テレビ放送権料を最優先する姿勢と、活動家ならではの独善性が相まった強権的な態度が世界のマスコミから批判を浴びているIOC(国際オリンピック委員会)。後編では引き続きジャーナリストの後藤逸郎氏に話を聞き、「IOC貴族」の実像と、IOCという組織の功罪に迫る。
東京都と日本政府は法廷闘争も込みで議論を尽くすべきだった
――IOCにはIOCの事情と理想があり、その実現のため五輪の契約を周到につくり込んできたわけですが、その一方で、契約の相手方である東京都、そして日本政府の弱腰は国民の失望を呼びました。本来、延期・中止が取りざたされた際に日本がとるべき対応は、どのようなものだったのでしょうか。
後藤逸郎氏(以下、後藤) 一般的に、契約書には不履行の際には賠償請求ができると書かれているものです。ただし今回、その賠償額を日本側が算定しようにも、IOCがテレビ局などと結んでいる契約内容が公開されていないため、積算の根拠がなく事実上不可能です。昨年に東京五輪が中止されていたとして、日本にコロナの責任はないのに“その賠償額はIOCの言い値で”というのは明らかにおかしいでしょう。
東京五輪開催による感染爆発リスクを懸念して中止する、という立場も当然あり得たでしょう。そこで筋を通すなら、IOCが本部を置くスイスの裁判所で、主義主張をはっきりと掲げて戦うべきでした。最終的に賠償金を言い値で支払うことになったとしても、それは仕方のないことです。正当な権利行使のために最善を尽くすという姿勢が、東京都にも日本政府にもまったく欠けていました。法廷闘争も込みで、議論を尽くしたうえで東京五輪を開催するかどうかを決めるべきでした。
国民の健康・安全保障という観点を欠いた日本政府はあまりにも底が浅いと思います。これは国内大手メディアも問題で、新聞・テレビはまったく腰が引けています。
IOC貴族は「ぼったくり」なのか?
――大手マスコミは後藤さんが言うような「筋論」に触れることは一切なく、一方でバッハ会長をはじめとするIOCへの特別待遇は目に余るという報道を続けています。まるでヘイトを煽っているかのようですが、俗に言う「IOC貴族」の実像についてお聞かせください。
後藤 IOC委員が世界中で豪華な接待を受けていることは、かねてから批判されています。5月に米国の有力紙ワシントン・ポストに掲載された記事で、バッハ会長は「ぼったくり男爵」と呼ばれ、厳しく批判されました。東京五輪でも、IOC委員に用意するホテルは五つ星または四つ星が義務付けられており、費用を東京都が負担するのは行き過ぎだとする報道がありました。
ホテルのグレードを指定するのはセキュリティ確保のためという主張があり、これ自体は必ずしも納得できない話ではありません。とはいえ、以前から「ワイロに近い過剰接待」が常態化していたという事実があるので、合理性があることでも勘繰られてしまうのです。
例えば、2002年の米国・ソルトレイクシティ冬季五輪の招致に当たり、組織委員会が複数のIOC委員に金品を贈ったことが問題視されました。この背景には、1998年の長野冬季五輪が「接待攻勢で開催を勝ち取った」という噂が、立候補都市の間で公然の秘密となっていたことがあります。
ホテルに加え、IOC委員には1人1台の専用車と専属スタッフをつけることになっています。過去の甘い汁が忘れられず、堂々としていればよいとばかりに過大な待遇を要求していては、「ぼったくり男爵」の汚名を着せられるのも当然と言えるでしょう。
「五輪は欧州のビジネス」しかし欧州ですら持て余し気味
――IOCは開催当事国の日本だけでなく、米国紙でも批判されているのですね。世界各国で、IOCはどのような組織と認知されているのでしょうか。
後藤 IOCは日本以外の国でも、少なからず「嫌悪感」を持たれています。特に米国では、五輪は結局のところ欧州のスポーツ大会であると見切られています。
確かにIOC幹部は欧州出身者が多く、歴代会長9人のうち欧州以外の出身者は1人(米国出身)だけです。五輪はあくまでも欧州のビジネスである、というのが実情です。
とはいえ近年では、足元の欧州でも、五輪開催に立候補した都市が、高騰する開催費用を嫌って選考の途中で辞退するケースが出てきています。2022年の冬季大会に立候補していたノルウェーの首都オスロは、ノルウェー政府が財政補償を承認しなかったことで、立候補を取り下げました。IOCが開催費用に関し一切の責任を持たないため、費用を抑えるインセンティブがなく、結果として開催都市の負担がふくれあがってしまう構造があるのです。
もはや欧州の中ですら、「五輪はしょせんスイスがやっていること」というふうに見透かされてきています。IOCに対する反感は非常に根強いものがあるといえます。
スポーツ振興のための給付金にすら疑いの目が
――IOCについて、ありのままに歴史と資金面、開催国に対する姿勢をうかがってきましたが、どうしても厳しい論調にならざるを得ないようです。とはいえ、そもそもスポーツイベントの主催者として、スポーツ振興などの面でIOCの功績は少なからずあるのでは?
