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江川紹子の「事件ウオッチ」第193回

【伊藤詩織さんネット中傷訴訟】江川紹子が考える“賠償金額の低さ”と“単純RTの意味”

文=江川紹子/ジャーナリスト
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2021年11月30日に東京地裁にてくだされた一審判決後、記者会見に臨む伊藤詩織さん(写真:毎日新聞社/アフロ)

 ジャーナリストの伊藤詩織さんが、自身の性被害を誹謗中傷するイラストをツイッターで投稿、拡散されて名誉を毀損されたとして、マンガ家のはすみとしこさんらを訴えた民事訴訟。11月30日にくだされた判決で東京地裁は、はすみさんのイラストは「社会通念上許容される限度を超えた侮辱行為」などとして、弁護士費用を含め88万円の賠償を命じた。また、はすみさんのツイートをリツイート(RT)した男性2人にも、それぞれ11万円の支払いを命じた。RTしただけでも責任を問われる司法判断は相次いでおり、社会的にも注目された今回の判決で、SNSユーザーは発信者としての責任を一層自覚するよう促されている。

はすみとしこ氏の描いた“中傷イラスト”は「侮辱である」と東京地裁が認定

 伊藤さんは、2015年に起きた性暴行事件に関し元TBS記者の山口敬之さんを告訴した件が不起訴となった後、検察審査会に申し立てを行い、記者会見を開いてその経緯を公表した。検察審査会の「不起訴相当」議決の後は、2017年9月に民事裁判を起こし、裁判所に舞台を移して自らの被害を訴えてきた。山口さんは、この訴えを全面的に否定し、自らの社会的信用が奪われたとして、伊藤さんに対し反訴を提起。双方の訴えを同時に審理していた東京地裁は2019年12月、伊藤さんの主張を認め、山口さんに330万円の損害賠償を命じる判決を下した。

 今回の判決で不法行為とされた、はすみさんによる4つのイラスト・ツイートは、伊藤vs山口の民事裁判が提起されて以降、判決直後までの間に発信されている。

 イラストでは、性被害ではなく、伊藤さんが職を得るために性関係を利用する「枕営業」を行ったかのように、「枕営業大失敗!!」と大書されている。また、「そうだ、デッチあげよう!」「裁判なんて簡単よ」「カメラの前で泣いてみせて裁判官に見せればいい」などのコメントを添え、伊藤さんが虚偽を語って被害者を演じ、それを鵜呑みにした裁判官によって勝訴判決を勝ち取ったかのようなイラストもある。

 今回の判決は、こうした表現はいずれも「社会通念上許容される限度を超えた侮辱行為」と厳しく批判した。はすみさんは、イラストに描いた女性は伊藤さんではないなどとも主張していたが、判決はこれを退けている。

 人の社会的評価を損なう表現でも、公共性や公益目的があり、内容が真実である(もしくは、真実と信ずるについて相当の理由がある)と認められれば、免責される。はすみさんも、合意のない性行為を否定する山口さんの主張が真実であると信じる正当な理由があった、と主張していた。

 これに対し判決は、検察の山口さんに対する不起訴処分や検審議決では起訴しない理由が明確でなく、被害がないとまでは認められないうえ、山口さんも「枕営業」があったという主張はしていない、と指摘。さらに、2つのツイートについては、伊藤vs山口訴訟の判決がすでに出た後であることを考慮し、「各ツイートの適示する事実を真実であると信じるにつき、相当の理由があったと認めることはできない」と断じている。

 妥当な判断というべきだろう。ただ、伊藤さんの被った精神的苦痛についての評価には、いささか疑問が残る 。

朝日新聞報道を「捏造」とした民事訴訟の損害賠償額200万円、伊藤詩織さんへの賠償額は80万円?

