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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

クラシックオーケストラと指揮者が交わす契約書、巨額賠償金を回避する“不可欠な”条項

文=篠崎靖男/指揮者
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【完了・8日掲載希望】クラシックオーケストラと指揮者が交わす契約書、巨額賠償金を回避する不可欠な条項の画像1
「Getty Images」より

「甲、または乙のいずれかが、不可抗力により、やむを得ず本契約の実行が不可能となった場合は、甲乙協議の上、契約を更改、または中止とすることができる。その場合、双方ともその相手に対して、賠償の責任を負わないものとする」

 これは海外でも日本でも、指揮者契約書に書かれている条項のひとつです。ちなみに僕は来週、海外で仕事をするのですが、海外での仕事を任せている英国のマネージャーがつくった契約書を見てみると、「Act of God」という言葉が「不可抗力」の意味で使われています。直訳すれば「神の所為」という意味ですが、地震、洪水、台風はもちろん、戦争、紛争、テロ、動乱、伝染病、交通ストライキ、交通機関の運行支障も、すべて不可抗力、すなわち「神の所為」となります。イスラム教徒が、何か起こった場合に「アラーの思し召し」と言うのと同じく、キリスト教徒が主流の欧米でも、不可抗力を神様のせいにしてしまうのです。しかし、戦争や交通ストライキは人間が起こすことなので、なんでも神様のせいにしてしまうのは、神様もやりきれないでしょう。

 実は、日本のマネージャーが作成した契約書にも同じ項目が書き込まれていますが、簡単に言うと、次のような内容です。

「指揮者、またはオーケストラのどちらかが不可抗力より、演奏会ができなくなった場合には、違う日程に延期するか、演奏会自体をキャンセルしてもよいことにしましょう。そして、双方とも賠償の責任は負わないことにしましょう」

 演奏会のキャンセルは指揮者にとって、絶対的に避けたい事態です。演奏機会も収入もなくなってしまうからです。一方のオーケストラも、チケットはすでに販売していますし、収入どころか、それまでに使った経費、たとえば広報や会場費、事務所の人件費などを考えれば、むしろ大損害です。とはいえ、不可抗力なので誰が悪いわけでもなく、双方痛み分けということになります。

キャンセル対応でマネージャーが活躍

 このような不測の事態が起きた場合の対応をあらかじめ取り決めておかないと、「確かに指揮者が来られなかったのは航空会社のストライキの影響かもしれないけれど、こちらも大損害なので補償してくれ」という主催者や、「こっちは準備万端だったのに、台風ということで中止を決めたのはそちらだ」と言い出すアーティストがいないとも限りません。特に日本は、秋の大型台風や大地震などの天災で演奏会がなくなることが多い土地柄です。

 とはいえ、プロの指揮者とオーケストラならば、お互いの常識の範疇で友好的に処理することができるわけですが、プロの音楽家と仕事をしたことがない団体とも仕事をすることがありますし、海外などでは国々によって考え方が大きく違う場合もあります。そんなトラブルに備えて、事細かに契約書に条項を書き込んでから、大切な所属アーティストを送り込むのは、マネージャーの大切な仕事なのです。

 あるマネージャーから、こんな話を聞いたことがあります。

「篠崎さん、マネージャーが一番大事で大変な瞬間は、実はキャンセルするときなんですよ」

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