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森喜朗氏、私が生で見た“最低最悪の傍若無人ぶり”…疑惑・暴言まみれの政治家人生

文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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森喜朗氏(首相官邸のHPより)

“暴言男”、森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の女性蔑視発言が、日本のみならず世界で話題になっている。森氏は4日の謝罪会見で「深く反省をしております」と語ったが、その表情や発言から、反省などまったくしていないことが世間に伝わった。

「日本は神の国」「子どもをつくらない女性を税金で面倒をみるのはおかしい」など、森氏の暴言、失言は数多あるが、関西在住の筆者が忘れられないのは「大阪は痰壺のようだ」である。もちろん「汚いこと、この上ない」の意味。

 これは1988年4月、京都市での懇談会で飛び出したもの。大阪市は主要な大都市のなかで、美しいとはいえない場所も多いことは確かだ。とはいえ、自虐好きな関西人とて、ここまでは言わない。ましてや、大阪の人間ではない男に公の場で堂々と言われた浪速っ子の不快感は大きかった。

「落選したら会見はしない」

 この森氏について、筆者はかつて「仰天のふるまい」を体験した。2009年8月の衆議院総選挙のことだ。小沢一郎率いる民主党が自民党に大勝したこの衆院選、石川2区の森氏はこの時72歳、元首相だ。しかし33歳と若い民主党の田中美絵子候補に負けるのではないかという情勢だった。追い回す記者たちに森氏がブチ切れる様子などが報じられていたが、筆者も雑誌からの依頼で取材に赴き、8月30日の投開票日は小松市の森氏の選挙事務所で大勢の記者やカメラマンたちと開票を見守った。

 しかし、森陣営は「落選したら会見はしない」とし、幹事社の朝日新聞記者(武田肇氏)が「それはおかしい」と盛んに広報担当とやりあっていた。衆院選に限らないが、落選したら会見しないなどの非常識は珍しい。記者やカメラマンたちは事務所の外で待っていたが、なんと森氏は地元紙の北國新聞社の記者だけを事務所に招いていた。

 まだ開票作業中に森氏が外へ出てきたので、筆者らはわっと取り囲んだ。武田記者が「地元紙だけに対応するのはおかしい」と抗議すると、なんと森氏は「石川県の人はみんな北國新聞だけを読んでるから、北國新聞にだけ話せば十分」と言ったのだ。武田記者が「朝日新聞だって読んでる人いるかもしれないじゃないですか」と反論すると、森氏は「いない」と断言し事務所に戻ってしまった。

 有力政治家が、ちやほやされる選挙地盤で踏ん反り返っている姿は何度も見たとはいえ、こんな政治家は見たことがなかった。それが元首相である。大激戦は森氏が僅差で制して当選。田中氏は比例復活で当選した。筆者はただただ「日本人はかくも低レベルな人物を首相と仰いでいたのか」と悲しくなったものだ。

「密室政治」で首相就任

 氏の早稲田大学入学や産経新聞社入社の経緯については、これまでさまざまな疑問が報じられてきたが、疑惑の極め付きは首相になった経緯だ。

 2000年4月、当時の小渕恵三首相が脳梗塞で倒れ、生命が危うくなった。当時、自民党幹事長だった森氏は、臨終を迎えた小渕氏の病室に、他者を排除して一人乗り込みしばらくして出てきた。そして「後を頼むと言われ、総理を任された」と言った。小渕首相はそのまま他界し、本当にそんなことを言ったという証拠もない。

 小渕氏の盟友で「自民党のドン」青木幹雄氏(当時、官房長官)が森氏を担ぎ出していたが、「後を頼む」を錦の御旗に総裁選をさせない「密室政治」で森氏は首相に上り詰めてしまった。ときに62歳。石川県での選挙取材の時、森選対の古参幹部が森氏について「並外れて勘がいい」と話してくれたことがある。機を見るのは非常に「敏」。小渕氏が倒れ、森氏は何かを察知したに違いない。

 2001年2月、愛媛県の実習船「えひめ丸」が米海軍の潜水艦に衝突され、教員、高校生9人の命が奪われる悲劇が起きた。当時首相だった森氏は、連絡が入っても平然とゴルフを続け、のちに「私が(官邸に)行かないことで、何が遅れたのか」と開き直った。批判が沸騰し4月にあっけなく首相を辞任した。

 さて「女性蔑視発言」に戻ろう。2019年秋、マラソンの札幌移転問題で国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ調整委員長が来日、小池百合子東京都知事、日本オリンピック委員会(JOC)や大会組織委との協議を取材していたが、森氏は好きなラグビーの話を滔々としていたものだ。

 今月6日の土曜日、テレビ番組『ウェークアップ!ぷらす』(読売テレビ)内でキャスターの辛坊治郎氏が森氏を揶揄った言葉に膝を打った。「そもそも論点違いますが、だいたい話の長い人ほど、人の話を聞くのを嫌ですね」。

 ちなみに12日に森氏は東京五輪大会組織委会長の辞任を表明する見通しだと伝えられている。

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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