 右派メディアや言論人などは、当時の安倍晋三首相と近しいとされた山口さんを擁護し、伊藤さんへの反論を展開するなど、本件は極めて政治的な色合いを帯びた。激しいバッシングにさらされた伊藤さんは、日本を離れざるを得なくなったほどである。その後も、自民党の杉田水脈衆院議員が、英BBCの取材に「男性の前で記憶がなくなるまでお酒を飲んだ」「女として落ち度がある」と伊藤さんを非難するなど、バッシングは続いた。

 はすみさんのイラストは、そうした伊藤さん叩きのなかで象徴的な存在になり、広く拡散した。はすみさんのアカウントは、2020年5月27日現在で約4万3000人のフォロワーがいたうえ、「枕営業大失敗!!」など4枚の絵がつけられたツイートは2517回もリツイートされた。

 アカウントはすでに凍結され現在は見ることができないが、Googleなどで検索すれば、イラストは今なお閲覧可能な状態だ。ネットによる誹謗中傷は、雑誌や書籍、放送などによるものより、回収が難しい分、影響が長く残りやすい。伊藤さんの場合も、伊藤vs山口訴訟の一審判決やその報道によって社会的評価はかなり回復したといえるだろうが、「社会通念上許容される限度を超えた侮辱行為」は今なお進行中だ。精神的な苦痛が取り除かれたとはいえないだろう。

 ところが、この判決が認めた損害額は、「80万円」だった(請求金額は500万円)。しかも、算定基準が明らかでない。

 この判決の2日後、森友学園や加計学園をめぐる報道を「捏造」「虚報」などと書かれ名誉を傷つけられたとして、朝日新聞が文芸評論家の小川栄太郎氏と書籍の出版元の飛鳥新社を訴えた裁判の控訴審判決が出された。東京高裁は、小川氏と同社に計200万円の賠償を命じた東京地裁判決を支持し、双方の控訴を退けた。

 地裁判決では、小川氏の書籍の記載は、朝日新聞の「報道機関としての名誉及び信用を直接的に毀損する」とする一方で、出版によって朝日新聞社に多数の苦情が寄せられたり、取材が困難になるなどの被害は認められないとして、この金額を認定していた。

 事案の内容は異なるものの、どちらも政治的な色合いの濃い誹謗中傷だ。新聞社という企業が被害に遭った場合は200万円の賠償額が認められるのに、誹謗中傷を一身に浴びて日本にいられなくなった個人への賠償額が80万円というのは、どのような算定基準によってなされたものなのだろうか。

 ネット上の人権侵害に詳しい中澤祐一弁護士は、「裁判の相場からすると、これでも『やや高いほう』です。今回の裁判所も、一応高めにという判断はしたのだろうと思います」と指摘する。

 しかし、これで妥当な金額といえるだろうか。

「ネット中傷の慰謝料は100万円がひとつの壁になっており、相場が不当に低いのです」

 中澤弁護士によると、裁判実務では交通事故の慰謝料は定式化されており、通院5カ月で100万円強だという。

「ネット中傷では、PTSDに苦しむ方や自死される方もいらっしゃいます。相場のほぼ上限の金額が、交通事故の通院5カ月レベルというのはおかしいのではないか」

 相場が高額化し、表現の萎縮を招くような事態は望ましくないが、今回のように「社会通念上許容される限度を超えた侮辱行為」を何度も繰り返す場合には、もう少し被害に見合う賠償額が必要ではないのか。

単純リツイートは、「誹謗中傷ビラを街頭に貼る行為」と同じく“賛同”を意味するか?

 この裁判は、なんのコメントもつけずに単純RTした男性2人の行為を、裁判所がどのように評価するかについても注目されていた。

 判決は、単純RTの意味について、次のように判示している。

〈コメントの付されていないリツイートは、ツイッターを利用する一般の閲読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、(中略)特段の事情のみとめられない限り、(中略)当該元ツイートの内容に賛同する意思を示して行う表現行為と解するのが相当であるというべきである〉

 果たしてそうだろうか。

 私自身は、「賛同」の表明というより、新たな情報や視点、あるいは興味深い写真などを「紹介」する場合が多い。後から自分のコメントをツイートしようと思いながら、ほかのことに意識が向くなどして、しそびれる時もしばしばだ。

 先の中澤弁護士は、誹謗中傷の被害者救済の立場から、自身が所属する事務所のホームページに、今回の判決に関する論考「名誉毀損ツイートをリツイートすることは違法なの?」を掲載。単純RTを「賛同」ととらえた判断を批判し、こう書いている。

〈賛同しない中立的な立場であっても名誉毀損表現を拡散する行為は、被害を拡大させる〉
〈被害者の方々が問題視するのは「賛同」という話ではなく、単純に自らの権利を侵害するツイートが多くの人に向けて拡散されているという客観的状況です〉

 今回の裁判所の判断は、橋下徹・元大阪府知事が、自身に批判的なツイートをRTしたジャーナリストの岩上安身さんを相手取って起こした裁判で、2019年9月に大阪地裁が出した判決とまったく同じだ。

