1998年に破産手続きが終結となった文太郎元代表がいかにして復活の足掛かりを得たのかは不明な点が多いが、主に行っていたのは卸金融業だったとみられる。金融機関などから調達した資金を中小の貸金業者に貸し付けるビジネスだ。なかでも多額の資金を投じたのは、北海道旭川市に本社を置く「センチュリー」という消費者金融業者だった。文太郎元代表は「アソシエーション」というグループ会社を窓口に投資家約10名から27億円を集め、センチュリーに注ぎ込んでいた。
センチュリーが所有していた旭川市内の旧本社ビルの不動産登記簿を見ると、文太郎元代表の「バンリ総研」(のちにバンリに社名変更)を債務者に東京都内の貸金業者が極度額5億円の根抵当権を設定していた時期がある。担保提供させるほどだから、当時、文太郎元代表はセンチュリーの黒幕と呼ぶべきほどの存在だったのだろう。
カネ集めの実態
しかし、歯車は大きく狂い始める。センチュリーは韓国に進出したものの大失敗。会社の屋台骨が揺らぎ、08年4月には本社ビルが差押えを受けるほどの窮状に陥った。当時、バンリ・グループは総額35億円ほどを貸し付けていたともされるが、その大金が回収不能になってしまったのである。
そこで文太郎元代表が起死回生を狙ってぶち上げたのが、「香港金融プロジェクト」なる投資話だった。現地では日本より高い金利で消費者金融業が行えるため、融資をしてくれれば高い利息が払えると、伝手を頼りに個人投資家らからカネを集め始めたのである。約束した利息は相手によって異なるが、概ね年利12~17%といったところ。08年6月には同じ名称の法人を日本で設立、さらに香港には「萬里國際金融有限公司」と「萬里路国際(香港)有限公司」なる現地法人を設立した。
関連する民事事件の記録によれば、カネ集めの実態はこんな具合だ。09年4月、文太郎元代表は銀座でレストランを営む知り合いに話を持ちかけた。金額は1000万円で、希望したのは現金での受け渡し。約束した利息は毎月10万円。借用証書では文太郎元代表も個人で連帯保証した。また、自身が入会していたライオンズクラブの伝手も頼った。そうやって100万円や200万円といった小口のカネも幅広く集めていた。
しかし、ほどなくして投資家への利払いはストップしてしまう。前述のレストラン経営者の場合、契約から4カ月後には利払いがなくなり、文太郎元代表との連絡も取れなくなってしまった。東京・新川のビルに事務所はあったものの、本人はいつも不在だった。