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木村誠「20年代、大学新時代」

早慶ダブル合格者の選択に異変が起きている…早稲田の逆襲と慶應三田会の存在感

文=木村誠/大学教育ジャーナリスト
早稲田大学の大隈講堂(「Wikipedia」より)
早稲田大学の大隈講堂(「Wikipedia」より)

 早慶ライバル史では、昭和末期の1980~90年代は早稲田の時代、平成の30年間は慶應の時代といってもよいだろう。

 昭和末期は高度成長期で、受験生の東京志向と進学率の上昇がマッチングしていた。そんなとき、昭和54年(1979年)には共通1次試験が導入された。当時は国公立大が対象で、原則5教科7科目だった。5教科の重い負担を嫌った受験生は東京の有名私大に集まり、軒並み志願倍率も高くなった。学力偏差値でも国易私難時代と言われた。特に典型的な私大型3教科入試の早稲田は、地方受験生にとっても相性が良く人気が高まった。

 地方の旧帝大系の有力国立大に合格したのに、東京の有名私大を選ぶ受験生も、特に女子に少なくなかった。東京の吸引力はパワフルだったのだ。

 ところが、1990年代からの平成に入ると、ニューヨークの同時多発テロやリーマンショックもあり、世界経済は低成長時代に移行した。また、平成2年(1990年)には大学入試センター試験が導入された。共通1次試験と違って、センター試験では大学が入試科目を選べ、国立大でも5教科にこだわらず、分離分割方式後期ではセンター試験3教科入試も増加した。そして、私大もアラカルト方式で参加が可能になった。

 また、低成長時代で受験生の東京志向も弱まった。東京の有名私大の入学者の出身地の割合を見ても、首都圏が徐々に増えている。早稲田も例外ではなかった。

 また、首都圏の私立進学高校が、東大をはじめ早慶クラスでも合格者上位を占めるようになった。彼ら彼女らは、受験勉強の負担から言っても、私大型入試科目に力を入れてきた浪人に対抗せざるを得ない早稲田を敬遠する傾向が強まり、個性的な入試形態の慶應が私大トップ受験生の有力な選択肢になった。有名私立進学校の中高生にとっては、都会風でリッチな慶應のカラーの方がなじみやすいということもあったのかもしれない。かくして、私大3教科型の入試にこだわらず、日本で初めてAO入試を導入したSFC(湘南藤沢キャンパス)など慶應の人気は高まった

 そのため、正確な調査結果はないが、早慶を併願して両方に合格すると、昭和の1980年代までは早稲田の選択率が高かったが、平成に入ると慶應に逆転された印象だ。

 30年近くたった平成29年(2017年)頃には明確な差がつき、東進ハイスクールの調査では、早稲田(政経)VS慶應(法)で26%:74%、法学部同士だと6%:94%と慶應の圧勝、文学部でも早稲田46%:慶應54%となっていた。早稲田の看板学部の理工系でも、早稲田(先進理工)33%:慶應(理工)67%、早稲田(創造理工)29%:慶應(理工)71%と、受験生の選択志向は慶應にあることが歴然としている。

令和に入ると早稲田復権の動きあり

 ところが令和に入ると、早慶併願合格者の比率で、またまた早稲田が復活しているようだ。ただし、慶應(法)は法科大学院の司法試験合格者数で、平成の間、全国大学トップクラスをキープ、人気を持続している。10人の早慶ダブル合格者のうち7人以上が慶應を選んだのだ。まさに、平成の慶應の強さを象徴していたと言える。

 ところが、令和3年(2021年)になると、全体の率ではダブル合格者の65%が慶應を選んでいるものの、これは(法)の大差が要因で、(法)同士ではダブル合格者の84%が慶應を選んでいる。一方、他学部では異変が起きている。

 早稲田(政経)と慶應(法)では71.4%:28.6%、慶應(経済)では60%:40.0%と早稲田が高くなっている。(商)でも早稲田が2021年に51.7%と慶應を逆転。文学部系でも早稲田の文化構想の人気は高まり、慶應(文)に対して66.7%と圧勝している。理工系も早稲田(創造理工)や(先進理工)は慶應(理工)に対して、併願者選択率がそれぞれ58.8%、56.0%と上回っている。

