「雑誌」は感染症に弱い?
今、街を歩けば、さまざまな「新型コロナ対策」や「感染自衛策」が目につく。最近、かかりつけの歯科医院を受診した際、患者が出入りするたびに受付の女性が金属製のドアノブを消毒していた。かなり気を使っているのは、ここの院長先生の指示なのだろうな、と思って待合室のソファに腰かけると、いつもあった備え付けの雑誌が、書籍棚ごとなくなっている。空いたスペースには、「新型コロナウイルス流行につき、しばらくの間、雑誌は撤去させていただきます」との貼り紙が。
筆者の場合、「週刊文春」と「週刊新潮」と月刊「dancyu」はいつもこの待合室で目を通していた。ひょっとして雑誌は、致死性の感染症が流行する時代には“感染源”のひとつと見做され、マスメディアとしての役目を果たせなくなるのだろうか――と、気がつかされる。
なにせ新型コロナウイルスは目に見えない。その恐怖は、街の隅々にまで浸透していた。
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深刻さを増すばかりの新型コロナウイルス関連のニュースで、笑いを誘うニュースなどなかなかあるものではない。だが、世界中に笑いを振りまくニュースが、日本から発信された。
4月1日、安倍晋三首相が新型コロナウイルス対策の一環として、国内の全世帯に布マスクを2枚ずつ配布すると表明したところ、国内外から冗談かと受け取られ、失笑を買った。翌日の昼過ぎ、東京の某FM局のラジオ番組を聞いていると、元アイドルグループメンバーのパーソナリティが、「最初に聞いた時、エープリルフールの冗談かと思いました」と論評。思わず吹き出してしまった。米国のメディアにしても、
「アベノミクスからアベノマスクへ」(ブルームバーグ通信)
「(日本国内では)エープリルフールの冗談ではないかと受け止められている」(フォックスニュース)
「冴えない政策だと多くの人々が感じている」(CNN)
と、ユーモアたっぷりに報道。一方、日本国内の各報道機関は、前掲の元アイドルパーソナリティほどの勇気も気概もないようで、米国メディアの報道を“逆輸入”する形で報じていたことにも、苦笑させられる。
世に「コロナ鬱(うつ)」とも呼ばれる厭世観や絶望感が蔓延する中、失笑とはいえ世界中に笑いを振りまき、鬱の軽減に多少は貢献したかもしれないという意味で、「アベノマスク」政策は世界の人々の記憶に刻まれることだろう。
正しく「感染経路確認中」と言い直すべき
新型コロナウイルスに関連する報道で気になって仕方がないのは、日本語の使い方を明らかに間違えているため、受け手に誤解や不安だけが広がってしまう恐れがあるのではないか――という問題だ。
例えば、最近繰り返し用いられている「感染経路不明」という用語がある。その大半の実態は「感染経路確認中」であり、不特定多数の間で感染が広がる「市中感染」による感染者数の増加をそのまま表しているわけではない。たとえ報道機関が発したニュースであっても、「感染経路不明」の数字を鵜呑みにしてはならない。
「感染経路」は、家族の中にすでに感染者が見つかっているケースや、集団感染が発生している施設や地域の関係者であれば、取り立てて調査をする必要はない。感染多発国からの帰国者にしても同様だ。問題はそれ以外のケースである。
現状は、保健所の担当者が感染者本人に対して問診をし、一人ひとりから聞き出す形で調べている。なので、感染判明時点でただちにその人の感染経路や、その人が他人に感染を広げている可能性をチェックできないのは致し方のないことであり、毎晩遅くにその日に判明した感染者数とその内訳を行政が発表する際、「感染経路不明」とされる人の数がひときわ目立つことになる。
感染が判明した時点ですでに重症化している人であれば、問診は事実上不可能だ。また、問診に答えるのは義務や強制ではなく、あくまで任意である。昨今報じられ出した「繁華街にある夜間営業中心の飲食店」に出入りした後、感染が判明した人や、自分の行動を明らかにすることで友人や知人に迷惑がかかると考える人の中には、この「感染経路調査」への協力を拒む人も現れている。であれば、なおさら「感染経路不明」でなく、今後は正しく「感染経路確認中」と言い直すべきだろう。特に報道関係者に対し、強く要請したい。
