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松本典久「山手線各駅停車」

新大久保、駅開業から100年、異国情緒漂う“アメージングな街”を生んだ歴史

文=松本典久/鉄道ジャーナリスト
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新大久保駅ホーム。わきを湘南新宿ライン&埼京線と西武新宿線が通過する。

 新大久保駅は、新宿駅と高田馬場駅の間にあるJR山手線の駅だ。駅のわきを湘南新宿ラインや埼京線、さらに西武新宿線の電車も行き来しているが、当駅に発着するのは山手線だけ。ホームは島式1本だけ、改札口も1カ所という小ぢんまりとした駅だ。南隣の新宿駅が、世界一の利用者をほこる巨大ターミナルということもあり、山手線のなかではいささか影の薄い存在でもある。

 実際、JR東日本の2018年度統計で見ると、新大久保駅の1日平均乗車人員は、定期外3万2,751人、定期1万8,686人で、合計5万1,438人。山手線29駅のなかでは25番目となる。JR東日本全体で見ると第97位、中央線の高円寺駅や常磐線の金町駅に続く規模となっている。

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新大久保駅駅名標。

 近年の動向をみると10年ほど前までは3万人台だったが、その後、増加傾向にあり、2018年度統計では前年比6.7%というなかなかの増加率だ。特に定期外の利用者の伸び率が高く、このあたりに新大久保駅の姿が見えてくるようだ。

 新大久保駅は東西に走る大久保通りに直結している。この通り沿いに飲食店が連なり、独特な活気を見せるエリアだ。右方向、山手線のガードをくぐって進むと、韓国料理店や韓流グッズ店が続く。東京でも有数のコリアタウンとなっているのだ。ハングル表記も多く、釜山やソウルの街中を歩いているような異国情緒が漂う。また、駅から左方向、あるいは南側の職安通りに向かって中国やタイをはじめとしてミャンマーやトルコなどアジア各国の民族料理店も多く、新大久保駅を中心に多国籍な街となっているのだ。

 この多国籍文化の繁栄は、新大久保駅のある新宿区の人口統計からも読み取れる。2019年1月、東京都内に暮らす外国人は55万という大台に乗ったが、新宿区では1月現在4万3000人が暮らしており、新宿区の人口の12.4%が外国人となっている。江戸川区や豊島区も外国人の多いことで知られているが、新宿区は人口実数、比率とも突出しているのだ。新宿区内の町別にみると、大久保が最も多く、隣接している百人町や北新宿あたりに集中している。いずれも新大久保駅に隣接した町だ。

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新大久保駅界隈は外国の飲食店が多く、アジアの街角という異国的な雰囲気。

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横道に入るとさらにアジア系の生活感が増す。

増加した日本語学校

 こうした外国人の集中は2000年ごろから加速しているが、実は半世紀近い歴史がある。1950(昭和25)年、新大久保駅そばの百人町に菓子メーカー・ロッテの工場が新設された。当初はここに本社も置かれ、ロッテの拠点としてチューインガムなどの製造を開始している。そして2013年の生産拠点再編まで長らく操業され、盛期は菓子の甘い香りが漂う町としても知られていたのである。この工場で働くため、在日韓国人・朝鮮人が集まり、これが外国人集中のきっかけになったといわれている。

 また、新宿区内の専門学校は留学生を受け入れる学校が多いことも特徴になっている。百人町にある日本電子専門学校は、1960 年代から留学生を受け入れ、1970 年代に留学生担当部署も設置している。また、立地は新宿駅が最寄りとなるが、東京モード学園やHAL東京も留学生が多い。こうしたことから日本語学校が増え、さらに定住者が増えたことで母国語である外国語を教える学校も多い。

 その嚆矢となったのは、現在、高田馬場を拠点としている新宿日本語学校で、1975年に西新宿で開校した。現在、新宿区内には日本語学校だけで五十数校があり、その多くが新大久保駅の周辺に立地しているのだ。結果として就労および留学が増えたが、2000年以降は永住も増え、新宿区に住む外国人の新たな動きとなっている。

 こうした人口動向を反映するかたちでコリアタウンが発達してきたが、2004年の冬ソナブームで「韓流」が大流行、韓国料理店がさらに増えた。ただし、2012年にはブームが減速、新宿韓国商人連合会によると2011年には500店舗あった焼肉店や商店などが、2012 年には300店まで激減、代わりに東南アジア系料理店が増えたという。近年は韓国からのフランチャイズチェーンの出店などもあり、やや盛り返しているそうだ。

