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「偉人たちの診察室」第3回・大村益次郎

精神科医が分析する大村益次郎=アスペルガー説…西郷隆盛を呆れさせた空気の読めなさ

文=岩波 明(精神科医)
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明治時代に来日したイタリアの画家エドアルド・キヨッソーネが、大村益次郎の死後に関係者の証言や意見をもとに描いた肖像。(写真はWikipediaより)

 大村益次郎という人物をご存じだろうか? 彼はその容貌から、「火吹きだるま」というニックネームをつけられている。

 益次郎は、幕末から明治維新にかけての戊辰戦争において事実上官軍の総司令官を務めた重要人物であり、また司馬遼太郎は、彼を長編小説『花神』の主人公として描いている。この『花神』はNHKの大河ドラマとしても放映されたが、益次郎の地味なキャラクターのためか、さほど一般に知られてはいないようだ。

 長州藩の藩士であり医師でもあった益次郎は、他の維新の志士と同様に、もともとの家柄は高いものではなかった。しかし益次郎には、類をみない記憶力と頭の良さがあった。彼は当時の蘭学の大家であった緒方洪庵のもとで修行を積み、医学だけではなくオランダ語の兵法書を読みこなした。

 ヨーロッパ流の兵法を会得した彼は、実践経験がないにもかかわらず、第二次長州征伐で幕府軍を打ち破り、その後の戦いにおいても官軍を勝利に導いたのであった。

 司馬遼太郎は、益次郎を次のように語っている。

「無口な上に無愛想、たとえば上野の山の攻囲戦のとき、最終戦地と予想される黒門口の攻撃を薩軍にわりあてた。軍議の席上、西郷があきれて、『薩軍をみな殺しになさる気か』と問うと、『そうです」と答えたという』(『この国のかたち 四』文春文庫)
「大村は、農民の出であって、諸藩の士がもつ藩意識には鈍感で、むしろ新国家の敵と心得ていた」(同前)

 歴史学者の磯田道史氏は、益次郎の言動については、合理主義の表れと解釈している。

「身分制度にも大して興味がなく、便利であれば、既存の価値を捨ててすぐに新しいほうに乗り換える。高度経済成長期の1960年代から70年代にかけて、復員軍人をはじめ戦争体験のある世代には、こうした大村の在り方への共感はとても強かったと思います」(『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』NHK新書)

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司馬遼太郎による『花神』(新潮文庫)

大村益次郎は、空気の読めない「自閉症スペクトラム障害」か

 けれども、益次郎の行動パターンは、合理主義によるものなのだろうか。詳細は次に述べるが、益次郎の特異な言動は、一見して合理主義に見えるかもしれないが、実は彼が生来持っていた性質を反映したものだとも考えられる。それは何かというと、ASD(自閉症スペクトラム障害)である。ASDは発達障害の一種であり、最近までアスペルガー症候群と呼ばれていた発達障害とほぼ同一のものである。

 ASDにおいては、対人関係の障害とこだわりの強さが特徴的である。ASDの人は対人関係が苦手である。そもそも他の人間のことにあまり興味を示さないことも多い。言葉のニュアンスや相手の表情などに無頓着なため、「空気が読めない」ことが多い。

 これに加えて彼らは、特定の事柄に興味が偏る傾向が強いという特徴がある。あるASDの小学生は好きな電車を何時間でも飽きずに見ていたが、成人の場合でもオタク的な趣味に没頭する場合や、自分なりのマイルールを持っていることが多い。

 益次郎の「合理主義」は、周囲のことを忖度しないASDの特徴から生じたものであり、その記憶力の優秀さや仕事に対する打ち込み方は、特有のものにこだわるASDの特性と関連しているものだったのではないか。

郷里に帰っても変人扱い

 幕末、大村益次郎は長州藩の司令官として幕府軍と戦い、これに勝利し(第二次長州征伐)、さらに幕府軍との戦いを指揮し、新政府の樹立に大きな功績を残した。維新の英雄である西郷隆盛も木戸孝允も、益次郎の実力を認めて彼の指揮に従っていた。

 村の医師の息子として生まれた益次郎は、 緒方洪庵の適塾に住み込みし、医学とオランダ語の勉強に励んだ。益次郎は、塾の仲間からは変人扱いされていたという。

 彼は、ほとんど他人と交わろうとはしなかった。近所の人が「お暑いですね」と挨拶しても、「夏は暑いのが当たり前です」と答える。

 郷里に帰って彼は開業したが、 そこでも変人扱いされて、彼の診療所に患者は寄りつかなかった。患者と世間話をするでもなく、ねぎらいの言葉をかけることもしなかったためである。

 その当時の益次郎の評判は、「可笑しい顔をして居て、何だか腹のわからぬ人」「妙な時に笑ふて見たりして、どうも不思議」といったものだった(絲屋寿雄著『大村益次郎―幕末維新の兵制改革』中公新書)

 このような益次郎の態度は、相手が目上のものであっても変わることはなかったという。それなりの配慮をするということが、彼にはできなかったのである。

 宇和島藩の依頼で、蒸気船を造りあげたときのこと。船を進み始めているのを見て、家老の松根図書が、「村田、進んでいるではないか」と興奮して声を上げたが、益次郎は、「進むのは、当たり前です」と答えたのだという(大村益次郎は、以前は「村田蔵六」と名乗っていた)。