ビジネスジャーナル > 企業ニュース > カルビー世界企業への脱皮
NEW

カルビー、なぜフルグラ大ヒット?透ける経営改革と「脱ポテト王」、世界企業への脱皮

文=福井晋/経済ジャーナリスト
【この記事のキーワード】, ,
カルビー、なぜフルグラ大ヒット?透ける経営改革と「脱ポテト王」、世界企業への脱皮の画像1カルビーの「マイ・グラノーラスタイル」

 健康ブームを背景に成長が続くシリアル食品市場で、カルビーがヒット商品を誕生させた。「フルグラ」だ。昨年の食品業界で「一番の話題。シリアル食品市場成長の起爆剤にもなった」(食品業界関係者)といわれている。

 フルグラとはカルビーが1991年に発売した「フルーツグラノーラ」の商品名。フルーツグラノーラは麦類とドライフルーツを混ぜたシリアル食品で、特にカルビーの商品は主原料の麦類をシート状に固めて焼いた後に細かく砕く製法を採用することで、強い歯応え感を出している。さらにイチゴ、パパイアなどのドライフルーツを副原料として混ぜているので、甘味のあるシリアル食品に仕上がっているのが特徴だ。

 発売から数年間、売り上げは鳴かず飛ばずの状況が続いたが、2012年に販促策を一新したことが功を奏し、あっという間に大ヒット商品となった。現在、国内でシリアル食品を販売している主なメーカーは日本ケロッグ、日清シスコ、カルビーの3社だが、この中で勢いに乗ったカルビーが他社を押しのけ、昨年ついにシリアル食品市場のトップシェアに躍り出た。

 そこで今回、なぜ国内シリアル食品市場で先発2社を抑え、最後発のカルビーがフルグラをブレイクさせることができたのかをみていくと、同社の経営改革と、あるキーパーソンの存在が浮かび上がってきた。

同族経営との決別

 カルビーは1949年に広島市内で産声を上げたスナック菓子メーカー。64年に発売した「かっぱえびせん」のヒットで社業を成長軌道に乗せ、75年に発売した「ポテトチップス」の爆発的ヒットで一気にスナック菓子メーカー大手に成長した。その後も「じゃがりこ」(95年発売)や「じゃがビー」(06年発売)を筆頭に数々のヒット商品を出し続け、今では国内スナック菓子市場で52%のシェアを占めるトップメーカーに上り詰めている。特にポテト系スナックのシェアは76%に達し、業界内で「ポテト王」と呼ばれるほどの強さをみせている。

 そんな同社でさえ、少子高齢化を背景とする国内スナック菓子市場縮小の影響から2000年以降は成長鈍化に悩み、会社設立から05年まで3代にわたり同族経営を続けていた創業家は抜本的な経営改革の必要性を感じ、そのリーダーとして白羽の矢を立てたのが、医薬品・医療機器米大手のジョンソン・エンド・ジョンソン(以下、J&J)日本法人社長を務めていた松本晃氏(現カルビー会長兼CEO)だった。

 松本氏がカルビー創業家の三代目社長・松尾雅彦氏と出会ったのは03年頃といわれている。松本氏は大学卒業後に総合商社・伊藤忠商事(以下、伊藤忠)に入社、産業機械部門に配属された。ここで「ビジネスは人。人は買いたいものを買うのではなく、買いたい人から買う。相手の立場になり、しかも売りたいとの気迫を見せることが大切との『松本流ビジネス観』を養った」(松本氏関係者)といわれる。その後、86年に経営が破綻しかけていた医療機器子会社へ役員として出向し、松本流ビジネス観に基づく経営改革を断行。わずか6年で出向先を業界大手に成長させた。

 この経営手腕が米J&Jに注目され、45歳になった松本氏は「人生の区切りをつけたい」(同)と伊藤忠を退職し、J&J日本法人に入社。99年から07年末までは同社社長を務めた。松本氏は同社でも経営手腕を発揮し、社長在任中に売上高を3.6倍に増やした。同時に松本氏はJ&J時代、「売ることよりも医師や患者に製品を正しく使ってもらうことの大切さ、そのために現場を知悉することの重要さを学んだ」(同)という。

 そして伊藤忠時代に培ったビジネス観と J&J時代に学んだ現場主義の両刀が、松本氏の第三ステージであるカルビーにおいて鋭い切れ味を見せ、フルグラを大化けさせるきっかけになっていく。

カルビー、松本改革始まる

 前出の関係者によれば、カルビー創業家の三代目社長・松尾氏は松本氏に「J&Jを退職したらぜひ当社の社長に」と要請していたが、当初松本氏は固辞。それでもあきらめきれない松尾氏は「せめて社外取締役に」と要請し、結局松本氏は松尾氏の熱意にほだされるかたちでカルビーの経営に関わるようになったという。

 こうして08年6月、松本氏はカルビー社外取締役に就任する。松本氏を経営陣に迎えた松尾氏は、当時暗礁に乗り上げていた米食品・飲料大手のペプシコとの資本業務提携の交渉を松本氏に委任した。松本氏は約2カ月かけて交渉の問題点を精査した上で、同年9月からペプシコのアジア担当CFO(最高財務責任者)と精力的に交渉を開始。当時は社内で絶望視されていたペプシコとの提携を約9カ月でカルビーに有利なかたちでまとめ上げた。カルビーにとっては実質的に初の外資提携であり、これがその後のカルビー海外進出の足掛かりになった。

 松本氏の活躍に満足した松尾氏は「懸案の株式公開と喫緊課題の経営改革を指揮するため、会長に就任してほしい」と松本氏に要請。2人の間柄を知る関係者は「ペプシコとの提携交渉を通じてカルビーの窮状を知悉してしまった松本氏は、持ち前の男気もあり、これを快諾せざるを得なかったようだ」と話す。