列車非常停止ボタンやホームドア普及の原点

 新大久保駅が開設されたのは、1914(大正3)年11月15日のことだった。至近に中央線の大久保駅があるが、こちらは1895(明治28)年に開業しており、当駅には差別化のため「新」が冠された。JRや私鉄では駅名に「新」を冠して区別する例が多いが、新大久保駅はその嚆矢ともいえる存在だ。

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新大久保駅そばの皆中稲荷神社。変わりゆく街中に日本の寺社もひっそり残る。

 ちなみに新大久保駅が誕生した1914(大正3)年当時、「山手線」という線名は使われていたが、まだ上野~神田間の線路がつながっていなかったため、環状運転は行なわれていない。すでに電車運転は始まっていたが、品川~赤羽間を結ぶSL牽引の列車も運転されていた。東京といえどもまだのんびりした時代だったのである。

 ちなみに新大久保駅から山手線の内側に位置する戸山公園は、江戸時代の尾張藩の下屋敷の名残で、明治時代には一体が陸軍の軍用地となっていた。新大久保駅は軍関係者の足として山手線を活用する玄関口でもあったのだ。

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新大久保駅ガード下。
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大久保駅ガード下(鉄砲組百人隊の図)。

 また、江戸時代にさかのぼるが、新宿は内藤新宿と呼ばれる甲州街道の宿場町でもあった。江戸城を守る西の拠点として「鉄砲組百人隊」が置かれ、現在の百人町一体に屋敷が与えられていた。百人町の地名はこれにちなんでいる。新大久保駅のすぐそばに皆中稲荷神社があるが、これは鉄砲組百人隊の信仰を集めた神社として有名だ。「皆中」には「みなあたる」の意味を重ね、百発百中の腕前が約束されるというものだ。このほかにも界隈には寺社仏閣が点在しており、当地の歴史を感じさせる。近年、道教の廟もつくられたが、これも外国人が増えてきたことを象徴しているようだ。

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新大久保駅そばの北向観世音菩薩。なぜか厳重な柵で覆われている。

 また、戸山公園に隣接して早稲田大学もあり、明治末期には早稲田大学で教鞭をとっていた坪内逍遥を中心として文士たちが集まってきた。大久保エリアに居を構える文士も多く、国木田独歩の「大久保会」、茅原茂の「大久保文学倶楽部」といった文学サロンも誕生している。

 1919(大正8)年、中央線が神田駅を経て東京駅までつながったことで、山手線と中央線は中野~新宿~東京~品川~新宿~池袋~上野間のいわゆる「の」の字運転を開始。さらに1925(大正14)年から現在のような環状運転が始まった。また、同時に客貨分離に向けた複々線化も進められ、新大久保駅のわきに現在、湘南新宿ラインや埼京線の走る通称「山手貨物線」が完成している。ちなみに西武新宿線が新大久保駅のわきを走るようになったのは、1952(昭和27)年の高田馬場~西武新宿間延伸開業からだ。

 2001年1月26日、新大久保駅ではホームから乗客が転落する事故が発生した。転落を目撃した韓国人留学生と日本人が救助のために線路上に下りたが、結果として3名の命が失われた。この事故を受けて国土交通省は、危険性の高い駅について「駅ホーム上に列車非常停止ボタンを設置、または転落検知マットを整備」「プラットホーム床下に退避スペースを確保」という対策を取るよう全国の鉄道事業者に指導している。新大久保駅では同年中に列車非常停止ボタンとホーム下の退避スペースが設置され、さらに2013年にはホームドアも設置された。現在、列車非常停止ボタンやホームドアは全国的に広まっているが、これも新大久保駅の尊い犠牲が活かされたということを忘れられない。

(文=松本典久/鉄道ジャーナリスト)

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しあわせ薬師如来。
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今では道教の廟もある。東京媽祖廟。

松本典久/鉄道ジャーナリスト

松本典久/鉄道ジャーナリスト

1955年、東京生まれ。出版社勤務を経て、1982年からフリー。鉄道や旅をテーマとして、『鉄道ファン』『にっぽん列島鉄道紀行』などにルポを発表するかたわら、鉄道趣味書の編集にあたる。
著書に『消えゆく「国鉄特急」図鑑』(共著、2001年)、『SLが走る名風景』(共著、2001年)がある。

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