後藤 IOCは世界の競技団体を通じて選手に資金を分配しています。2013~2016年のIOCの総収入は57億ドルで、日本円で約6,270億円に及びました(1ドル=110円で換算)。平均年間収入にしても1,500億円を下りません。この9割が世界の競技団体・競技連盟に給付されており、給付金の総額はIOCの収入増に伴って増加しています。IOCからの資金が、スポーツ振興に役立っている面は少なからずあるでしょう。
ところがこの給付でも、「競技間の給付金格差」が問題視されています。IOCは給付金の算定に当たって競技のランク付けを行い、給付金を傾斜配分しています。たとえば2016年のリオ大会では、競技によってA~Eまでのランク付けが行われ、Aランク全体の配分はEランク全体の5.5倍という極端な格差がつけられたと、日本のテレビ関係者は推測しています。
IOCの給付金を最も多くもらっているのはワールドアスレティックス(世界陸連)です。ランク付けにはテレビ放送でのニーズが反映されているといわれており、陸上競技のような人気競技への給付金は高くなる一方で、マイナースポーツへの給付金は少額にとどまります。
また、世界陸連への給付については、かつての世界陸連会長とサマランチ元IOC会長との間に強いコネクションがあったことが影響しているともいわれていました。ここでもIOCの恣意性が疑惑を呼んでいます。
IOCが「信頼される組織」となるために必要なこととは?
――とにかく、やることなすこと疑惑を呼び、批判がつきものというのがIOCの宿命だと思えてきました。結局のところ、IOCの最大の問題は何なのか。IOCが世界のスポーツファンから信頼される組織となるために必要なことは、いったい何でしょうか?
後藤 IOCの秘密主義こそが問題です。IOCの改革を考えるためには、実態をくわしく把握する必要があります。
まず、五輪開催にまつわる契約の開示が必須です。今回のコロナ禍で延期・中止が取りざたされた東京五輪が好例で、一説には5000億円ともいわれる巨額の金を日本が払う可能性があるのに、その根拠を精査できないというような話は到底認めることができません。
この先、五輪を開催する都市の組織委員会も、おそらく同様に考えているはずです。例えば天災に見舞われたときに「がれきを早くどけて五輪を開催しろ」と言われ、できなければ言い値で賠償金を負担させられる可能性があるというのは、明らかに不当でしょう。
財務の開示も必要です。IOCは傘下に多くの財団を従え、さらにその先にも関連企業を持っています。IOCの会長や理事は関連財団・企業で役員を務めていますが、関連企業の実態は非公開であり、彼らの報酬も不明です。仮にこれらの子会社でIOC委員が役員報酬を受け取っているなら、「収益の大半を競技団体への給付金など、設立目的の活動のために使っている」というIOCの主張は根拠が怪しくなります。
バッハ体制のルール破りも目に余ります。IOCは2017年に、2024年パリ大会・2028年ロサンゼルス大会の開催を同時決定しました。この2028年大会の開催都市の決定は、「開催都市は開催の7年前に決定する」というオリンピック憲章の定めを逸脱するものです。両都市から「2024年大会に落選したら次は立候補しない」と言われていたがゆえの政治的判断だったと言われていますが、開催都市の巨額負担に手をつけることなく、ルール破りという弥縫策に頼るのは問題です。
IOCが説明責任とガバナンスの正常化を果たし、本来の趣旨である“平和の祭典”を守りたいのであれば、古代オリンピック発祥のギリシャを開催地に固定するのも選択肢だと思います。
(構成=日野秀規/フリーライター)
●後藤逸郎
ジャーナリスト。1965年、富山県 生まれ。金沢大学法学部卒業後、 1990年、毎日新聞社入社。姫路支局、和歌山支局、大阪本社経済部、 東京本社経済部、大阪本社経済部次長、週刊エコノミスト編集次長、特別報道グループ編集委員などを経て、 地方部エリア編集委員を最後に退職。著書に『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』(文春新書)、『亡国の東京オリンピック』を文藝春秋から9月刊行予定