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江川紹子の「事件ウオッチ」第195回

【江川紹子が危惧する報道と権力の“距離”】読売新聞と大阪府の連携、立憲民主の資金提供

文=江川紹子(ジャーナリスト)
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左は、吉村洋文・大阪府知事(写真=Pasya/アフロ)、右は、読売新聞大阪本社が入る読売大阪ビル
左は、吉村洋文・大阪府知事(写真:Pasya/アフロ)、右は、読売新聞大阪本社が入る読売大阪ビル(写真はwikipediaより)

 ジャーナリズムに対する信頼を考えるうえで悩ましいニュースが、年末と年始に相次いで飛び込んできた。

 ひとつは、昨年の御用納め前日の12月27日に発表された、読売新聞大阪本社と大阪府との間の包括連携協定締結。もうひとつは「公共メディア」を標榜し、政治家やジャーナリスト、識者らが議論する番組などを提供しているインターネット・メディア「Choose Life Project」(CLP)が、半年にわたって立憲民主党から1000万円以上の資金提供を受けていたことが明らかになった件だ。こちらは1月5日に出演者有志が抗議声明を出し、翌日にCLP側も事実を認めた。

大阪府との“包括連携”によって、権力からの読売新聞の独立性は担保されるのか?

 メディアと行政との連携を考えた時、新聞を活用した学校での情報教育など、特定の分野での協力関係であれば、行政とメディアが協力するのはあり得る、と思う。将来の読者を育てたい新聞社の思惑と、虚偽情報があふれる今の社会で子どもたちのリテラシーを育む行政の使命はかみ合うし、それは時代や社会の要請とも合致する。手続や金銭関係などを透明化したうえで実施することには、反対する人は少ないのではないか。

 しかし、包括連携協定となれば、多くの分野で行政と報道機関が一体となって動く、ということになる。実際、大阪府のホームページによれば、読売新聞との協定は、教育・人材育成、情報発信、安全・安心、子ども・福祉、地域活性化、産業振興・雇用、健康、環境の8分野にわたって、連携と協働を行う、とある。

 しかも、その後の報道によれば、連携事項のなかには「その他協定の目的に沿うこと」という項目もあり、解釈次第であらゆる事柄が「包括」される可能性がある、という。「連携と協働」があれば、当然のことながら金が動くことになろう。

 柴田岳・同社取締役社長との間で取り交わされた締結式の際、吉村洋文知事から次のような発言があった、とのことだ。

「読売新聞さんの得意分野である『読む・書く・話す』力を活かし、仕事で欠かすことのできないコミュニケーションスキルの向上に向けた支援をはじめ、子どもたちのSDGs・社会課題についての理解の促進や災害時の新聞提供等、さまざまな分野で協力いただけることは心強い。また、今回は新聞社との初めての協定となるが、協定書に明記しているとおり、取材・報道活動とは切り離したものであり、社会課題の解決・大阪の活性化に向け、協働して取り組んでいきたい」

 社会課題の解決や地域の活性化という大きな目標は、行政とメディアが共有できるものだろうが、その実現のためのやり方は異なる。報道機関は、行政を含めて当事者から独立し、客観的な立場で取材・報道をするのが基本的な責務で、行政のチェック役も果たさなければならない。

 日本新聞協会が策定した新聞倫理綱領の前文には、こう書かれている。

〈国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。〉

 日頃から、多くの分野で協働する関係になれば、権力からの独立はうやむやになり、「もっともふさわしい担い手」として信頼されなくなってしまうのではないか。

 吉村知事は「取材・報道活動とは切り離したもの」と言うが、そんな簡単なものではあるまい。個々の人間、組織の営みは連続したものだし、人と人との関わりが濃厚になれば、「ここまでは協働、ここからは取材」などとすっぱりと切り分けることができない場面もあるだろう。

