安倍首相、“追い込まれ”緊急事態宣言か…決断の遅れは「起こりうる事態への覚悟」の欠如
小池百合子東京都知事は、4月5日に出演したNHKの『日曜討論』で「国家としての決断が今、求められているのではないか」と述べた。新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言を安倍政権がなかなか出さないことに対する発言だろう。
私はイケズな大阪のおばちゃんなので、小池都知事は常にスポットライトを浴びていないと気がすまず、「晴れ舞台」を演出し続ける「スポットライト症候群」の可能性が高いと思っている。だから、この発言にも「決断力でも指導力でも実行力でも、自分のほうが安倍首相よりも上」とアピールする自己PRの匂いを感じ、来年に延期された東京五輪終了後に国政に復帰して再び首相の座をめざすための布石ではないかと疑わずにはいられない。
それでも、「国家としての決断が今、求められている」という点では同じ意見である。6日になり、政府が7日にも緊急事態宣言を出す方向で準備を進めているとも報じられたが、すでにオーバーシュート(爆発的な感染拡大)の兆しが見えており、日本医師会も、東京と大阪の知事も緊急事態宣言を出してほしいと要望している。にもかかわらず、まだ出していないのはスピード感に欠けるとのそしりを免れまい。
この点について、加藤勝信厚生労働大臣は同番組で「人々の暮らし、経済や社会に対する影響を最小限にしながらやっていくことが大事だ。パニックを起こしたり、地方に人が動き始めたりすると、逆に宣言に伴うマイナスの要因になってしまう」と述べた。
たしかに、できるだけマイナスの影響を抑えながら、効果を最大にしていくことは重要だが、副作用のない薬がないのと同様に、マイナスの作用のない措置もない。たとえマイナスの影響が多少あっても、国民の命を守るのに必要な措置であれば、決断するのが政治家ではないか。
もしかしたら、緊急事態宣言を出すと、さらに経済活動が停滞し、補償のための給付金が増えることを危惧しているのかもしれない。あるいは、外出自粛の要請の強化は、憲法22条によって保障された移動の自由を制限することになり、違憲訴訟を起こされるのではないかと恐れているのかもしれない。
そういう可能性を考慮することも必要だが、ルネサンス期のイタリアの政治思想家、マキアヴェッリが指摘しているように「人間の為すあらゆることは、はじめから完全無欠ということはありえない」。だから、いかに実害を少なくするかを考えて進めるしかなく、感染者が急増している非常に緊迫した状況で、躊躇(ちゅうちょ)している時間はあまり残されていないように見える。
安倍首相がなかなか決断できない理由
安倍首相がなかなか決断できないのは、決断の結果起こりうる事態に「相当度のアフター・サーヴィスをやる覚悟」がないからかもしれない。「必ずこれこれの負担はかかって来るが、それは俺がひきうける、それも長期にわたって」という覚悟なしに、「一切の決断をしてはならない。そうでない決断など決断にならない」と歴史学者の会田雄次は述べているが(『決断の条件』)、覚悟がない人はそもそも決断できない。
決断できず、グズグズしていると、優柔不断な印象を与え、事態を一層悪化させかねない。その結果、追い込まれてやむをえず決断するしかなくなるが、マキアヴェッリは「国家の指導者たる者は、必要に迫られてやむをえず行なったことでも、自ら進んで選択した結果であるかのように思わせることが重要である」と述べている。
自分の意志で決断したように見せかけるのに必要なのも、やはり自分が負担を負い続ける覚悟である。その覚悟がないと、いくら自分の意志で決断したふりをしても、国民に見破られてしまうからだ。国家の指導者としての覚悟が安倍首相にはあるのだろうか。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
会田雄次『決断の条件』新潮選書
塩野七生『マキアヴェッリ語録』新潮文庫