早期教育が大流行である。子育て雑誌を見ても、インターネットの子育てサイトを見ても、幼児期からの教育が大事だというような記事や広告が目立つ。乳児期からの教育の必要性を説くものもある。
早期教育というのは、乳幼児期から才能開発あるいは就学後の学習の先取りを目的として行われる教育のことだが、今では多くの子どもたちが学習塾などで早期教育を受けている。
では、そうした早期教育には効果があるのだろうか。どんな早期教育をさせるのがよいのだろうか。子育て中の親としては、それは非常に気になることのはずだ。
だれもが我が子に早期教育をさせる時代?
周囲を見回すと、だれもが子どもを学習塾に通わせたり、習い事に通わせたりしている。子どもによっては、週に3日も4日も通っていたりする。それをみると、我が子も何かやらせなければと焦ってしまう。でも、毎日楽しく遊んでいた自分の子ども時代と比べて、なんだかかわいそうだなと思ったり、こんな窮屈な生活をさせていいのだろうかといった疑問もある。そんな思いを抱く母親も少なくないようで、子育て雑誌や子育てサイトの取材を受けることがある。
疑問を持つのは大事なことである。幼い頃の経験がその後の人生を大きく左右することもあるのだ。子どものためを本当に思うのであれば、後れを取ったら大変だとひたすら流れに乗るのではなく、立ち止まってじっくり考えてみる必要がある。
なんでも儲けにつなげようとする時代である。必要とされるサービスがあれば、すぐにそれをビジネスにつなげようとする。というよりも、ビジネスにできそうなサービスを構築し、消費者がそれを必要と思うように導く。
子どもの将来に期待する親が多いことから、子どもビジネスを手がける業者が、あの手この手を使って教育熱心な親たちの危機感を煽り、早期教育に駆り立てようとする。我が子に早期教育をさせて良かったという体験談を読んだり、だれもが早期教育に通わせているように匂わす記事を読んだりして、自分も子どもに早期教育をさせないとと焦る親も少なくない。
早期教育に効果はあるのか?
今やそこらじゅうで行われている早期教育だが、本当に効果があるのだろうか。
結論から言えば、効果はある。学習塾でも、ピアノ教室でも、スポーツ教室でも、英会話教室でも、いい加減なところは別として、多くの場合はちゃんとした教材やプログラムに従って、熱意ある講師や指導者が行うのだから、効果があるはずだ。
学習塾で文字を教わった子は、周囲の子たちが文字が読めず絵本を親に読んでもらったりしているのに、自分で読めるようになる。計算を教わった子は、周囲の子たちが足し算も引き算もできないのに、それができるようになる。ピアノ教室に通っている子はピアノを弾けるようになるし、水泳教室に通っている子は泳げるようになる。英会話教室に通っている子は、周りの子たちが英語などまったくわからないのに、簡単な英単語を言えるようになるし、英語で簡単なあいさつくらいできるようになる。
子どもによって習得の速度には差があるものの、習うことでできるようになる。習っていない子ができないことまでできるようになる。
その意味では、早期教育に効果があると言わなければならない。ゆえに、子どもビジネス業者の宣伝文句に嘘はない。
ただし、ここでもう少し立ち止まって考える必要がある。それは、効果があるのが確かなら、早期教育を受けさせたほうがよいのか、という問題である。
じつは、そうとも言えないのである。
「効果がある」と「意義がある」の違い
そこで目を向けなくてはならないのが、「効果がある」ということと「意義がある」ということの違いである。考えなければならないのは、みんなが文字が読めないのに文字が読める。みんなが計算ができないのに計算ができる。それにどれだけの意義があるか、ということだ。
いずれ小学校に行くようになれば、だれもが文字が読めるようになり、計算ができるようになる。つまり、すぐに追いつかれてしまうのである。さらに先に進めばよいというかもしれないが、それだっていつかは追いつかれる。はじめのうちは勉強とかで先行していた子が、やがて追いつかれ、追い抜かれていく姿を、自身の子ども時代に間近で見たことのある人も少なくないのはないだろうか。
ここで注目すべきは、ノーベル賞を受賞したヘックマンによる、乳幼児期における教育の効果についての研究である。簡単にその結果を要約すると、3歳のときから2年間、幼児教育を受けた子どもたちのIQは著しく伸びており、受けていない子たちとの間に明らかな差がみられた。その意味では、やはり早期教育には効果があることが再確認された。
だが、IQ面での効果は長続きしなかった。2年間の介入終了後は、両者の差が徐々に縮まっていき、8歳の時点では差がなくなってしまったのである。つまり、早期教育が知的能力を向上させる効果は一時的なものにすぎず、小学校中学年の頃には効果は消えてしまったのだ。
幼い頃に身につけさせるべきことは別にある
では、幼児期にはどんなことを学ばせることが大切なのだろうか。それは、今の若者にみられる問題を思い浮かべれば、ある程度見当がつくはずだ。
企業の採用においてもっとも重視されるのがコミュニケーション能力である。ここからわかるのは、コミュニケーションが苦手な若者、臨機応変のコミュニケーションができない若者があまりに多く、企業の側は、そうした新人に頭を悩ませているということだ。
学習塾や習い事だらけで、友だちと思う存分遊ぶ経験を積んでいなければ、人との距離の取り方を体得できないのももっともなことである。遊んでいれば自然に身につくことが、遊び経験が十分でないと身につかないままに大きくなってしまう。私が相手にしている学生たちのなかにも、友だちとの距離の取り方に頭を悩まし、そのままでは社会に出て社内の人や取引先の人とかとうまくつきあっていく自信がないし、就活突破も難しいのではないかなどと、深刻に悩んでいる者もけっして少なくない。
勉強をしなければとは思うのだがやる気が出ないという学生も結構いる、というより多数派かもしれない。早期教育が盛んになってから、勉強好きが増えたかというと、むしろ勉強嫌いが増えているようにも思える。
ここで問題なのは、すべきことにモチベーションを高めて取りかかれるかどうか、それに集中できるかどうかということである。それもひとつの能力と言える。
では、そういう能力はどうして身につくのか。それは、好きなことに熱中する経験の積み重ねによって身につく面もある。子ども時代にもっとも集中できるのは遊びだろう。友だちと思い切り遊ぶ経験を積むことは、コミュニケーション力の向上に役立つだけでなく、集中力の向上にも役立つ。遊びは子どもたちにとって、強制されるものではなく自発的なものである。ゆえに、思い切り遊ぶことは、自発的に動く経験を積むことでもあり、自発性の獲得にもつながる。
このようにみてくると、子どもが幼少期にかつては自然に身についたことが身につきにくくなっていることがわかるだろう。
我が子が将来すべき勉強や仕事をきちんとこなし、人間関係もうまくこなしていけるようになることを願うなら、早期教育の流行に踊らされず、子ども時代にしかできない経験を十分にさせることが大切である。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)