 明らかに平成から令和にかけて、「早慶受験地図に変化」が起きているのだ。早稲田は「国際教養学部」が注目を集め、海外留学生数では全大学1位で、田舎っぽさからグローバリズムな雰囲気へ転換している。中国人留学生の間では、WASEDAの人気は日本の大学でトップクラスだという。

「女子学生の比率」も早稲田が慶應を上回っている。昔はマンモス授業で教室にまじめに毎回出席するのは変わり者、というイメージがあったが、今や一変、少人数クラスがスタンダードで、出席率は2002年に45%だったのが2014年は68%にまで上昇した。真面目な校風になったのだ。

 早稲田は、平成の時代に理工学部を基幹・創造・先進の3学部に、文学部を文・文化構想の2学部に再編した。それらの理解が高校の教員にも行き届きつつあり、進路指導にも反映されている。

 2021年入試の政経学部の数学1A(大学入学共通テスト)の必須化など、入学後の大学教育への思いが表面化してきたことも、イメージチェンジになったようだ。ただ、政経学部も合格者に難関国立大との併願者が増加することを予測して、補欠合格制度を導入するなど苦労はしているようだ。

実学に徹した慶應の強みと弱み

 平成の慶應は、確かに私学では応援歌「陸の王者」とも言うべき快進撃であった。1990年代に入ると、神奈川県にSFC(湘南藤沢キャンパス)の総合政策学部や環境情報学部を開設し、私大で初めてAO入試を導入した。また、授業も教室での講義形式でなく、討論などを取り入れたアクティブラーニングを展開して、全国的に注目を集めた。初期の卒業生には、ITの先進企業で、ベンチャーの役割を果たした人材が目立ち、山口絵理子さんのような社会的起業家(本人は戸惑いを感じているというが……)も輩出した。

 三田キャンパスの学部も、低成長時代に強力な同窓会三田会を利用した就活で、その名を高めた。その根底には、崇高な真理の探究よりも「実学重視」の校風があった。

 司法試験合格の実績で有名な法学部は、今や慶應文系の最難関である。1970年代は最も入りやすい学部であったが、法科大学院設立時に徹底した現実重視で成功した。

 法科大学院制度のスタート時の設立理念は、法曹人材の多様性を実現するため法学部以外の学部出身でも受講できる3年制の未修コースを設け、法学部対象の2年制の既修コ―スと並立したのだ。早稲田などはその理念に沿って未修コースを主体としたが、慶應は既修コースを主体にして、他の大学の法学部卒業生を積極的に受け入れた。

 その結果、早稲田法学部卒業で慶應法科大学院の受験生が司法試験に合格すれば慶應の合格者にカウントされ、実績となっていった。まさに実学の校風が生かした例であろう。

 公認会計士の合格者数でも連続トップの実績を誇っているが、その裏には公認会計士三田会の強力なサポートがある。もちろん他の私大でもそうした実績作りのサポート態勢が充実しつつあるが、慶應では三田会という自発的集団が中核になっている点が強い。

 さらには、最近、本連載でも紹介したが、山形県鶴岡市の慶應大学先端生命科学研究所の相次ぐベンチャー企業の輩出など、新しい動きが注目されている。そのエネルギーが他の学部にも及べば、令和にも慶應の新たな栄光の歴史を刻むことになるだろう。

(文=木村誠/大学教育ジャーナリスト)

木村誠/大学教育ジャーナリスト

木村誠/大学教育ジャーナリスト

早稲田大学政経学部新聞学科卒業、学研勤務を経てフリー。近著に『ワンランク上の大学攻略法 新課程入試の先取り最新情報』(朝日新書)。他に『「地方国立大学」の時代–2020年に何が起こるのか』(中公ラクレ)、『大学大崩壊』『大学大倒産時代』(ともに朝日新書)など。

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