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山田修「間違いだらけのビジネス戦略」

誰も知らない「コニカミノルタの奇跡」…企業消滅の危機乗り越え、超グローバル企業に変身

文=山田修/ビジネス評論家、経営コンサルタント
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コニカミノルタジャパンが所在する浜松町ビルディング(「Wikipedia」より/Lover of Romance)

 松崎正年コニカミノルタ取締役会議長は今年6月、LIXILの株主総会が行われる直前に新取締役候補として会社側から推挙された。会社側が選定した候補が取締役会で多数を占めれば、新CEOに就任するとも目され注目を浴びた経営者だ。

 松崎氏はコニカミノルタではどのような経営実績を上げ、どのような経営スタイルをとっていたのだろうか。松崎氏の話を聞く機会があったので、振り返ってみた。すると、業績としては突出したものはなかったが、企業の変革期にあって堅実な手綱さばきを見せ、コニカミノルタの事業ポートフォリオの組み替えに成功したことが見て取れた。

LIXILのお家騒動に担ぎ出された著名経営者

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『残念な経営者 誇れる経営者』(山田修/ぱる出版)

 株主総会の季節である6月、今年最大の話題というか騒動が、LIXILでの取締役選任争いだった。それに先立ち、LIXILの創業家で元CEOの潮田洋一郎氏による瀬戸欣哉CEO解任が不当だったと私は評論してきた。瀬戸氏はカムバックを目指し、6月の株主総会に向けて自身を含む8名の取締役候補を選定して、株主及び社会に対して自陣営の正当性と支持を訴えていた。

 すると、会社側も8名の取締役候補を立てて瀬戸氏に対抗してきたのである。当時の会社側というのは潮田氏側に近いと目されていて、いわば「体制派」あるいは「守旧派」と解されていた。そのなかに、というか中心的人物として松崎氏が登場したわけだ。

 潮田氏は瀬戸氏側の反撃などがあって、株主総会を待たず自らCEOを降板したが、与党的な取締役会を組織して院政経営を敷くのではないかとの推測もされていた。会社側の取締役候補となることは、潮田氏の「傀儡政権」と見られる恐れがあった。そんな構図のなかで瀬戸氏への対抗馬として、あえて会社側から擁立される著名経営者が出現したことに私は興味を抱いた。「いったい、どんな了見で」と、素朴に思ったものだ。

 LIXILの株主総会では瀬戸氏側が勝利してCEOに復帰し、松崎氏は取締役会議長に収まった。両者が手打ちをしたようなかたちでLIXILの経営は始まっている。

 新体制におけるLIXILの業績推移にも興味が持たれるが、私は担ぎ出されて登場した松崎氏に興味があり、注目していた。先日とある会で松崎氏が講演をするというので、そのご尊顔を初めて拝むことができた。同氏についての私なりの印象と、松崎氏のコニカミノルタでの経営実績を評してみたい。

コニカミノルタでのCEOとしての実績は平板

 過日の講演で初めて拝見した松崎氏の印象は、私が想像していたような経営者像とは違った。修羅場を買って出るような、パワフルでエネルギッシュ、脂ぎったような生臭さを感じさせないご容貌であり、お話しぶりだった。

 松崎氏が取締役会議長を務めているコニカミノルタは、2003年にコニカとミノルタが合併して誕生した。同氏はコニカの前身、小西六工業に新卒入社した、プロパー従業員経営者だった。東京工業大学院で電子化学を専攻していた理系の経営者らしく、ロジカルな話の展開、ビジネス事象への分析的なアプローチ、そして明晰な説明が、その端正な風貌と相まって、精力的な剛腕経営者というより大学の教授が登壇しているような印象を与えていたのである。

 松崎氏の経営者としての通信簿を振り返ってみたい。松崎氏は14年にコニカミノルタの取締役会議長になるまで、09年から同社のCEO社長を務めていた。09年3月期、つまり「松崎CEO直前」の同社の年商は9,478億円、経常利益は454億円だった。一方、「松崎CEO直後」である15年3月期の年商は1兆28億円、経常利益は599億円だった。在任6年間で年商は5.8%、経常利益は31.9%の伸びである、というかそれしかない。いわゆる「中興の祖」的な業績飛躍はなかった。

 株式市場の評価も業績の推移とほぼ同様だった。CEO就任直前の09年6月5日の同社の株価はその年の高値、1,077円だった。そして退任直後の14年5月23日には885円と就任時より2割以上下落している。皮肉なことに、松崎氏がCEOを退任すると15年5月29日は1,568円という同年高値が出ている。

 栗木契神戸大学大学院経営学研究科教授は、同社の09年から12年までを「停滞期」と評する一方、13年、14年は「躍進期」だとしている(19年6月26日付PRESIDENT Online『7年で約2倍コニカミノルタ欧州の大成長 リポジショニングで新顧客を開拓』より)。

「イノベーションのジレンマ」の洗礼からの立て直し

 松崎CEO時代のコニカミノルタの業績は、成長という観点からは見るべきものがない。しかし、この会社の場合、「成長」以上に重要な経営要素がこの時期に存在した。それは企業としての「生存」そのものだった。

 コニカミノルタは03年にコニカとミノルタが経営統合して発足した(当時の社名はコニカミノルタホールディングス)。コニカの主要ビジネスはカメラ用銀塩フィルム、ミノルタはカメラ・メーカーの雄だった。ところがこの両社とも、統合の前からある新技術によって業績を急激に落としてきていた。

 両社を統合まで追い込んだ新技術はデジタルカメラだった。デジカメの出現、そして普及により銀塩フィルムを使っていた従来型カメラの需要は限りなく減少し、両者のマーケットは壊滅したわけだ。コニカミノルタは、前身2社の主要ビジネスだった銀塩フィルムとカメラの両方から06年に撤退している。

