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セーラー万年筆の経営を傾かせた財務省エリートOB社長の罪…8期連続赤字でも無策

文=編集部
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セーラー万年筆 万年筆 プロフィット ブラックラスター(通販サイト「Amazon」より)

 筆記具メーカー、セーラー万年筆(東証2部)は7月13日、文具・事務用品大手プラス(東京・港区、非上場)を割当先とする新株予約権付社債(転換社債=CB)を発行して20億円を調達した。株式へ転換後、プラスの持ち株比率は14.3%から57.7%へ高まり、プラスの子会社となる。

 セーラーとプラスは2018年春、資本・業務提携を結び、プラスがセーラーの筆頭株主となった。プラスから取締役2人を迎えるなど人事での交流を深めてきた。セーラーは、プラスが5月に立ち上げた販売会社、コーラス(東京・港区)に販売業務を委託する。協業することによって効率よく販路の拡大を進める。

 セーラーの業績は低迷している。19年12月期の連結決算の売上高が前期比1.4%減の53億円、営業損益は2100万円の赤字(2018年同期は7100万円の赤字)、最終損益は1億3900万円の赤字(同9000万円の赤字)。中国でのボールペン販売の落ち込みが響き、2期連続の最終赤字となった。

 6月24日、東京株式市場でセーラー株が急伸した。買い気配のまま取引が成立せず、気配値は制限値幅の上限(ストップ高水準)となる前日比50円(35%)高の192円まで上昇。終値も192円で年初来高値を更新。多くの買い注文を残したまま取引を終えた。売買代金は前日の26倍に膨らんだ。前日の6月23日、プラスを割当先とするCB発行を発表。再建が進むとの期待から個人投資家の買いが集まった。

 プラスの傘下に入ったことを数字として示せるかどうかが焦点となる。20年12月期に最終黒字転換できるかどうかだ。

大蔵省キャリア組の中島義雄社長を解任

 セーラーは日本を代表する万年筆メーカーだった。1911(明治44)年、阪田久五郎が広島県・呉市で初の国産万年筆(14金ペン)の製造を始めた。1932(昭和7)年、セーラー万年筆阪田製作所を設立して法人化。社名の「セーラー(水兵)」は、軍港だった創業地・呉にちなんだものだ。60年、現商号に変更。49年、広島証券取引所に上場し、61年、東京証券取引所2部に指定替えとなった。

 国産初のボールペンの発売、カートリッジ式万年筆や、ふでペンなどの開発を行い、現在はDAKSなどの海外ブランドも加わり、筆記具の多彩なラインナップを持っている。社名にもなっている万年筆を使う学生はほとんどいないが、贈答用として命脈を保ってきた。文具のほか、成型機用取り出し機を手掛けるロボット機器事業が売上の3割を占める。

 創業100年を超える老舗文具メーカー、セーラーに2015年12月、突然、内紛が起き、株式市場を驚かせた。6年間、社長の座にあった中島義雄氏を解職し、比佐泰取締役を社長とする人事を発表。対する中島氏は東京地裁に解職無効の仮処分を申し立て、泥沼の訴訟合戦になるかと思われた。ところが、中島氏は仮処分を取り下げ、両者は突如、和解。中島氏は社長を退き、16年3月取締役も退任した。

 お家騒動が耳目を集めたのは、中島氏が“超有名人”だったからである。中島氏は大蔵省(現財務省)のエリート官僚。「花の41年組」といわれた同期のなかでも有力な事務次官候補とされていた。1993年に同期の武藤敏郎氏(のちに大蔵・財務次官、現2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長)と並んで主計局次長に就任。しかし、金融機関による過剰接待疑惑をきっかけに95年に引責辞任した。

 その後、京セラや船井電機の役員として活躍していたが、09年、当時の碓井初秋社長がセーラーに招き入れた。碓井社長の死去に伴い、同年12月、社長に就任した。中島氏は高級万年筆を強化し、ロボット機器事業は中韓など海外での販売を増やすことを考え、経営を立て直そうとした。音声を再生するペン型再生機「音声ペン」などを開発し、第三の柱に育てようとしたが、すべてうまくいかなかった。社長に就任してから1度も黒字になったことはなく、14年12月期まで8期連続の最終赤字が続いた。

