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片田珠美「精神科女医のたわごと」

国連が日本に要求した「精神科の強制入院の廃止」が非現実的だと考えられる理由

文=片田珠美/精神科医
国連が日本に要求した「精神科の強制入院の廃止」が非現実的だと考えられる理由の画像1
国連本部ビル(「Wikipedia」より

 国連の障害者権利委員会は9月9日、日本に対して精神科の強制入院を可能にしている法律の廃止を求めた。それが理想だし、そうなればいいと私も思うが、現場で診察している精神科医としては、現実にはなかなか難しいと感じる。その理由について解説したい。

 まず、強制入院を可能にしている法律は現在2つある。精神保健福祉法と医療観察法だ。このうち、医療観察法は、殺人、傷害、放火、強盗、強制性交など、強制わいせつの6種類の重大な他害行為を行ったが、心神喪失または心神耗弱と判断され、実刑を免除された者が対象になる。当然、対象者は限られる。

 精神科病院で対象者が多いのは、精神保健福祉法が定める医療保護入院措置入院である。医療保護入院は、精神保健指定医が診察し、精神障害によって医療及び保護のため入院が必要と認めた場合、家族などの同意によって入院となる。措置入院は、精神保健指定医2名以上が診察し、自傷他害の恐れがあると認めた場合、都道府県知事(もしくは政令指定都市の市長)の権限で行われる入院であり、強制力が強い。ちなみに、2016年7月に神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」を襲撃し、19人を殺害した植松聖死刑囚(現在再審請求中)は同年2月に措置入院していた。

 このような強制入院を廃止して、すべての入院を精神保健福祉法で定められたもう1つの入院形態である任意入院にできれば、理想的だ。任意入院は、自らの意思による入院であり、患者さんが退院を希望すれば、精神科医は速やかに退院させなければならない。厚生労働省も任意入院をできるだけ増やすことを推奨している。

病識の欠如

 だが、強制入院をゼロにするのは現実問題として至難の業だ。なぜかといえば、自分が病気だという自覚、つまり病識のない患者さんが少なくないからだ。たとえば、被害妄想を抱いている患者さんである。

 精神医学的に妄想と呼べるのは、次の3つの条件がそろったものだ。

1)  現実離れした内容を
2)  本人が確信しており
3)  訂正不能

 いくら現実離れした内容でも、本人が真実だと信じていて、訂正不能の場合、病識は芽生えにくい。なかには、病識の欠如が診断時の重要な指標の1つになっている精神疾患もある。実際、「ヤクザに追いかけられている」「殺される」「電波妨害されている」などと訴えて警察に駆け込んだ患者さんもいる。また、「食事に毒を入れられた」という被毒妄想のせいで食事を拒否するようになり、ガリガリにやせてしまうこともある。

 厄介なのは、被害妄想を抱いていると「自分がやられる」という恐怖にさいなまれやすく、わが身を守るために「やられる前にやる」という論理で攻撃的になる場合があることだ。しかも、「自分がやられるかもしれないのだから、反撃してもいい」と正当化されやすい。

 幻聴がある患者さんも、病識を持ちにくい。なぜかといえば、目の前にいる相手が話しかけてくるかのようにはっきりと聞こえるからだ。駆け出しの頃、ある患者さんから「先生は、私が聞いている内容を幻聴とおっしゃるかもしれないけれど、こんなにはっきり聞こえてくるのが幻聴のはずないでしょ」と言われて、私は返す言葉がなかった。それだけ明瞭に聞こえてくるのが「死ね」「殺せ」といった言葉だったり、自分の悪口だったりすると、どうしても攻撃的になりやすい。

 医師から入院を勧められた際、それをわれわれが受け入れるのは、やはり自分が病気だという自覚があり、入院が必要と思うからだろう。身体疾患であれば、血液検査や画像検査などの客観的なデータを医師から示されるので、病識を持ちやすい。だが、多くの精神疾患では、そういう客観的なデータが乏しく、主として患者さんや家族の訴えと医師の診察所見にもとづいて診断が下される。そういう事情もあいまって、患者さんは病識を持ちにくい。当然、入院を拒否する事態も起こりうる。

 それでも、入院させなければならない場合もある。たとえば、患者さんが被害妄想や幻聴の影響で自殺願望を抱いている場合、あるいは攻撃的になっている、ときには暴れている場合だ。そういうときでも、できるだけ患者さんを説得して、本人の意思による任意入院に導入しようとわれわれ精神科医は努力する。とはいえ、どれだけ時間をかけても、患者さんに病識がない場合は難しい。

 そういう場合、医療保護入院もしくは措置入院という選択肢がないと、生命を守れなくなる恐れもある。本人が入院を拒否したからという理由で帰宅させて、その後患者さんが自殺したり、重大な他害行為を行ったりしたら一体どうするのか。精神科医や病院が提訴される事態も十分考えられる。

 もちろん、患者さんの人権を尊重するためにも、強制入院をなくすことが理想だとは思う。だが、私自身が精神保健指定として患者さんを入院させる際、患者さんの人権と社会の安全のどちらを優先すべきか迷ったことが何度もあり、その経験から申し上げると、理想論だけで治療はできない。

 したがって、精神科の強制入院を可能にしている法律の廃止については慎重に議論を進めるべきだ。むしろ、わが国の精神医療で長年指摘されてきた3つの問題

1)  人口あたりの精神科病床数が多い
2)  長期入院が多い
3)  病状は安定しているのに、退院後の受け皿がないせいで入院を継続している社会的入院が多い

を解決すべく取り組むべきだろう。

(文=片田珠美/精神科医)

参考文献
片田珠美『拡大自殺―大量殺人・自爆テロ・無理心中』角川選書、2017年

片田珠美/精神科医

片田珠美/精神科医

広島県生まれ。精神科医。大阪大学医学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。人間・環境学博士(京都大学)。フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ。DEA(専門研究課程修了証書)取得。パリ第8大学博士課程中退。京都大学非常勤講師(2003年度~2016年度)。精神科医として臨床に携わり、臨床経験にもとづいて、犯罪心理や心の病の構造を分析。社会問題にも目を向け、社会の根底に潜む構造的な問題を精神分析学的視点から分析。

Twitter:@tamamineko

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