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高橋篤史「経済禁忌録」

あの有力企業も被害に…一大詐欺グループ「バンリ」の全容、巨額のカネはどこに消えた?

文=高橋篤史/ジャーナリスト
あの有力企業も被害に…一大詐欺グループ「バンリ」の全容、巨額のカネはどこに消えた?の画像1旧日本振興銀行の看板(「Wikipedia」より/Katorisi)

 香港での投資を謳っていた「バンリ・グループ」の落合文太郎元代表が1月中旬、詐欺容疑で警視庁に逮捕された。2月1日には再逮捕され、当局による厳しい追及が続いている。

 一般にはほとんど名前が知られていない人物だが、旧日本振興銀行の発起人だった落合伸治氏の実父として、一部の間では知る人ぞ知る存在だ。2007年秋に伸治氏が関係者の前から忽然と姿を消したのに続き、文太郎元代表もまた12年秋頃に投資家から数十億円のカネを集めたまま失踪していた。被害を受けたなかには、北陸の名士的存在ながら粉飾決算が発覚し12年に経営破綻した小野グループも含まれていた。
 
 文太郎元代表は1945年に宮崎県で生まれた。地元の高校を卒業して製紙会社で2年ほど働いた後に上京、最初は寝具卸業や宝石店経営などを手掛けたようだ。そんななか、旧東京相和銀行の実力者、長田庄一氏(故人)と親密な関係を結ぶようになり、熱海で会員制リゾートホテル開発に乗り出すなど金融・不動産業者としてのし上がっていった。

 とはいえ、それはバブル最盛期の話で、それが崩壊するや、文太郎元代表は経営していた「太平産業」ともども92年に破産してしまう。それと入れ替わるように業容を広げたのが、長男の伸治氏が立ち上げた貸金会社「オレガ」だった。まだ30代だった伸治氏は2003年、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった金融コンサルタントの木村剛氏を口説いて新銀行設立を目指し準備会社「中小新興企業融資企画」(のちに日本振興銀行)を設立、社長に就任した。

 こうした経緯から新銀行構想をめぐっては当初、伸治氏の背後で文太郎元代表が糸を引いているのではないかと一部で囁かれていた。後のことだが、文太郎元代表自身もそうした見方を肯定するような素振りを周囲に見せていたようだ。もっとも、旧日本振興銀行では営業開始初年度の04年に内紛が勃発、結局、伸治氏は招き入れたはずの木村氏によって追い出されることとなる。

バンリ・グループの誕生

 そうした間に文太郎元代表が復活を目論み活動を本格化させたのがバンリ・グループだった。根城としたのは東京・新川のビルで、01年の入居後、順次、賃借フロアを増やし、多い時には5フロアを借りるほどだった。伸治氏も3階部分を自宅として05年まで使用していたようだ。中核会社の「バンリ」を始め、「万里堂」や「新歌劇舞踏団」など関連会社は10社ほどに上った。

高橋篤史/ジャーナリスト

高橋篤史/ジャーナリスト

1968年生まれ。日刊工業新聞社、東洋経済新報社を経て2009年からフリーランスのジャーナリスト。著書に、新潮ドキュメント賞候補となった『凋落 木村剛と大島健伸』(東洋経済新報社)や『創価学会秘史』(講談社)などがある。

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