詳細な内訳を自ら確認しようとはせず、行政が発表したうわべの数字だけを追いかけ、「東京都内で97人感染確認 これまでで最多に」「1日あたり初の300人超え」といったセンセーショナルなタイトルをつけた記事を書くのが「報道」だと勘違いしているような記者には、この際、新型コロナウイルス報道から身を引いていただきたいと心の底から思う。
本当の意味での「感染経路不明」の数は、感染者本人にもどこで感染したのか心当たりがなく、感染源が特定できない「市中感染」の数であり、これから発令されるかもしれない「緊急事態宣言」の際の重要な目安なのである。決して適当に扱ってはならない言葉なのだと、肝に銘じてほしい。
新型コロナ感染は「自宅療養」で確実に広がる
「濃厚接触者」という用語も、繰り返し用いられている。感染が判明した人の周辺で暮らしていたり、一緒に仕事をしていたりして、新型コロナウイルスに感染している恐れが高い検査対象者を炙り出すため、使われている。しかし、いったいどれほどの人がこの用語の正しい意味を理解しているだろうか。
国立感染症研究所感染症疫学センターによれば、次のように定義されている。
https://www.niid.go.jp/niid/images/epi/corona/2019nCoV-02-200206.pdf
<「濃厚接触者」とは、「患者(確定例)」が発病した日以降に接触した者のうち、次の範囲に該当する者である。
・患者(確定例)と同居あるいは長時間の接触(車内、航空機内等を含む)があった者
・適切な感染防護無しに患者(確定例)を診察、看護若しくは介護していた者
・患者(確定例)の気道分泌液もしくは体液等の汚染物質に直接触れた可能性が高い者
・その他:手で触れること又は対面で会話することが可能な距離(目安として2メートル)で、必要な感染予防策なしで、「患者(確定例)」と接触があった者(患者の症状などから患者の感染性を総合的に判断する)>
この定義を知っていれば、患者が自宅で療養することがいかに危険であるかを、誰でも理解できるだろう。つまり、家族内でたった一人の新型コロナウイルス感染者が発生しただけで、そのほかの家族全員が「濃厚接触者」と見なされるのである。
4月2日、厚生労働省は軽症や無症状の患者が自宅で療養するためのガイドライン(以下「ガイドライン」と呼ぶ)を公表した。新型コロナウイルス感染症は、法で定める「指定感染症」であり、陽性と診断された患者は原則、症状の軽重を問わず入院することになっている。この原則を見直し、軽症や無症状の感染者は入院せず、自宅もしくは都道府県が用意するホテルなどで療養する方針へと切り替えることを表明したものだ。
https://www.mhlw.go.jp/content/000618529.pdf
https://www.mhlw.go.jp/content/000618525.pdf
これによると、同居している者に高齢者がいる場合は、患者と高齢者の生活空間を完全に分けるか、高齢者を避難させる必要があるのだという。でも、その高齢者も「濃厚接触者」と見なされるので、避難先は容易には見つかるまい。
ところでガイドラインが言う「生活空間」とは、食卓や寝室、トイレのこと。ウイルスは排泄物からも検出されるため「患者専用の洗面所・トイレを確保することが望ましい」とした。いわゆる2世帯住宅でなければ、1軒の家にトイレが2つ以上あるわけがない。1つしかない場合は、患者が使用するたびに「次亜塩素酸ナトリウムやアルコールで清拭」し、「換気する」必要があるとされるが、次亜塩素酸ナトリウムやアルコール消毒液の入手が困難を極める中、どうやって手に入れればいいのか。保健所が消毒液を配給してくれるのか。
患者は常に手洗いとアルコール消毒を行ない、外出は当然禁止。食料の買い出しに出かけられなければ、患者が一人暮らしの場合は療養以前に飢える恐れがある。だが、一人暮らしの「自宅療養」措置を禁じる規定はガイドラインの中に見当たらない。
患者と接する家族は、家の中でも1メートル以上の十分な距離を保てという。よほど広い家でなければ実行困難だ。さらに、患者が風呂を使う際は家族の最後に入り、患者が自分の部屋から出入りする時はサージカルマスク等を着用。新しいマスクが自力で補充できなくなった時点で「自宅療養」は事実上ジ・エンドとなる。