 ある産業でそれまで勝ち組だった企業が、新技術の出現にもかかわらずその領域に参入することなく敗退していく現象は、「イノベーションのジレンマ」として知られている。コニカミノルタにおける銀塩フィルムとカメラの両ビジネスは、まさにこの「イノベーションのジレンマ」により敗退していったのである。

 銀塩フィルムの主要プレイヤーで生き残った優良事例としてよく知られているのが、富士フイルムだ。富士フイルムでは、古森重隆会長の先見の明と強いリーダーシップにより業態の完全な入れ替えに成功して、その後の急成長を実現している。同社のように「企業ドメイン(ビジネスを展開する領域)」を変革する例は「転地経営」ともよばれる。

 コニカミノルタの場合は、富士フイルムの事例ほど転身を華麗に果たしたわけではない。しかし、同じ領域ではアメリカのコダックの例もあった。コダックはアメリカにおいて「ブルーチップ(優良企業)」の代表例とも謳われていたが、「イノベーションのジレンマ」の前に為すすべなく、マーケットから退場していった。

 富士フイルムの場合を例外的な成功例と見れば、「あのコダックも倒産したビジネス状況下で」コニカミノルタが生存を続け、曲がりなりにも年商を拡大しているのは実は驚異的なこととも評価できる。この状況を「コニカミノルタの奇跡」と呼ぶならば、その奇跡は果たして松崎前CEOがもたらしたといってよいのだろうか。

 講演で松崎氏は「業界外の技術進歩により当社のビジネス構造が変革された」と述べたが、それに対する大きな対処は、実は松崎氏以前に始まっていたようだ。

「当社は、ポスト銀塩フィルム、ポスト・カメラ時代の施策として独自路線、すなわち『ジャンルトップ戦略』を採用している」(松崎氏)

 同社の歴史を紐解くと、同社のサバイバルを担保した「ジャンルトップ戦略」は松崎氏の前任CEOだった太田義勝氏のリーダーシップによるものらしい。ちなみに、「ジャンルトップ戦略」とは、松崎氏の話を聞いた限りではランチェスター戦略の援用と私には思えた。つまり正しい戦略を選択したな、と思ったわけである。

 変革期に底に沈むようなことなく「停滞期」を乗り越えると、13年からの「躍進期」を松崎CEOが主導したようだ。

整理する理系経営者

 松崎氏は、「09年のCEO着任の前、08年にリーマンショックがあった。あの状況下で、当社が持続的に成長するためには何を優先するか」を考え抜いたという。そしてたどり着いた3つの結論があったという。

「継続的なイノベーション、社会の発展に寄与する、そして企業価値を増進する」というものである。前述の「ジャンルトップ戦略」と合わせて、これらの原則によって同社は「事業の立ち位置」を変えて現在前に進んでいるそうだ。

 松崎氏の説明によれば、同社の主要成長事業である光学事業とヘルスケア事業でも、そのビジネス内容での変革を主導しているとのこと、すなわち「立ち位置を変えている」とのことだった。

「立ち位置を変える」というのはマーケティングで「ポジショニング」としてよく使われる概念である。前述の「ジャンルトップ戦略」がなんということはない、ランチェスター戦略だったことと合わせて、この会社の経営陣は戦略用語あるいは知識を知らないのか、あるいはあえて気取った言い方を選んでいるのか。

 コニカミノルタについて私が知らなかったことのひとつが、同社の突出したグローバル化である。いまではその年商の約80%、社員の約70%が日本以外だそうである。同社の株式保有も約40%が海外投資家によるものだとか。そんなダイバーシティが進んでいる大組織を率い、ビジネス・システム全体の最適化と経営リソースの最適活用を目指す、と松崎氏は明言していた。

 全体的な印象として、松崎氏は理系の経営者らしく、状況の論理的分析に長け、かつそれを優先度などにより整理して分かりやすく展開できる。教授のようだとした私の第一印象はきっと当たっているのではないか。コニカミノルタのような事業と技術のポートフォリオ、そしてダイバーシティが特徴となった企業では、松崎氏のような経営トップが機能するのかもしれない。

 それにしても、1兆円企業で5年間CEOを務め上げた経営者が、なぜ今さらLIXILのCEO候補として担ぎ出されたのか。それはやはりCEO、経営トップの席に座るというのは「蜜の味」なのだ。

 松崎氏がLIXILの新しい取締役会議長として、瀬戸CEOを強力に補佐して同社の発展に貢献していただくことを望む。

(文=山田修/ビジネス評論家、経営コンサルタント)

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山田修/経営コンサルタント、MBA経営代表取締役

山田修/経営コンサルタント、MBA経営代表取締役

経営コンサルタント、MBA経営代表取締役。20年以上にわたり外資4社及び日系2社で社長を歴任。業態・規模にかかわらず、不調業績をすべて回復させ「企業再生経営者」と評される。実践的な経営戦略の立案指導が専門。「戦略カードとシナリオ・ライティング」で各自が戦略を創る「経営者ブートキャンプ第12期」が10月より開講。1949年生まれ。学習院大学修士。米国サンダーバードMBA、元同校准教授・日本同窓会長。法政大学博士課程(経営学)。国際経営戦略研究学会員。著書に 『本当に使える戦略の立て方 5つのステップ』、『本当に使える経営戦略・使えない経営戦略』(共にぱる出版)、『あなたの会社は部長がつぶす!』(フォレスト出版)、『MBA社長の実践 社会人勉強心得帖』(プレジデント社)、『MBA社長の「ロジカル・マネジメント」-私の方法』(講談社)ほか多数。
有限会社MBA経営 公式サイト
山田修の戦略ブログ

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