 ただ、大阪地裁の判断は、控訴審で改められている。2020年6月の大阪高裁判決は、こう判示した。

〈元ツイートの表現の意味内容(中略)他人の社会的評価を低下させるものであると判断される場合、(中略)当該投稿を行った経緯、意図、目的、動機等のいかんを問わず、当該投稿について不法行為責任を負うものというべきである〉

 つまり、「賛同」の意図があろうとなかろうと、名誉毀損のツイートをフォロワーにも見られるように拡散する行為は、特別な事情がない限り不法行為とみなす、というわけだ。

 曽我部真裕・京都大教授(憲法・情報法)は、「大阪高裁のほうが、今までの(名誉毀損についての)伝統的な考えを、素直に反映していると言えるでしょう」と語る。

 司法判断における「伝統的な考え」では、たとえば、誹謗中傷ビラを街頭に貼った人は、そのビラを自分が作っていなくても責任を問われる。他人が書いた誹謗中傷の文章を自分のブログのなかで紹介すれば、やはり責任を免れない。そうした考え方をSNSに応用すれば、他人のツイートをそのままRTした場合は、経緯や意図を問わず責任を負う、という論法になる。

「ただ、今回の東京地裁判決が、あえて大阪高裁判決を否定したとすると、RTしただけで名誉毀損になるとすることの危険性を考慮したのかもしれない」と曽我部教授は推測する。

「ビラを貼ったりブログで引用したりする行為は、それなりに手間もかかり、わりと意識的に行われる動作です。一方、RTは深く考えないまま、反射的に行ってしまう場合がある。その違いがあるのに、RTをビラ貼りなどと同じにとらえるのは(名誉毀損の)幅が広がりすぎると考えたのでは」

 それに、単純RTを「経緯、意図、目的、動機等のいかんを問わず、不法行為責任を負う」としてしまうと、次のようなケースが出てくる可能性がある。元ツイートが誤報で、それと知らずに単純RTして拡散した人がいた場合、元ツイートを発した者は「真実と信じる相当の理由」あれば、名誉毀損の責任を問われない。ところが、単純RTをした人は、理由を問わず責任を負わなければならなくなる。

「そうなると、RTはかなりリスクの高い行為となってしまう。なんらかの形で(大阪高裁の判断を)修正をして、RTの自由を確保するようにしたほうが望ましいのではないか」と曽我部教授。

情報発信は容易になっているが、それに伴う責任は大きいということを知らしめるべき

 単純RTがどのような場合に名誉毀損に当たるかは新しい問題で、いまだ最高裁の判例はない。先の中澤弁護士は「下級審ごとに、ケースバイケースの判断をしている」と現状を説明する。ただし最近は、単純RTをした者にも責任が認められることが多く、責任を問われないのは、別のツイートで当該元ツイートに疑問を呈するなど、なんらかの手当をしている場合だという。

 司法判断の基準は、今後裁判例が積み重なることで決まっていくのだろうが、単純RTでも責任を問われ得るという方向性は変わらないだろう。SNSユーザーは、自らの自由な表現を確保するためにも、この司法の傾向を自覚する必要があるだろう。

 中澤弁護士は、事務所HPのなかでこう指摘している。

〈もちろん元ツイートに対して賛同して積極的に攻撃する人は大きな問題ですが、そのようなレベルまでいかず、深い考えもなくリツイートし被害を拡大させる多数の“無自覚な加害者”こそが深刻な被害を引き起こしているのです〉

 では、この「無自覚な加害者」を減らしていくにはどうすればいいのか。

「情報発信は容易になっていますが、それに伴う責任は大きいというのを広めるしかないと思います。制度論的には、発信者情報開示制度を充実させ、被害者の権利行使を容易にすること。現状は、責任追及のコストや法的ハードルが高すぎるため、事実上責任を問われない範囲が広く、その結果、無責任な情報発信も増える悪循環になっている」(中澤弁護士)

「今回のように、イデオロギーがからむ確信犯型(誹謗中傷)は、社会の分断を反映しているともいえ、なくすのはなかなか難しいが、よくわからないままRTする人や付和雷同型には、啓発やこうして司法で責任を問われることを周知していくべきでしょう」(曽我部教授)

 RTのボタンをクリックする前に、一瞬手を止めて、これが被害を生まないか、自分の責任を問われないか、考えるようにしたい。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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