山形の慶應大学“先端研”に全国の大学関係者が注目する理由…「大学が地方創生」の成功例に
安倍政権の看板政策だった地方創生。しかし、思うような成果は出ず、東京と地方の地域格差は広がるばかり。文部科学省は東京(首都圏)の私立大学の定員抑制策で若者の東京一極集中の流れを少しでも変えようと試み、同時に地方大学を主役とするCOC+(地<知>の拠点大学による地方創生推進事業)を実施した。多くの大学が応募して選定された各COC+事業について、事業開始6年後の2020年に最終的な評価が出た。
このCOC+の評価ランクは4段階あって、S(優れている)が最高で、A(妥当である)→B(やや不十分である)→C(不十分である)と評価が下がる。最終評価で、Sが12大学、Aが23大学、Bが7大学で、さすがにCはなかった。申請の中から選定された取り組みであるから、当然であろう。
有力国立大の多くはAランクかBランクで、目標を十分に達成した優れた成果とは言い難いという結果であった。最高評価のSランクに、私大2校(東北学院大学と共愛学園前橋国際大学)が入った。
もともと、東京一極集中は、資金とチャンスのある都会に人が流れる資本主義の必然的法則のようなもので、大学政策だけでどうにかなるものではない、という批判はあった。しかし、その法則のままに任せていては、地方消滅という事態は避けられない。そこで、地方の大学教育を改革して学生の就業力を高め、インターンシップなどで地元企業との連携を深めて、雇用を生み出す試みが続けられているわけだ。
その一つ、地域連携プラットフォームなどの構築促進に向けたシンポジウム 「大学の力を活用した地方創生に向けて」が、7 月13 日にオンラインで開かれた。先進的な取り組みを進める大学などの事例を発表することで、その目的と成果などを参加者と共有し、大学と地域の連携促進を目指すものである。
東北に生まれた慶應の「先端研」とは
日本海に接する城下町の山形県鶴岡市。その郊外に慶應義塾大学先端生命科学研究所(先端研)が開設されたのは2001年、20年前のことである。母体であるSFC(慶應・湘南藤沢キャンパス)は「湘南」といっても海から3キロも離れた田園地帯なので、田んぼが広がる鶴岡市郊外にサテライトキャンパスをつくることに、あまり違和感はなかったのかもしれない。そのサテライトキャンパスが、今や地方創生のサクセスストーリーの主役として、全国の大学関係者の注目を集めているのだ。
20年前はバイオサイエンスといっても日本ではまだまだ草創期だった。先端研の冨田勝所長はSFCから派遣されたたった一人の教授で、他の研究スタッフは新規雇用者ばかりであった。それが、かえってよかったのかもしれない。進取の精神に富み、自由な学風が育まれた。次々と国際的な研究誌に論文が載り、その成果もあってベンチャー企業が続出した。
その代表例がSpiber(スパイバー)である。創業者の関山和秀さんは、先端研で「クモ糸人工合成」を研究していた。クモの糸が持つタンパク質の特性を人工的に再現して、量産化することに成功。今や世界的なアパレルメーカーと提携・取引している。衣料の素材である綿の生産が砂漠化を進め、温暖化の要因となっている現状を考えれば地球温暖化防止にもつながる。まさにベンチャーらしい志を感じる。
この先端研からはほかにも、細胞内の代謝物質を短時間で解析する技術で特許を取り、その技術で利用するHMT(ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ)、唾液によるがんの診断法を開発したサリバテックなど、多くのベンチャー企業が生まれている。
先端研がある鶴岡サイエンスパークには、これらのベンチャー企業や理化学研究所、国立がん研究センター、民間企業などが入居する貸しラボ「鶴岡市先端研究産業支援センター」や先端研バイオラボ棟のほか、スパイバーの本社研究棟と試作研究棟、子育て支援施設、宿泊施設、レクチャーホールもある。大学キャンパスより進化している。
市内には、JR鶴岡駅を挟んで、慶應義塾大学タウンキャンパス、先端研のからだ館、東北公益文科大学大学院、市と両大学の共同運営による致道ライブラリー(図書館)がある。また地元の人材育成として、高校特別研究生も受け入れている。冨田所長は研究生に特別な受験勉強などさせずに、自分で研究してその成果をアピールしてAO入試で合格することを目指すなど、いわば新しい高大接続の価値を模索している。
この20年間、先端研をはじめとするサイエンスパークなどによる鶴岡市への経済波及効果は大きい。サイエンスパーク内で新規雇用者が500人という雇用創出効果があり、経済波及効果は実績で30億円を超え、2023年には48億円、2028年には65億円の見込みだという。鶴岡市長3代の協力が、大きく実を結んだということであろう。
早稲田、大正ら東京の私大も地域振興に注力
慶應・鶴岡のサクセスストーリーは、慶應の一研究者の想いが鶴岡で花開いたケースである。東京の私大が地方創生に協力しようという事業構想ではないが、この先例から、東京の教育研究成果を地方で活かそうというチャネルは、これからはもっと多様で太くならなければならない。
早稲田大学は、小説『青春の門』にあるように地方の学生が目指すシンボル的存在だったが、近年は首都圏からの入学生が増えて、大学も危機意識を持っている。新思考入試(地域連携型)や、在学生には地域連携型実践教育やインターンシップを実施している。岩手県田野畑村、静岡県南伊豆町、岡山県津山市などでフィールドワークを実施してきた。2020年はコロナ禍があり、上記3地域のほか、新潟県燕市、長野県木島平村、石川県珠洲市、大阪府堺市、和歌山県串本町などと、オンラインで地域の課題解決型演習を行った。
この実績から、今後は現地でのフィールドワークとオンラインによる討論など、ハイブリット型地域連携型実践教育も検討されるべきだろう。
仏教系の大正大学は、ズバリ地域創生学部をつくった。全学年クォーター制(4学期制)のうち、1学期の約2カ月を実習授業にあてる。計8カ月の長期実習なので、受け入れ先があるのかという懸念を持つが、そこは仏教系、全国にお寺がある。現に、最初に実習を受け入れた九州・宮崎県の延岡市では、地元の大きな寺院の住職がOBだった。当時の市長は、今は同大の副学長である。同学部は地元に戻る学生も多く、同大への進学は“東京留学”と呼ばれるほどだ。
ほかにも、全国にキャンパスのある東海大学なども、全国に連動した地域連携活動をしている。立教大学のように、東日本大震災の被災地・岩手県陸前高田市にサテライトキャンパスをつくる構想を進めているケースもある。地域振興は地方の大学だけの課題ではないのだ。
(文=木村誠/教育ジャーナリスト)