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予備校の代名詞「駿台」校舎閉校ラッシュの背景…浪人生激減、ビジネスモデルが岐路

文=A4studio
駿台予備学校(「Wikipedia」より)
駿台予備学校(「Wikipedia」より

 6月13日に朝日新聞デジタルが報じたところによると、大学入学共通テストを受験した浪人生がここ10年で3割減るなど、今、浪人生という存在が激減しているという。その影響もあってか、予備校大手の駿台予備学校は今年3月、神奈川県の「藤沢校」と「あざみ野校」の閉校を決定し、県内の校舎は「横浜校」だけになるという。ちなみに埼玉県内もすでに1校だけになっており、統廃合が加速している。

 そこで昭和・平成期に一時代を築いた「駿台」のビジネスモデルが、浪人生の減少によってどのような事態に直面しているのかについて、大学ジャーナリストの石渡嶺司氏に解説してもらった。

神田の学生街に居を構え、浪人生に寄り添いながら成長を遂げていった駿台

 まず、駿台とはどういった成り立ちの予備校なのか。

「駿台は明治大学の教授であった山崎寿春氏が創設した予備校で、東進ハイスクール、河合塾と並び、“日本三大予備校”の一角と呼ばれています。創設者の山崎氏は、1918年に今の駿台予備学校の前身となった『東京高等受験講習会』を立ち上げました。1927年には東京の神田駿河台に『駿台高等豫備学校』を創設し、1940年には同地に初の校舎となる、現在の『駿台予備学校お茶の水校1号館』が建造されています」(石渡氏)

 初の校舎が建てられた神田という地が、駿台と浪人生たちを強く結び付けていったという。

「当時の神田地域は、明治期以降に日本有数の学生街が形成されたことでも有名です。というのも、神田周辺には明治大学や法政大学など、多くの大学があっただけでなく、東京でも有数の下宿街だったので、多くの浪人生がこの街に暮らしていたからですね。

 そこに居を構えた駿台は、戦前に浪人生向けの授業を行ったことで人気を博し、戦後、日本における大学進学率の上昇に従って多くの受験生たちを支える存在として、他の予備校とともに急激な成長を果たしていきました」(同)

大学進学率の上昇と、それに伴う浪人生の増加で躍進をしていった予備校ビジネス

 大学進学率の上昇とともに伸びていった予備校ビジネスだが、とりわけ80年代や90年代に盛んだった印象がある。

「文部科学省発表の『学校基本調査』によると、1950年代は10%前後だった大学進学率は、高度経済成長期に上昇し、70年代には30%台後半に到達。続く80年代は横ばいとなるも、バブル景気後の90年代半ばから再び上昇。現在は55%前後となっています。

 バブルが崩壊したのになぜ大学進学率が上がるんだ? と思われるでしょうが、実はその景気低迷こそが原因。つまり企業側が業績上昇のために、学歴のある人材をより求めたのです。大卒でないと就職しづらい時代へ突入し、これは大学受験をサポートする予備校需要にもつながり、“予備校ブーム”のきっかけになりました」(同)

 こうした予備校人気を支えていた背景としては、当時その数が多かった浪人生の存在も大きかったという。

「『学校基本調査』をもとに私が作成したグラフによると、1981年に1浪以上の人は34.4%にまで上がっています。なぜこれほど浪人生がいたのか。これも大学進学率増加による競争激化によるものでしょう」(同)

 石渡氏によると、90年代初期までは、今とは違う浪人生への社会認識があったそうだ。

「私も愛読していた漫画ですが、87年〜90年に連載されていた原秀則先生の『冬物語』という作品があります。これが実に当時の受験生の空気感をうまく捉えていました。本作は、浪人生の主人公が2浪して専修大学に合格するまでを描いているのですが、当時高校生で漫画を読んでいた私は、自分は2浪することはないと高をくくっていましたが、見事に2浪することになりました(笑)。

 ただ、自己弁護するわけではないですが、当時とある大手予備校が打ち出していたフレーズに『現役偶然、一浪当然、二浪平然、三浪唖然、四浪憮然、五浪愕然、六浪慄然、七浪呆然、八浪超然、九浪天然、十浪無為自然』というものがあったように、現役での大学合格は世間的にも狭き門として認識されていました。言い換えるなら1浪、2浪で大学に入るというのは、わりと普通だったのです」(同)

 だが、そんな浪人生の数は、社会の変化とともに急変していく。

「90年代初めにバブルが崩壊すると一転して浪人生の数は減少します。家計が厳しくなることで、教育にかけられるお金が減ったのです。とはいえ、大卒でないと就職が厳しいという実情は変わらないので、受験生たちは“現役で入れる大学”を目指すようになります。こうした浪人生の減少が、予備校ビジネスに大きな痛手を与えたのは間違いないでしょう」(同)

バブル崩壊による浪人生減少と、オンライン授業の普及で変化する予備校の形

 だが、バブル崩壊による浪人生の減少だけが、今の相次ぐ駿台予備学校の校舎閉校に関係しているとはいいがたいという。

「2000年代以降になってインターネットの普及が加速したことで、予備校ビジネスが徐々に変化していることも考慮する必要があります。それはオンライン授業が定着してきたということですね。実は駿台を含む大手予備校は、衛星中継を利用した衛星授業など、80年代から非対面式の授業は取り入れていました。しかしそれは、あくまで対面授業ができないときのサポートであり、メインではなかった。

 しかし、2020年からのコロナ禍で、期せずして“オンラインでのコミュニケーション文化”が世間一般により浸透したことで、予備校業界でも一気に非対面式で授業をする傾向が強くなった印象がありますね。非対面で授業ができるということは、そこまで校舎を展開しなくてすむということにつながります」(同)

 では、駿台を含む予備校ビジネスは今後どう変化していくのか。

「浪人の数が減少し、大学受験生をメインターゲットに据えていた予備校業界が変化のときにあるのは確かでしょう。ですが一方で、小学校受験や中学校受験の数は今、右肩上がりです。これは、競争率の上がる大学受験時に子供を苦労させるのではなく、中学生の段階でいい進学校に進ませ、その後の大学受験を楽にさせたいという思惑によるもの。こうした傾向が、関東や関西の都市圏の富裕層を中心に増えているので、駿台を含む大手の予備校は、今後こうした層をターゲットに据えていくのではないでしょうか。

 また、今社会人の間で基礎教育を学び直すカルチャースクールなどが人気を博しているなか、予備校業界が大学受験生以外の層を幅広く視野に入れたスタイルに変化していくかもしれません」(同) 

 駿台予備学校の校舎閉鎖は業界の終焉を告げるものではなく、変化の兆しなのかもしれない。
(文=A4studio)

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エーヨンスタジオ/WEB媒体(ニュースサイト)、雑誌媒体(週刊誌)を中心に、時事系、サブカル系、ビジネス系などのトピックの企画・編集・執筆を行う編集プロダクション。
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Twitter:@a4studio_tokyo

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