
本連載第1回目の原稿を書いた後、早速、知人からこんなことを言われた。
「『病院に殺されないための心得』とか『がんは放置しておくべきで医者なんかにかかっちゃダメだ』とか、こういう類のアンチ医者本がいっぱい出版されているじゃないですか? 北條さんは『医者に盲目的に従ったほうが結局は得をする』と言い切っちゃっていましたね。でも、『医者の言うことに従うと殺されてしまう』という本とは真逆です。北條さんの言うことは本当ですか?」
物事は個人の視点で眺めた場合と、全体を眺めた場合とでは大きく様相が異なってくる。この辺を理解しないと、取り返しのつかない過ちを犯す。医療の場合、患者の視点というのはもちろん大切で最も尊重すべきものである一方、大所高所から俯瞰する見方も必要だ。
この見方を公衆衛生学という。統計学的手法を駆使し、疾病の原因や予防を究明しようとする学問であり、医師国家試験でも重要な位置を占めている。また、ほとんどの国の医療関連の委員会には医療統計学や公衆衛生学のエキスパートが招聘されていることからも、医療の質を論じる際、いかにこの統計学的考察が重要であるかが理解できるであろう。
話を元に戻そう。私の言う「医者に盲目的に従ったほうが結局は得をする」とは、この統計学的な見解であり、「医者の言うことに従うと殺されてしまう」とは、医療過誤によって文字通り殺されてしまった患者遺族による極めて属人的な感情である。
この原稿を書いている時点で、この属人的な患者感情と、統計学的な見解の対立から引き起こされたニュースが私に飛び込んできた。イギリスがEUを離脱するという大ニュースの陰で、この小さな医療ニュースはひっそりと報道された。
それは、「子宮頸がんワクチンの副反応と考えられたしびれ、痛みなどと、このワクチン接種には明らかな因果関係は認められない」という見解(子宮頸がんワクチンの安全宣言)が、実質上撤回されたというニュースだった。
「医者に盲目的に従ったほうが結局は得をする」という統計学的な見解と、「医者の言うことに従うと殺されてしまう」という属人的な患者感情の対立が基本にあり、「医者の言うことに従うと殺されてしまう」という感情が勝利したというニュースとも見て取れる。