 こうして松本氏は09年6月に会長兼CEOに就任。後に「松本改革」と呼ばれる経営改革を開始する。

 松尾氏から経営改革を託された松本氏は、懸案の東証一部上場をにらみ、株式公開会社になるためには財務体質の改善が急務と、経営改革の第1弾として、08年3月期で1.4%にとどまっていた営業利益率を10%に引き上げる目標を掲げた。「今から思うと、それまでのカルビーは『良い菓子をつくれば売れる』と商品づくりに熱心だったが、コストにはほとんど関心がなかった。これが成長伸び悩みの主因だった」と、カルビー関係者は振り返る。

 そこで09年、手始めに全国17工場が個別に行っていた生産財(原材料、資材、設備など)の調達を本社購買部門に一元化。その上で、資材・設備の共通化と調達の競争入札制導入を行ったが、これには現場の反発が強かったようだ。

 カルビー関係者は「創業家時代は『良い商品をつくるためなら、金はいくらでも』の高コスト意識が染み付いた社風。加えて品質管理が工場に任されていたので、工場は『品質向上のために』と相見積もりも取らないで調達している生産財も多かった。この裁量権をいきなり取り上げられたので、『これでは品質管理に責任が持てない』と開き直る現場が多かった」と、当時を振り返る。

 こうした現場に松本会長は自ら出向き、従来の調達法の無駄の多さと非合理さを説き、コスト圧縮の重要性を訴えた。その結果、08年以前は70%を超えていた売上原価率を09年3月期には64.8%に圧縮、さらに13年3月期は56.2%まで圧縮した。今後は50%までの圧縮を目標にしている。

 次に松本氏は、コスト圧縮で浮かせた利益を営業利益に組み入れるのではなく、これを販売価格値下げの原資にした。従来、競争力のある同社商品は競合品より15%ほど高値で販売していたが、それを競合品並みに値下げしたことで販売量が一気に増加。結果的に工場の生産性が上がり、収益力向上につながった。「もう現場では誰もコスト圧縮に反発しなくなった。従業員が自発的にコスト圧縮の工夫をするようになった。さらに新しいことに挑戦する気風も芽生えてきた」(同社関係者)

 こうして09年3月期の営業利益率は3.2%に上昇、11年3月期は6.9%、12年3月期は7.5%、13年3月期は8.8%と上昇を続け、松本氏が就任当初の目標にした10%まであと一歩のところまで財務体質が改善した。

 財務体質改善を進める中で同社は11年3月、東証一部上場を果たした。上場初日の取引開始と同時に付いた初値は公募価格と同じ2100円。その後は業績期待などを背景に、当日は初値を5.8%上回る2222円まで買われる人気ぶりだった。証券アナリストは「菓子市場が縮小する中、強力な商品ブランドを持つカルビーは、残存者メリットを取れると見られた。同社が進めている財務体質改善も、投資家に評価された」と解説する。

第2、第3の成長戦略

 経営改革の第2弾は成長戦略だった。

 業界内でポテト王と呼ばれるほどのポテト系スナック依存から脱却し、第2、第3の主力事業を早期に育成しなければ「これからのグローバル競争に生き残れない」との危機感が松本氏にはあった。

 この成長戦略の中核が、同社直営アンテナショップ「カルビープラス」だ。定番商品はもとより、新商品、季節限定商品と全商品を展示販売し、しかもバックヤードでポテト系スナックの製造まで行い、店頭で「揚げたてスナック」を提供している。全国各地に数あるアンテナショップの中で、このような業態は珍しく、メディアでもしばしば「行列のできるミニ工場」として取り上げられるほどだ。

 消費者との接点を持つことでブランド力強化、新商品開発、販促策などに生かし、ヒット商品や新規主力事業育成につなげるのが狙い。11年12月の1号店「原宿竹下通り店」開業を皮切りに、今年1月末までに全国7店舗を展開している。同社は15年度までに15店へ拡大する計画だ。

 フルグラは、こうした成長戦略の中で社内から発掘され、販促策を一新したシリアル食品。したがって「もし松本改革がなかったら、フルグラはブレイクすることはなく、社内に埋もれたまま、やがて市場から消えてゆく運命だったはず」と業界関係者は指摘する。

 ちなみに、11年3月期は60.5%を占めていたポテト系スナックの売上高比率は、13年3月期は57.8%に低下。成長戦略により、脱ポテト化が着実に進んでいる様子がうかがえる。

 そして経営改革の第3弾は海外進出だ。同社は70年に北米へ進出、菓子業界としては海外進出の古参組に入るが、業績は振るわず低迷。長らく海外売上比率は約1%にとどまっていたが、09年6月に締結したペプシコとの提携による海外販売チャネル確保を足掛かりに海外進出を本格化させ、11年3月期は海外売上比率を3.3%、13年3月期は5.1%まで拡大した。

 この間、北米市場の売り上げ拡大と香港、タイ、中国への進出を行い、現在はシンガポール、韓国へも進出している。14年中のインドネシア進出も決定している。同社は、20年度までに海外売上比率30%の目標を掲げている。

 松本氏が率いるカルビーは今、まさにグローバル企業への脱皮を図ろうとしている。
(文=福井晋/フリーライター)

福井晋/経済ジャーナリスト

福井晋/経済ジャーナリスト

1948年大阪市生まれ。ITビジネス誌記者、ビジネス総合誌編集長などを経て2001年よりフリーに。マーケティング論が専門。これまで上場企業を含め1000名以上の社長に経営戦略を取材。

カルビー、なぜフルグラ大ヒット?透ける経営改革と「脱ポテト王」、世界企業への脱皮のページです。ビジネスジャーナルは、企業、, , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!