「クラシック・コンサートでは、どうして演奏中に拍手をしてはいけないんですか? こういうのがハードルを上げている原因だと思いますよ」と、僕の演奏会を聴きに来てくれた親しい友人に尋ねられたことがあります。
クラシック音楽は、基本的にマイクロフォンを使わない生音のみで聴かせるだけでなく、とても小さな音で演奏したりするので、そんな時に拍手をすると、ほかの観客の邪魔になってしまうし、たとえ大きな音が鳴っていても、クラシック音楽は音と音との複雑さを楽しむ部分が大きいので、やはり観客は静かに耳を傾けています。
しかし、彼は「少なくとも楽章の間に拍手をしてはいけないのはおかしい」と言うのです。これには僕も同意します。
「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」と始まることで有名なベートーヴェンの『交響曲第5番 -運命-』をはじめとした交響曲は、一般的には4つの楽章から構成されており、ひとつずつの楽章の役割が違いますが、ほとんどの場合、最後の第4楽章は派手な音楽です。そのため、観客は最後の楽章を聞き終わり、派手なエンディングで興奮して盛大な拍手をすることになります。
しかし、チャイコフスキーの最高傑作、交響曲第6番『悲愴』のように、なかにはその習慣を変えることで印象を強くすることに成功した作品もあります。この交響曲では、あえて第3楽章にとても派手な大盛り上がりする音楽を置き、最後の第4楽章にはゆっくりした音楽を配置したのです。最後は静かに消え入るように終わるので、観客は拍手もできず、2000人の会場がひっそりと静まり返った瞬間、指揮者は大成功を確信する曲なのです。
19世紀末に流行った退廃主義の影響もあり、それ以降、最後を静かに死に絶えるように終える曲が多くつくられました。そんななかで、バレエ『白鳥の湖』で有名な作曲家チャイコフスキーは、時代の最先端でした。
「篠崎さん。チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』の第3楽章がいくら派手だからといって、欧米では、これから第4楽章が始まるにもかかわらず、拍手するような観客などいないでしょうね。ところが日本では、まだ拍手をする人がいて困るんですよ」
あるオーケストラの事務局員の方が、こう嘆きました。これに対し、僕はこう答えました。
「いやいや、欧米では第3楽章のあとで拍手をしないところこそ珍しいですよ。あんなに盛り上がっているのに拍手を我慢しているのは日本くらいです」
その盛大な拍手が終わり、第4楽章を始めるために指揮棒を下ろすとき、僕はものすごく嬉しく感じます。
日本の空港ラウンジ、なぜ“特別感”がない?
本場の欧米では、観客はとてもストレートに反応します。そこには、よくいわれている“クラシック音楽の垣根”などありません。それどころか、オペラ劇場で出来が悪かった歌手に対して、観客が激しくブーイングしたりしているのを聞いていると、ちょっとくらい垣根があったほうがいいのではないかと思ったりするくらいです。しかし、そこにはある程度のクラシック音楽特有の暗黙のルールがあり、そのひとつが演奏中に拍手をしたりして音を立てないということなのです。それが垣根を高くしていると言われれば、「それが魅力でもある」と反論したくなります。
「クラシックファンは、その垣根を楽しんでいる」と言ったのは、日本のクラシック専門の大手音楽事務所社長でした。コンサートホールで優雅に着飾った観客が何を欲しているかというと、クラシック音楽の“特別感”です。もちろん、ジーンズとトレーナーで聴きに来てもいいですし大歓迎ですが、それでもコンサートホールに一歩足を踏み入れれば、その特別感を感じることができると思います。
ところが、この特別感は、日本人にはわかりにくい感覚かもしれません。それは、欧米と日本の航空会社のラウンジの違いを見てもよくわかります。
僕は海外で指揮をする際に、世界で一番潤沢な航空会社ともいわれている、アラブ首長国連邦のエミレーツ航空に搭乗することが多いのですが、必ずハブ空港のドバイ国際空港で乗り換えをします。
本連載記事『利用者は成田空港の3倍…ドバイ空港「年9千万人利用」とエミレーツが世界シェア急拡大の理由』にも書きましたが、ドバイ国際空港は単なる空港の機能を超えて、まるで空港内が豪華リゾートのようです。しかも、そのエミレーツ航空のファースト・ビジネスクラスラウンジがすごいのです。ヨーロッパ、中東、中華料理や、豊富なデザートはもちろん、高級シャンパン、ワインがすべて無料というのはもちろんですが、つい最近利用した際には、ラウンジゲスト用の特別な搭乗ゲートがあり、一つひとつの一般客の搭乗口とエレベーターでつながれていることに度肝を抜かれました。エミレーツ航空は南周り航路なので、どうしても総飛行時間が長くなってしまいます。これは航空会社にとって致命的な欠点ともいえますが、空港やラウンジを快適にすることでカバーしているのです。
僕も仕事柄、世界の多くの空港のラウンジを使用したことがありますが、各国のラウンジは利用者に対して、一般乗客とは違う“特別感”を与える演出をしています。ところが、日本のラウンジには、その特別感がないように感じます。あえて言うならば、高額チケットを購入したことやマイレージを貯めたことに対する“特典”を感じるのが日本のラウンジでしょうか。
海外の航空会社ラウンジは“アッパークラスの場所”を演出し、この特別感を味わうために高額チケットを購入してもらったり、自分の航空会社を選び続けてもらうという戦略が見え隠れします。これに対して、日本はアッパークラスという感覚になじみが浅く、特別感といってもピンと来ないので、航空会社も特典くらいにしか考えていないのかもしれません。おつまみ程度で大した食事もなく、アルコール類もビールやウイスキーくらいしかない“休憩室”並みのラウンジは日本くらいなのです。
これは、日本には特殊な身分制度の考え方があったことが影響しているのかもしれません。江戸時代には士農工商という制度がありましたが、貴族と一般民衆のようにきっちりと2つに分けられた身分制度は、戦国時代が始まってからなくなりました。他方、ヨーロッパの人々は、今でもなお身分の感覚が体に染みついています。たとえば、特急電車は「一等車」「二等車」と、僕たち日本人から見るとちょっと失礼なほどのクラス分けがされています。
かつては、日本でも一等車、二等車と客車を分けていたそうですが、二等車という名前が乗客に失礼と思ったのか、乗客から苦情があったのかわかりませんが、今では日本人の感覚に合わせて、一等車を「グリーン車」、二等車を「普通車」と、当たり障りのない名前に置き換えています。ちなみに、このグリーン車という由来は、以前、一等車と呼ばれていた際に、客車の窓の下に表示されていた帯や、切符の色が淡緑色だったことによるそうです。
(文=篠崎靖男/指揮者)