「天下りの社長が天下り副社長に禅譲は論外」。森信親金融庁長官(当時)が待ったをかけたという。金融庁長官の後ろ盾を得て、コンコルディアFGの取締役会は全会一致で寺澤氏の退任、横浜銀頭取の川村氏のFG社長昇格、大矢氏の横浜銀頭取昇格を決めた。横浜銀は70年ぶりに“天下りバンク”から脱却した。それまで横浜銀のトップの座は大蔵省(現財務省)トップ経験者の、有力な天下りポストだった。
一方、東日本銀は18年7月、金融庁から業務改善命令を受けた。不適切融資が明らかになり会長に就いたばかりの石井氏が引責辞任した。横浜銀、東日本銀とも統合の立役者の2人が去った。横浜銀の生え抜き組にとって、天下りの寺澤氏の置き土産である東日本銀は“お荷物”以外の何物でもない。横浜銀が東日本銀抜きで千葉銀と業務提携に踏み切った背景を、こう解説する向きがある。
千葉銀が武蔵野銀と提携したワケ
千葉銀は16年3月、埼玉が地盤の武蔵野銀行と資本・業務提携し、「千葉・武蔵野アライアンス」を組んでいる。地銀上位行の千葉銀と地銀中位行の武蔵野銀の提携は、関東地区地銀の再編の副産物だった。
16年、横浜銀と東日本銀が経営統合し、コンコルディアFGが発足した。同年4月、新銀行東京が東京TYフィナンシャルグループ(東京都民銀行と八千代銀行が統合)と経営統合。3行は18年5月に合併して、きらぼし銀行になった。同年10月、常陽銀行(茨城県水戸市が本店)と足利ホールディングス(足利銀行、同栃木県宇都宮市)が経営統合し、めぶきフィナンシャルグループが始動した。
千葉銀と武蔵野銀は関東の有力地銀で数少ない独立行となってしまった。武蔵野銀がコンコルディアFGか、めぶきFGに加わってしまうと、千葉銀は地銀第3位の地位が危なくなる。千葉銀は武蔵野銀を他の陣営に取られないために提携に踏み切ったといわれた。
首都圏のスーパーリージョナルバンク誕生か
横浜銀と千葉銀、埼玉銀行(現在の埼玉りそな銀行)の3行は古くから緩やかな関係を築き、1969年には提携関係の緊密化による「首都圏連合」構想が表面化した。埼玉銀がりそなグループ入りして3行連合構想は消えたが、横浜銀と千葉銀が今回、50年越しに急接近したことになる。横浜、千葉は、いずれも地銀の「勝ち組」と評されている。埼玉の武蔵野銀が加われば、「首都圏連合」構想の復活である。