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江川紹子の「事件ウオッチ」第175回

「東京五輪」のために“表現の自由”を後退させてはならないー江川紹子の提言

文=江川紹子/ジャーナリスト
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福島県での聖火リレーの様子を報じた東京新聞。後日、聖火リレーの動画を削除した。

 記事のなかで開会式の演出の企画案の一部を伝えた「週刊文春」(文藝春秋)に対し、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(橋本聖子会長)が、「営業秘密を意図的に拡散し、業務を妨害した」「著作権法に基づく複製権を侵害している」などとして抗議し、雑誌の回収とネット上の記事削除を要求していた問題。組織委は、「極めて遺憾」として法的措置を辞さない強硬な姿勢を見せている。

「週刊文春を回収せよ」との五輪組織委員会の主張は、報道の自由を侵害してはいまいか

 この記事は、3月31日の文春オンラインと4月1日発売の同誌で、五輪開会式の問題を報じる特集第3弾として掲載された。記事の主たる内容は、開会式の執行責任者だった演出振付家のMIKIKO氏に対し、森喜朗・組織委前会長や菅義偉・前官房長官(現首相)、小池百合子都知事などの政治家から、ひいきの著名人や支援者などの出演を求める“口利き”圧力があった、という問題だ。そんななか、MIKIKO氏は圧力に屈せず、独自に魅力的なプランを練り上げた、という。その流れで、プランの一部を文章で紹介した。小さな写真も添えられた。MIKIKO氏が排除されてから、後任者によって“口利き”が取り入れられていった経緯も伝えた。

 組織委は同月2日に抗議し、同誌の回収などを求めた。これに対し同誌は、即座に編集長見解を発表し、記事には「高い公共性、公益性」があると主張。「不当な要求に応じることはできません」と反論し、要求を拒否した。

 すると組織委の橋本会長は「報道の自由を制限するものではない。業務妨害に当たる」と再反論。さらに9日の記者会見で組織委の広報担当が、情報漏えいの内部調査が終わり次第、その結果を踏まえて検討する、と明らかにした。文春の著作権法違反のほかに、漏えいさせた者は不正競争防止法違反などが成立するとして、すでに警察にも相談していることを明かした、と報じられている。

 そもそも組織委がすべきは、情報流出の犯人探しや週刊文春への攻撃ではなく、明らかにされた組織の運営について、自らを省みて、是正することだろう。

 では、法的にはこの問題をどう見ればよいのか。知的財産法が専門の玉井克哉・東京大教授に解説してもらった。

「開会式のプランの著作権は、確かに組織委にある。しかし、民主主義国家にとって報道は重要ですから、著作権法41条『時事の事件の報道のための利用』の場合は、著作権侵害にならない、と定めています。ほとんどの著作権法の学者は、今回のケースは著作権法違反に当たらないと答えるでしょう」

 組織委はさらに、開会式のプランは「営業秘密」であるとして、それを暴露したことは不正競争防止法に当たる、とも主張している。しかし玉井教授は、以下のように説明する。

「組織委の競争相手になる組織がこの秘密を漏らしたのであれば、不正競争防止法違反に当たるかもしれませんが、組織委には競争相手はいません。それに、この法律は著作権法のように報道に配慮する規定はありませんが、法違反を問うには『図利加害』の目的が必要です。つまり、自分や第三者の利益を得ようと図ったり、他人に損害を与えようとする目的があるか、ということ。これは、公益のための内部告発を妨げないように設けられた規定です。公益のための告発は、『図利加害』目的がないので法違反には問われない。報道は公正な民主主義社会のためにあり、その報道のために秘密を明らかにする場合も同様です。『図利加害』目的の規定は、自由な報道を妨げないためでもあるんです。これは法律ができる時の記録を見れば明らかです」

 そのうえで、こう結論づける。

「組織委の主張には根拠がない、と考えられます」

 報道の自由といえば、憲法である。志田陽子・武蔵野美術大教授(憲法)にも話を聞いた。志田教授も、次のように組織委の対応を批判する。

「オリンピックのあり方は、まさに公共の関心事。議論を喚起し、人々の疑問に答える報道は、極めて公共性が高く、表現の自由が最も強く働くべき。にもかかわらず、その報道を塞いでしまおうというやり方がとられているのは、大きな問題です。一定の条件をつけて利用を認め、権利者を保護しようという知的財産法を、表現を圧迫・恫喝する道具に使おうという、新たな手法にも注意が必要です」

 東京五輪を巡っては、このほかにも表現の自由とのかねあいで、気がかりな事例が相次いでいる。

「五輪開催反対」を徹底的に排除しようとする組織委の、理不尽で無法なルール

 3月28日には、東京新聞が自社サイトに掲載していた、福島県での聖火リレーの動画を削除した。トーチを持ったランナーの前に、スポンサー企業が大きな宣伝カーが大音量で音声や音楽を流し、そろいのユニフォームを着た人たちが手を振ったり踊ったりする場面を映したものだった。同紙は、国際オリンピック委員会(IOC)が、新聞社などの動画利用はイベントから72時間に限定するルールを一方的に課されているためだ、と説明した。