患者が住む地域の自治体は、一日に1回は患者に電話し、患者の健康状態を把握することになっている。電話を入れる時間帯は予め決めておくのだろうか。それとも、自治体の担当者の都合によるのだろうか。患者が家で一人だけになる時間帯もあるだろう。そんな時、電話に出られないほど患者の容体が急変したらどうするのだろう。看護している家族にも連絡がつかなければ、玄関の鍵を破壊して救助し、病院に救急搬送するのだろうか。海外での報告事例では、3月25日、米国サンディエゴの自宅で自主隔離中だった25歳男性が新型コロナウイルス感染症で死亡しているのが発見されたとのケースもある(4月2日付け「日経ビジネス」ウェブ版より)。
概ね2週間が目途とされる自宅療養期間は、家族内で絶対に感染を広げぬよう配慮しつつ、患者を看病しなければならない。看病を担当する家族は1人に絞るのが理想らしい。看病に当たる家族はかなりの緊張を強いられ、精神的に消耗するのは必至である。にもかかわらず、他の家族が感染してしまった場合は、その一家の「自己責任」とされてしまうのか。それではあまりにも惨いと思う。それに、「自宅療養」措置にかかる費用は自己負担なのだという。
そもそも、日本でも海外でも、医師や看護師でさえ感染を完全に防げていないのだから、まして一般人には至難の業であるということを前提に、物事は決めていく必要がある。
今後発生する重症患者や重篤患者のために、病院のベッドやICU(集中治療室)、HCU(高度治療室)に余力を持たせるという「自宅療養」政策の目的自体は、理解できる。だが、そのための選択肢が「自宅療養」しかないわけではあるまい。ガイドラインでは、「自宅療養」を免除され、行政が用意するホテルなどでの療養が優先されるケースを、
(1)自宅療養で、生活空間を分けることができない場合
(2)医師や看護師などの医療従事者や、仕事で高齢者と接する福祉・介護職員などと同居している軽症者・無症状者の場合
(3)高齢者や、糖尿病・心臓や呼吸器の持病などの基礎疾患を有する人、免疫抑制剤や抗がん剤等を用いている人、妊産婦など、患者自身の重症化リスクが高い場合
としているが、いっそのこと、自ら強く希望する者以外の「自宅療養」措置はすべてやめ、「ホテル療養」に一本化してはどうだろう。それに、「自宅療養」政策がかえって感染者数を増やしてしまう危険を指摘する、次のような情報もある。
世界最悪のペースで感染者が拡大しているイタリアに救援で入った中国の専門家チームが、「武漢の医師たちも感染拡大の初期に同じ誤りを犯した」と言及しながら、症状が軽い患者には自宅隔離生活を指示するのではなく、集団隔離施設に移すべきだとイタリア側に助言したことを、3月31日のブルームバーグ通信が報じていた。同記事によれば、武漢では2月上旬、症状が軽い患者を、オフィスやスタジアム、体育館を転用した仮設の病院に隔離し始めてから、感染拡大が劇的に鈍化したのだという。
小池都知事の「ホテル療養所」案
「軽症の方々には自宅で療養するという考え方もあるが、家族にうつしてしまう可能性もある」(4月2日付「NHK NEWS WEB」より)
4月2日の小池百合子・東京都知事のコメントである。そして小池都知事はその翌日の4月3日、公表された厚労省ガイドラインを受け、「特に自宅で療養することが難しい人も多いと思いますので、療養所の確保を迅速に進めていきたい。まさにその作業をたったいま行っている。皆様に安心して頂けるような態勢をしっかりと組んでいきたい」(4月3日付「NHK NEWS WEB」より)と述べた。小池氏による「ホテル療養所」案の登場である。
今や世界規模となった感染症の大流行のため、今夏に予定されていた東京五輪の開催は延期され、外国人の訪日旅行(インバウンド)が完全に止まってキャンセルの嵐に見舞われている都内のホテルを「療養所」代わりに確保するのだという。「自宅療養」政策には、同居家族がいる場合に感染を広めるリスクがあるという現実を明確に認めていた。
すでに東京都は、軽症や無症状の感染者について、入院先の病院から宿泊施設に移動させる方針を固め、都内のホテルを確保。症状の軽い人から、順次移動させるとした。3月25日の夜、緊急の記者会見を開き、罪のない多くの都民を「不要不急」の買いだめへと走らせた「小池ショック」の大失敗を帳消しにするほどの妙手だろう。このニュースを耳にして、もしもの際の「自宅療養」の不安から解放され、ホッと胸を撫で下ろした都民は、きっと多いと思う。政治の面目躍如である。他の道府県もこれに続くことを期待したい。
(文=明石昇二郎/ルポライター)