「2月17日、ドナルド・トランプ米大統領が大統領専用車でデイトナ500のコースを走った」
このニュースを聞いて、不思議に感じた日本人は多かったことだろうと思う。秋に再選を目指すトランプ大統領が、民主党候補者選びも白熱するなかで、のんきにレース観戦していることを不思議に思うのも納得する。
ただ、デイトナ500がアメリカ国民にとってどれだけのレースなのかを知る身としては、いささかも首を傾げない。むしろ、再選に向けて周到に準備されたパフォーマンスとして、とても有効だと思えるからだ。
日本より遥かにモータースポーツが国民に浸透しているアメリカでは、大統領とてレース観戦は欠かせない。日本に置き換えると相撲観戦のようでもあり、プロ野球観戦にも似ている。支持率維持にも効果をもたらす。
特にデイトナ500の人気はすさまじい。1周2.5マイル(約4km)の楕円形コースを200周。時速380kmオーバーの猛スピードで500マイル(約800km)を走るこのレースは、全米で放映される。観客動員は100万人、テレビ視聴者は最大で2300万人に達する。人気獲得のためのプロモーション効果は絶大なのである。
そもそもデイトナ500は、アメリカ人が熱狂するNASCAR(ナスカー/米国最大のモータースポーツ統括団体)の最上位シリーズに組み込まれている。2019年は年間約36戦の開催があり、平均20万人がサーキット観戦するというから、まさに国民的なスポーツといっていいだろう。
特徴的なのは、アメリカ南部で特に人気があることだ。ニューヨークのある東地区やカリフォルニアのある西地区よりも、トランプ支持者と無縁ではない南部で人気がある。歴代、共和党が票田として大切にしてきた地区でもある。
ナスカーの統括本部は、フロリダ州デイトナビーチにある。トランプ大統領が休日を過ごす別荘地、マー・ア・ラゴもフロリダ州だ。ナスカーファンの8割は白人というデータもある。つまり、トランプ大統領はナスカーを政治利用しているのだ。
デイトナ500は、トランプ大統領のキャッチフレーズ「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」との親和性も高い。フォードやダッジやカムリが380km超で爆走する。マシンが粉々になるほどのクラッシュも日常的な光景だ。その暴力的な迫力たるや、日本のモータースポーツの比ではない。強いことを美徳とするアメリカ人を興奮の坩堝に落とし込む。
筆者がナスカー観戦を始めた当時、世界は湾岸戦争の最中だった。スタート直前にはサーキット上空にB2爆撃機が飛来し観客が熱狂する、マシンガンを装備した軍用ヘリが低空でホバリングする、兵士が手を振る――。そんな、戦争を美化するような空気が漂った。
今でもナスカーは、軍隊がスポンサードすることもある。かつては「USアーミー」「USネイビー」、そして「エアフォース」「ナショナルガード」のロゴを纏ったマシンが参戦していた。日本に置き換えれば、陸海空軍に加え民兵隊までがナスカーを利用し、入隊を募っていたのだ。
「陸軍と海軍がセッションで炎上」とアナウンスされるという笑い話は余談だが、ナスカーは国民洗脳の場としても有効なのである。
今回、トランプ大統領は、防弾装備された専用のキャデラック「プレジデンシャル・リムジン(大統領専用車)」でレーシングカーを先導した。そして、「スタート・ユア・エンジン」とレーススタートを宣言した。その瞬間、再選を狙うトランプ大統領は、心の中でニヤリと笑ったことだろう。
(文=木下隆之/レーシングドライバー)