 そうした懸念に対し、読売の柴田社長は、記者会見でこう述べた。

「懸念をもたれる向きはわかるが、読売はそうそう、やわな会社ではない。記者の行動規範には『取材報道にあたり、社外の第三者の指示を受けてはならない』『特定の個人、団体の宣伝のために事実を曲げて報道してはならない』と定められ、これに沿って公正にやるとなっている」

 しかし懸念されるのは、記者が「第三者の指示」通りに動くとか、「事実を曲げて報道」するなどの極端な事例ばかりではない。行政との協力関係の中で仕事をしていくうちに育まれる一体感が、新聞社の独立性に影響しないといえるだろうか。一緒に仕事をすれば、相手の立場も気になるのが人情である。「指示」がなくとも、「忖度」は働くかもしれない。

 だからこそ、意識的に独立性を守る努力が必要なのだ。柴田社長は「やわな会社ではない」と見得を切るが、そういう過剰な自信が、むしろ不安材料である。

大阪府との協定直後の、読売新聞による“吉村知事ヨイショ記事”が招いた多くの憶測

 報道機関の独立性が大切なのは、それが報道への信頼に直結するからだ。報道機関に所属する人たちが、いくら「我々は独立性を守っている」と力んでも、それが本当なのかは、外部の読者・視聴者からは確認できない。だからこそ、外形的にも独立性が担保されている、とわかることが必要だ。

 この協定が結ばれた3日後の12月30日、読売新聞オンラインにこんな見出しの記事が掲載された。

吉村洋文知事、休日の筋トレ姿を公開! たくましい筋肉に黄色い声殺到「カッコ良すぎ」「キャー!」〉

 吉村知事が自身のインスタグラムで、筋トレ中の姿を公開したところ、フォロワーたちから「吉村さんカッコ良すぎます」「どこまでも男前やん」「カッコイイ」「あーもう好きすぎる」「キャー! キャー! やっぱり鍛えてはったんですね」等々の“黄色い声”が送られている、との内容だった。

 読んでいて恥ずかしくなるような、あからさまな提灯記事である。さすがに読売新聞の記者が書いた記事ではなく、系列のスポーツ報知が配信した記事を転載したものだ。とはいえ、それをわざわざ自社の公式ニュースサイトに掲載するほどのニュース性がどこにあると判断したのか、理解に苦しむ。

 私自身は、このネット記事が包括連携協定と関係しているとは思わない。吉村知事については、大阪のメディアを中心に、もともと“ヨイショ記事”が多く(そのこと自体は問題だと考えるが)、これもそのひとつだろう。だが、協定締結直後とあって、読売新聞と大阪府の近さを示すものではないか、との憶測も呼んだ。

 それを余計な憶測と無視していてよいのだろうか。私は、こういうことの積み重ねが、じわじわと報道機関への信頼を浸食していくのではないか、と懸念する。それでなくても、マスメディアに対する人々の信頼が揺らいでいる時代である。真偽不明の情報が飛び交う今、これ以上、報道機関に対する信頼が損なわれれば、人々は何をよりどころに判断をするのかわからなくなり、民主主義は根底から瓦解しかねない。

 だから、報道機関は「我々は独立性を担保している。大丈夫」と自信を持つだけではなく、外から見ても「確かにいかなる権力からも独立している」と思われる「独立性らしさ」も保たれている必要がある、と思う。

 ところが、このように行政との包括連携協定を結んでいるのは、読売新聞には限らないようだ。1月4日付け日刊スポーツによると、2016年に宮崎県都城市と宮崎日日新聞が同様の提携をして以来、2018年には横浜市とTBSなど、すでに多くの自治体とメディアが包括協定を結んでいる、という。

 行政と連携することで、一定の収益が見込めるという経営的な要請もあるのかもしれない。しかし、「独立性」や「独立性らしさ」を犠牲にしかねないこのような協定が、長い目で見てメディアにとってプラスなのか、経営陣はここで熟考する必要があるのではないか。