 それでいて中島氏は講演活動に忙しく、幹部が「本業の立て直しに集中してほしい」と求めても、行動様式は、まったく変わらなかった。このため取締役会は中島氏を社長から解職した。

 新社長に就いた比佐泰氏は、18年にプラスを筆頭株主として受け入れ、今回プラスの子会社として再建に取り組むことを決断した。業態の転換が迅速にできなかったのは、「万年筆のメーカーの先駆者」というプライドの高さゆえ、といわれている。

プラスがコクヨに挑んだ「PK戦争」

 プラスは1948(昭和23)年、東京で事務用品卸を営んでいた今泉商店と鈴木商店が合併した千代田文具がルーツ。1959年にプラスに商号変更した。文具・事務用品卸から自社工場をもつ本格的なメーカーに転進した。今泉一族の同族会社で非上場を貫いている。

「PK戦争」がプラスの名前を全国区にした。「キャンパスノート」を筆頭に文具メーカーとして圧倒的な力をもつコクヨに、流通に強いプラスが戦いを挑んだ。両社の頭文字をとって「PK戦争」と呼ばれた。2017年、プラスはたて続けにノートメーカーや卸会社を買収した。「極東ノート」のキョクトウ・アソシエイツ、量販店向け文具・事務用品卸の妙高コーポレーション(旧・三菱文具)、「アピカノート」のアピカを子会社にした。

 18年には量販店向けの文具・事務用品卸の大平紙業を100%子会社にした。19年、アピカとキョクトウ・アソシエイツが事業統合し、日本ノートとして再スタートを切った。2019年12月期の売上高は日本ノートが91億円、妙高コーポレーションが216億円、大平紙業が106億円。コクヨの牙城である文具市場で、プラスは量販店向けの物流を押さえることに重点を置いた。

 そして、プラスの19年12月期の連結売上高は前期比5.3%増の1867億円、営業利益は34.7%増の12.9億円、純利益は41.8%増の9.9億円だった。

ぺんてる争奪戦でコクヨに一矢報いる

 プラスとコクヨは、筆記具メーカー・ぺんてる(東京・中央区、非上場)の争奪戦でガチンコ勝負を展開した。敵対的買収を仕掛けたコクヨがぺんてる株式の46%を持っていた。プラスはぺんてるの「ホワイトナイト(白馬の騎士)」として約30%を確保した。コクヨは過半の確保に失敗。プラスは経営陣を支持する株主を含め過半数を制した。ぺんてるは6月25日、都内の本社ビルで定時株主総会を開いた。コクヨは子会社にする計画を取り下げ、提携協議を目指す融和路線にかじを切った。

 株主総会にはコクヨの黒田英邦社長が出席。コクヨ、プラスの双方とも会社提案の人事案に賛成票を投じた。和田優社長は代表権のない会長に退き、生え抜きの小野裕之取締役生産本部長兼草加工場長が新しい社長になった。

 ぺんてる(単体)の20年3月期の決算公告によると、売上高は前期比3.7%減の226億円、最終損益は23億円の赤字となった。ホームページによると19年3月期の連結売上高は403億円だった。ぺんてるはサインペンで世界的に認知度が高い。プラスにとっても魅力的な存在だ。もし、ぺんてるがプラスの傘下に入れば、リーディングカンパニーのコクヨは国内の業界再編で大きく立ち遅れる。

 今後も、コクヨとプラスは、ぺんてるの綱引きで火花を散らすことなる。19年9月、「PK戦争」の陣頭指揮を執っていたプラスの今泉公二社長が急逝した。実兄の今泉嘉久会長が社長を兼務。7月1日付で嘉久氏の長男の忠久常務が社長に昇格した。新社長のもと、プラスのM&A路線はどう深化していくのか。「PK戦争」の帰趨にも関心が集まる。

(文=編集部)

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