 しかし組織委には、公道で撮影された動画の利用を制限する法的権限はない。そのため、一般人やフリーランスのジャーナリストが公道で撮影した動画の利用については、なんの規制もない。にもかかわらず新聞記者には時間制限を科すというのは、いかにも理不尽で無法なルールといわざるをえない。

 それがまかり通るのは、組織委は、報道機関への取材への協力の是非を判断する権限を握っているからだ。実際同紙は、ペナルティを科されて大会本番での取材に支障が出ることを恐れ、一方的なルールに従った。

 五輪と表現を巡っては、こんな問題もあった。

 4月5日、NHKの聖火リレーネット配信で、長野市内のリレーを生中継している最中に、沿道から「オリンピックに反対」という声が挙がると、約30秒にわたって音声が途絶えた。東京新聞や毎日新聞の取材に対し、NHKは技術的な問題ではなく、意図的に消したことは認めている。

 消去した理由については、「さまざまな状況に応じて判断し、対応した」というだけで、はっきりしない。この件は、組織委が直接関与したわけではないようだが、五輪イベントを魅力的に見せたい、それに反するものは排除したいという主催者の演出意図を、NHKが忖度し、くみ取っての対応だったのではないか。

 そう推測するのは、こんな出来事もあったからだ。

 4月9日付け朝日新聞デジタルの記事によると、東京五輪聖火リレーが行われている愛知県半田市の市道沿道で、大会中止を訴えるプラカードを無言で掲げていた男性に対し、リレーの運営関係者が表示の撤去を求め、警備員が前に立ち塞がるなどの妨害行為をした、という。

 組織委もその事実を認め、「周りの観客のみなさまへ不安と与える」と理由を説明している。

 写真を見れば、さほど大きくもないプラカードで、書かれているメッセージは「東京五輪中止の夢をもういちど」。たった1人が、これを持って立っていたことで、周囲にいかなる「不安」をもたらすというのだろうか。

 五輪を楽しみにし、聖火リレーを盛り上げようと集まっていた人たちのなかには、「不快」な気持ちになる人がいたかもしれない。大会関係者にとっても、五輪反対のメッセージは「不愉快」であろう。しかし、自分にとって好ましくない表現を放っておく寛容さがなければ、「表現の自由」は成り立たない。しかも現場は公道でありパブリックな場所だ。男性は、「後ろの人の邪魔にならないよう、頭上には掲げていない」と話している。

 そうであれば、大会関係者がメッセージの掲示を妨げる正当な理由は何もないはずだ。組織委は、現場の行き過ぎた行為を謝罪し、再発防止に努めるべきだろう。だが、妨害を正当化するかのようなコメントからは、反省がまったく伝わってこない。

一般人にまで、組織委の意図にかなう表現しか認めないということになると、まさに言論統制

 この問題についても、先の両法学者の意見を聞いてみた。

 まず玉井教授。

「たった1人でプラカードを持って立っている人を排除しなければならない『不安』なんて、想像もつきません」とあきれる。

 「不安」ではなく、「不快」に感じた客はいたかもしれない。玉井教授も、「私は開催支持派なので、仮に私が聖火リレーを見にいって、そういうプラカードを見たら、気分悪いな、と思うかもしれません」としたうえで、こう指摘する。

「不快感より、表現の自由が優先します。個人の民間人が不満を述べるならともかく、主催者が妨害してはダメです。法的には不法行為に当たる可能性があります」

 組織委について「五輪については支持するのが当たり前、という意識が強いのではないか」と見る。

「今は(コロナ禍で)国民が一丸となって盛り上げようという状況ではなくなっている。組織委は、自らをとりまく環境の厳しさを直視して、もっと『よき市民』として振る舞うべきでしょう」

 志田教授は、過去のこんな事例を紹介する。

 神奈川県海老名市の駅前自由通路で2016年に、市民団体が「アベ政治を許さない」などの政治的メッセージを書いたプラカードを掲げる「マネキン・フラッシュモブ」と呼ばれるパフォーマンスを行ったところ、市がそれを禁じた。市民団体が市を相手に訴えた裁判の判決は、「(パフォーマンスは)多数の歩行者の安全で快適な往来に著しい支障を及ぼす恐れが強いとは認められない」として、市の禁止命令は「違法」とした。市は控訴せずに、この判決は確定している。

「つまり、人々の往来に著しい支障がない表現行為を禁じてはならない、ということです」と志田教授。組織委については、次のように指摘する。

「演出についての考えが間違っているのではないか。開会式など、五輪会場での演出を、意図した通り、完璧に行おうというのはわかる。しかし、公道などパブリックな場所で、一般人にまで、組織委の意図にかなう表現しか認めないということになると、これはまさに言論統制になってしまう」

 五輪が、表現の自由を後退させるきっかけになっては困る。組織委は、「五輪ファースト、表現の自由は二の次」という姿勢を改めてもらいたい。合わせて、「報道の自由」について、メディアが連携して組織委に対抗していくことが必要ではないか。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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