
この連載「世界を渡り歩いた指揮者の目」も、おかげさまで今回で100回目を迎えることができました。これからもよろしくお願いします。今回は、自分の職業である指揮者について書いてみようと思います。
僕がイギリスに在住していた頃、電車に乗っていた時のことです。車内で、新しくつくった名刺を確認していたのですが、後ろにいた乗客が「君もコンダクターなのかい。僕もそうだよ」と話しかけてきました。しかし、なんだか話がかみ合いません。よく聞いてみると、電車の車掌だったのです。英語で指揮者をコンダクターと言いますが、電車の車掌もトレイン・コンダクターです。ちなみに、旅行ガイドもツアー・コンダクターです。中学校時代から使っている研究社の英和辞書を見てみると、「コンダクター」とは、「案内人、ガイド、添乗員、車掌……」とあり、「指揮者」という意味は後のほうに書かれています。
職業以外にも、現在の世界で不可欠なものにコンダクターという名前が含まれているモノがあります。それは、コンピュータやスマートフォン、家電にも必須の半導体です。英語ではセミ・コンダクター。「セミ」は「半分の」という意味なので、コンダクターには「導く」という意味があることがわかります。そう考えてみると、車掌も添乗員も指揮者も、人を導く仕事であるといえます。
車掌も添乗員も、客が自分たちの足で歩いてくれなくては何もできません。彼らは正確な指示を出すことで、客の移動を導く仕事なのです。しかし、その指示が間違えていたら、客は大混乱します。たとえば、駅名を間違えてアナウンスして多くの乗客を降ろしてしまったり通過駅の案内を忘れてしまった車掌や、旅行客を違う場所に連れていってしまい、しかも飛行機に乗り遅れさせてしまう添乗員は、厳しく罰せられるでしょう。
実は指揮者も同じで、自分では一音も出さずに、オーケストラ楽員に指示を出して演奏してもらう仕事です。もちろん、楽員は客ではなく、同じ音楽をつくる仲間ですが、彼らに間違えた指示を与えてしまったとしたら、それ以降は指揮依頼をしてもらえなくなってしまいます。つまり、コンダクターという名前の仕事は、信頼されることで成り立つ仕事なのです。
ちなみに一般的に、車掌になるためには、何年か駅員勤務を経てから社内の車掌登用試験に合格しなくてはなりませんし、添乗員になるためには「旅程管理主任者」の資格が必要です。しかし、指揮者にはなんの資格もありません。では、どうやって指揮者として仕事ができるのでしょうか。それは、オーケストラの楽員に「この指揮者は信頼できる」と判断してもらうことで指揮台に立つことができるようになるのです。
それでも、幸運にも信頼を得られたとしても、それで資格免許をもらえるわけではなく、次の演奏会でちょっとした失敗やトラブルを起こしてしまえば、もうオーケストラは二度と呼んでくれなくなります。そんなことは、どんな指揮者でも経験していると思います。なかなか大変な世界なのです。