安倍晋三元首相が奈良市で参院選の街頭演説中に銃撃され、死亡した。現行犯逮捕された41歳で無職の山上徹也容疑者は強い不満を抱え、絶望感にさいなまれていたローンウルフ(一匹狼)で、復讐願望を募らせたあげく凶行に及んだように見える。
しかも、山上容疑者は「とにかく殺そうと思って、遊説先をつけ回していた」と供述しており、実際に手製の銃を持参し、複数の演説会場を訪れていたようだ。これだけ激しい殺意を持って安倍氏を狙ったのは一体なぜなのか。
現時点で報道されている事実から、次の3つの理由が考えられる。
1)恨みによって復讐願望を正当化
2)強い他責的傾向
3)<例外者>特有の特権意識
まず、山上容疑者は特定の宗教団体の名前を挙げて「母親が信者で、多額の寄付をして破産し、絶対成敗しないといけないと恨んでいた。安倍氏が団体とつながりがあると思って狙った」と供述しているという。したがって、この宗教団体に対して山上容疑者が相当強い恨みを抱いていたことがうかがえる。
山上容疑者の母親がこの宗教団体の信者であり、多額の寄付をしていたのは事実のようだ。しかも、母親は2002年8月に破産宣告を受けているし、「山上容疑者は子どもの頃から、母親が入信していた宗教団体をめぐって苦労していた」という親族の証言もある。こうした事情から、山上容疑者がこの宗教団体に恨みを募らせたとしても不思議ではない。
問題は、恨みが強いと、復讐願望を抱き、しかもそれを正当化することだ。山上容疑者が「宗教団体のせいで家庭が崩壊し、その結果自分は不利益をこうむり、大変な目に遭ったのだから、恨みを晴らすために復讐しても許されるはず」と正当化した可能性は十分考えられる。だからこそ、「団体のトップを狙うつもりだった」と供述しているのであり、トップとの接触が難しかったから、矛先を向け変えて安倍氏を銃撃したのだろう。
山上容疑者が恨みと復讐願望を募らせたのは理解できなくもないが、母親が自己破産したのは20年前である。その後、自分の力で窮地を打開することもできたはずなのに、彼の人生はあまりうまくいかなかったようだ。2002年、21歳で海上自衛隊に入隊し、2005年までの3年間、任期制自衛官として勤務。除隊後は職を転々としていた。
最近は、2020年10月から京都府内の工場でフォークリフトで荷物をトラックに積み込む「リフトマン」として働いていた。しかし、トラック運転手や同僚と口論になることがしばしばあり、今年3月頃から欠勤が目立つようになって、5月に退職。犯行時は無職だった。
職を転々としたり、職場でトラブルを起こしたりするのは、母親が宗教にのめり込んで自己破産したことと直接関係があるのだろうかと疑問を抱かずにはいられない。それでも、山上容疑者が自分の人生がうまくいかないのは、母親が入信した宗教団体のせいだと思い込んでいたとすれば、何でも社会や特定の集団のせいにする他責的傾向が強いといわざるをえない。
このように他責的傾向が強いのは、無差別殺人犯にも認められる特徴である。今回の犯行現場になった演説会場で、山上容疑者が安倍氏に近づくことができなかったら、復讐の矛先をもう1度宗教団体に向け変えて無差別大量殺人をもくろんでいた可能性も否定できない。
<例外者>特有の特権意識
山上容疑者には同情すべき点もないわけではない。幼い頃に父親を亡くし、母方の祖父の家で暮らすようになったものの、その祖父も他界。母親は1999年に祖父の家を売り払っているが、それはちょうど山上容疑者が地元の名門進学高校を卒業した年だ。しかも、宗教団体に多額の寄付をしたせいで、母親は2002年に自己破産。この年に山上容疑者は自衛隊に入隊している。
こうした一連の経緯から、経済的に苦しい一家だったのではないかという印象を受ける。もしかしたら、そのせいで大学進学を断念、あるいは大学中退を決意しなければならない事情もあったのかもしれない。
こういう家庭環境で育った人のなかには、「不公正に不利益をこうむったのだから、自分には特権が与えられてしかるべきだ」と思い込み、自分には「例外」を要求する権利があるという思いが確信にまで強まっているタイプが存在する。このようなタイプをフロイトは<例外者>と呼んだ。
この手の願望は、誰の心の奥底にも程度の差はあれ潜んでいるかもしれない。しかし、そういう願望を抱いても、名家の御曹司か大金持ち、よほどの美貌か図抜けた才能の持ち主でもない限り、許されるわけがない。そこで、自分自身の願望を正当化するための理由が必要になる。
それを何に求めるかというと、ほとんどの場合自分が味わった体験や苦悩である。<例外者>は、自分には責任のないことで「もう十分に苦しんできたし、不自由な思いをしてきた」と感じ、「不公正に不利益をこうむったのだから、自分には特権が与えられてしかるべきだ」と考える。
何を「不公正」と感じるかは人それぞれである。容姿に恵まれなかった、貧困家庭に生まれた、病気になった、理不尽な仕打ちを受けた・・・など、さまざまだ。本人が不利益をこうむったと感じ、運命を恨む権利があると考えれば、それが自分は<例外者>だと思う口実になる。ときには、「あらゆる損害賠償を求める権利」を自分は持っているのだから、普通の人が遠慮するようなことでも実行してもいいと自己正当化する。
こうした傾向が山上容疑者にもあるように見受けられる。たとえば、2020年10月から働いていた京都府内の工場で、採用から半年ほど過ぎた頃から、仕事の手順を守らないことが目立つようになったというエピソードだ。この工場の男性責任者は「自己中心的でわがままな性格が出てきた」と話しているが、実際今年3月には同僚から手順違反を指摘されて激しい口論になり、山上容疑者は「そしたらお前がやれや!」と叫んだらしい。
このエピソードから見て取れるのは、本来守るべき仕事の手順であっても、自分だけはやらなくても許されるという思い込みだ。このように例外的な特権を要求することを山上容疑者は正当化しているように見え、<例外者>という印象を受ける。
こうした正当化からは、「裏返しの特権意識」とでも呼ぶべきものが芽生えやすい。これは、普通の人なら遠慮するようなこと、あるいは通常はばかられるようなことでも、実行する権利があるという思い込みにしばしばつながる。その結果、暴走して今回の銃撃事件を起こしたのかもしれない。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
ジークムント・フロイト「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」(中山元訳『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの 』光文社古典新訳文庫、2011年)