ジャーナリズムの信頼性を揺るがす“独立性の偽装”は「公共メディア」としては致命的

 もうひとつのCLPの一件も、「独立性」「独立性らしさ」が問題になった事例である。

 CLPの佐治洋・共同代表の説明によると、2020年3月からファンドが運用されるまでの間、約1500万円(1動画あたり平均5万円・1番組あたり平均12万円程度)の制作費を立憲民主党から提供してもらっていた、という。その後はクラウドファンディングで集めた資金で活動し、政党からの資金援助は終了した。ただし、このクラウドファンディング実施の際に、立憲民主党からの支援については明らかにしていなかった。

 これを、ツイッターで野党批判を繰り返し、立憲民主党の国会議員から名誉毀損で裁判も起きている「Dappi問題」とも関連付けて語る識者もいるが、この両者は似て非なる問題だ。

 「Dappi問題」は、SNS上の匿名アカウントが真偽取り混ぜた発信で野党を攻撃しているうえ、その発信元と見られるWEB制作会社の得意先のひとつが自民党だったことが問題とされている。つまり、野党やリベラル勢力を攻撃する匿名アカウントの裏に、自民党がいるのではないか、という疑惑が持たれ、巨大与党の広報戦略のあり方に関心が向けられている。Dappiは、もともと公共性のあるメディアではなく、ジャーナリズムの信頼性が問われた問題とは異なる。

 一方のCLP問題は、立憲民主党の政党としてのあり方よりも、CLPのメディアとしての独立性、透明性に疑念がもたれている。

 出演者の有志が抗議した後の説明で、佐治代表は番組内容について、次のように弁明した。

〈資金提供期間に特定政党を利するための番組作りはしていません。立憲民主党からCLPや番組内容への要求・介入はありませんでした〉

 大阪府と読売新聞が、「連携と協働」はあっても取材や報道とは別、と言うのと似たような説明である。ただ、この両者が関係を公表したのに対し、暴露されるまで資金提供を伏せていた分、CLPの説明は説得力に乏しい。

 佐治代表は、事実を公表していなかったことについて反省の弁を述べつつ、政党の支援を受けた理由について、こう弁明している。

〈テレビや新聞などのマスメディアと異なり、ネットメディアについてはそれほど厳密な放送倫理の規定が適用されるわけではなく、政党や企業や団体からの資金の提供についてマスメディアであれば抵触するであろう各種法令は適応外であろうという認識でいました〉

 確かに、ネットメディアはテレビのように放送法の規定に縛られるわけではない。しかし、法律の規定に縛られているわけではない新聞が、これまでなぜ独立性を重視してきたのかを、TBSの報道記者を務め、『報道特集』のような報道番組に携わった佐治氏が知らないわけはあるまい。

 このような言い訳は、独立性を保つ努力をしながら情報発信をしている、他のネットメディアにとっても大きな迷惑だろう。反省が足りないといわねばならない。

 CLPが、当初から番組に「立憲民主党提供」とスポンサー名を明らかにしていれば、少なくとも今回のように、出演者から「重大な背信行為」などと非難されるようなことはなかった。

 ただ、そうすれば独立性への疑問符がつく。立憲民主党が資金を提供したのは、CLPへの支援は同党の理念や利益に叶う、と判断したからに違いない(そうでなければ、資金提供は党や党員への背信行為になってしまう)。CLPの番組制作者が、同党に露骨に肩入れをするつもりはなかったとしても、外から見れば、「立民系」のメディアと映る。そのような“色”がつくのを嫌い、資金提供の事実を伏せたのではないか。それは、“独立性の偽装”であって、「公共メディア」としてはかなり致命的な問題といわざるを得ない。

 せっかく志をもって始めたメディアなのだから、ここはしっかりと第三者による調査を行い、事実をすべて明らかにして、一から出直してもらいたい、と思う。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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