資生堂の魚谷雅彦社長の2024年までの続投が決まった。14年の就任から10年間トップを務めることになる。1987~97年に社長だった創業家出身の福原義春氏以来の長期政権となる。9月26日、社外取締役だけで構成する役員指名諮問委員会の答申に基づき、取締役会で執行役員社長として再任が決定した。同委員会は再任の理由を「さらなるグローバル化を加速するための成長戦略を策定・実行していく難易度を考慮すると、魚谷社長の任期を継続することが最良」とした。資生堂の執行役員の任期は延長しても6年。魚谷氏は2019年度が6年目となるため、異例の続投となる。
マーケティングのプロに資生堂ブランドの再生を託す
資生堂は日本コカ・コーラで数々のヒットCMを手掛けたマーケティングのプロ、魚谷氏にブランド再生を託した。魚谷氏はライオン歯磨(現ライオン)を振り出しに、シティバンク、スイスに本社を置く世界的なチョコレートメーカーの日本ヤコブス・スシャール、クラフト・ジャパン、日本コカ・コーラと5つの会社でマーケティングの腕を磨いてきた。
コカ・コーラは1980年代の成長を支えた缶コーヒー「ジョージア」が伸び悩み、続く大型商品が育たずに苦しんでいた。同社は94年5月、魚谷氏に上級副社長・マーケティング本部長のポストを用意した。彼のデビューは衝撃的だった。入社して2週間後、「缶コーヒーのCMを中止する」と言いだした。米国で予定していた秋冬向けのCM撮影もキャンセル。数千万円の広告費を無駄にした。ジョージアは国内缶コーヒー市場で43%のシェアを持つトップブランドだったが、他社を圧倒する数の自動販売機のおかげだった。ブランド力ではサントリーの「BOSS」に負けていた。
系列のボトラーは「飲料ビジネスの経験のない若造に任せて大丈夫か」と反発した。新しい企画案がまとまる8月末まで、魚谷氏は市場調査とその分析に明け暮れ、いつしか社内に「24時間働く男」という伝説が生まれた。のちに資生堂に落下傘社長として降り立った時も、まったく同じだったという。
9月第1週にボトラーの決起大会を開き、飯島直子が出演するCMを流した。会場からどよめきが起き、魚谷氏は握手ぜめにあった。9月下旬から実施したキャンペーンは、それまでの常識を覆すものだった。懸賞で当たるのは原価が1万円はする冬物コート。「ジョージア」に付いたシールを数枚集めて応募するのだが、95年は3400万通、96年は4400万通の応募が殺到した。このキャンペーンで売れた「ジョージア」は2億6000万缶。金額にして300億円を突破した。無名だった飯島を「癒し系女優」として一躍、人気者にした。「ジョージア」のシェアは3年後に53%と10ポイント高まった。