹HD会長)が大阪進出を最終決定したといわれている。一方、伊勢丹は大阪進出に懐疑的で、進出の白紙撤回を考えた時期もあったが、三越側の強い意向で開店することになった。
1月21日、記者会見した三越伊勢丹HDの杉江俊彦取締役常務執行役員は「ファッションに強い伊勢丹と高齢層に強い三越の強みを結集しようとしたが、中途半端になってしまった」と敗戦の弁を語った。初年度550億円の売り上げを目指したが、6割の334億円にとどまった。13年3月期の売り上げ実績は303億円で、14年3月期はさらにこの数字を下回ることが確実になっている。
JR大阪駅周辺には阪急(うめだ本店)、大丸(梅田店)が立地し、大阪三越の開業に対抗するため大幅に増床。同地区の売り場面積は3年前の1.8倍の26万平方メートルまでに拡大。東京・新宿の21万平方メートルを上回る極端なオーバーストア状態になった。
若者向けの最先端ブランド衣料品が大阪三越に入らないよう、高島屋、阪急、大丸の3社が有力問屋に働きかけたことも効いた。オープン当初から、大阪三越には百貨店として切り札がなかったわけだ。加えて、大阪進出を主張した“老舗商売”が染みついた旧三越サイドには、そもそも新たな場所で商品を売る力がなかったという見方もある。15年に新装開店する店舗名から三越伊勢丹の名前を消すのは、その痛烈な反省でもある。
首都圏の百貨店はアベノミクスの恩恵に浴しているが、大阪ではほとんどの百貨店が売り上げ目標に届かず、「勝者なき戦い」となっている。伊勢丹新宿本店に次ぐ年間売り上げを誇り、関西地区売り上げトップの百貨店、阪急うめだ本店は14年3月期の売り上げ見通しを1880億円に引き下げた。当初目標だった2130億円より12%下方修正した。部分開業した、あべのハルカス近鉄本店も苦戦中だ。同店は3月に売り場面積10万平方メートルという国内最大の百貨店として全面開業するが、苦しい戦いを強いられることになる。
高島屋と伊勢丹の因縁
大阪三越の敗因について百貨店業界内では、「伊勢丹流のディスプレー(陳列)が、大阪では受け入れられなかった」といわれている。進出を決めた05年当時は三越単体で進出のはずだったが、経営不振の三越が伊勢丹と経営統合したことで、店づくりの主導権はファッション衣料に強い伊勢丹が握った。伊勢丹のセールスポイントはテナントに頼らず、社員が自分の目利きで商品を仕入れる自主運営であり、販売までを一貫して行う。しかし、関西ではブランドごとに区分して売るのが主流。複数ブランドが商品別に並ぶ自主編成の売り場は、買い物客にはわかりにくかったといわれている。
加えて、人気ブランドを集められなかったことも苦戦の大きな要因となった。梅田地区のライバル店が、高級ブランドのテナントに大阪三越への出店を控えるよう強く求めたのが大きかった。先頭に立ってこの動きを進めたのが、高島屋の鈴木弘治社長だったとされる。
鈴木氏と伊勢丹の因縁は深い。長年、高島屋は百貨店業界のトップだったが、伊勢丹が名門・三越を救済するかたちで経営統合して08年4月にできた三越伊勢丹HDに、業界トップの座を奪われた。当初、三越救済の話が持ち込まれたのは高島屋。だが、高島屋東京店と三越本店はともに東京・日本橋にある。重複店舗をどうするかという検討に手間取っている間に、三越は方向転換し、伊勢丹に経営統合の話を持ちかけた。
メインバンクは三越が旧三井、伊勢丹は旧三菱で、高島屋は旧三和。最終的に三越と伊勢丹が手を握ったのは、メインバンクである旧財閥系の金融機関同士の絆が強かったということが影響したといわれている。関西の百貨店幹部は「鈴木社長にしてみれば、トンビに油揚げをさらわれたという心境でしょう。以来、鈴木さんにとって伊勢丹は不倶戴天の敵となった」と明かす。
その三越伊勢丹HDが、高島屋のホームグラウンドである関西に殴り込みをかけてきたわけだ。当然のこととして鈴木氏は大阪三越封じ込めの実力行使に出た。阪急阪神百貨店を擁するエイチ・ツー・オー(H2O)と11年までに経営統合するとぶち上げたのだ。高島屋は96年、伊勢丹の聖地である東京・新宿に新宿店を開業したが、思うように売り上げが伸びなかった。伊勢丹本店の圧力で、ファッション分野での品揃えで見劣りするという当初のつまずきが響き、高島屋新宿店は慢性的赤字から脱却できないでいた過去を持つ。
前出の関西百貨店幹部は、大阪三越の敗因について次のように分析する。
「大阪で圧倒的な力を持つ高島屋と阪急が手を携えて圧力をかければ、有名ブランドが大阪三越に出店するわけがない。高島屋と阪急ににらまれたら、大阪では商売ができないからだ。開業前の攻防で、高島屋=阪急連合が大阪三越の出鼻をくじいた。大阪三越が有名ブランドを集めきれなかった時点で、勝負はついていたのです」
高島屋は新宿の仇を梅田で討ったのだ。高島屋は10年3月、H2Oとの経営統合を白紙撤回した。破談は百貨店業界では織り込み済みだった。
崩れるJR神話
大阪三越の実質上の大阪撤退で「JRの駅に直結する百貨店の独り勝ち」という神話が崩れた。これまで各地の流通地図を塗り替えてきたのは、JRの新しい駅ビルに進出した百貨店だった。その嚆矢が1997年にJR京都駅ビルに開業したJR京都伊勢丹である。年間売上高で京都が発祥の大丸京都店とほぼ並ぶまでに成長し、地域一番店の高島屋京都店を追っている。2000年開業のJR名古屋駅ビルに進出したJR名古屋タカシマヤの売上高は、日本で最も歴史が古い老舗百貨店の松坂屋名古屋店(旧・松坂屋本店)に迫る。
劇的な変化をもたらしたのが、北海道の札幌。03年にJR札幌駅に進出した大丸札幌店は札幌地区でナンバーワンの百貨店になった。広い商圏からの集客が可能なJRの駅に直結した百貨店の強みを、まざまざと見せつけた。
今回の大阪三越の失敗が、今後の百貨店業界にどのような影響を与えるのか、業界内の注目が集まっている。
(文=編集部)