日米韓ドラマの国際比較
ドラマ好きの筆者による日米韓ドラマの国際比較は以下の通りです。
米国のドラマは、最先端の雰囲気で、話の展開、カメラワークなど、まさに「クール!(かっこいい)」と感じてしまうこと、たびたびです。アメリカは日本の2倍以上の人口、またカナダ、オーストラリア、イギリスなど、ほかの英語圏を加えれば、日本のドラマの視聴対象者との差は10倍では済まないでしょうから、それだけ時間やお金をかけることができるのでしょう。もちろん、クリエイティビティというものを非常に大事にする教育や文化、ドラマに関する歴史や伝統の差も大きいと思います。
一方、韓国ドラマはクールとは対極に位置しています。とにかく、視聴者をドキドキさせる、その先を気にかけさせる。つまり、何がなんでも視聴率を取り続ける。そのためには突然の深刻な病の発症および急回復、偶然が重なるにも限度があるだろうとあきれ果てるほどの出会いとすれ違いなどが満載です。一言で言えば、実にベタベタとした雰囲気に満ち溢れています。しかしながら、こうした雰囲気に筆者をはじめ、多くの日本人およびアジア人が虜になっていることは事実です。
最後に日本のドラマの印象はなんとも表現しにくいのですが、無臭ですかね。大変恐縮ながら、良くも悪くも心に何も響かないものが多いと感じてしまいます。以前の日本なら、韓国ドラマのようなベタベタのモノはお手の物だったでしょうが、豊かになり、それなりに上等になってしまった現代の日本人は「何がなんでも視聴者に媚びるぞ」とはならず、成果第一には行動しなくなってきているように思えます。かといって、米国ドラマのようなクールなものがつくれるかといえば、まだまだ日本のクリエイティビティのレベルは一部の人を除けば高くはなく、“クリエイティビティの民主化”には程遠い状況です。
以上、なんの専門知識も持たない素人の戯言ですが、こうしたことは一般の企業の経営にも当てはまると思われます。歴史的にも極めて中途半端な状況にいる日本人を鼓舞するには、人事評価の仕組みが重要になるのではないでしょうか。
バブル崩壊後、失敗に終わった成果主義人事
バブル崩壊後の1990年代後半、このままではいけないと日本の企業も変革を模索していました。そうした取り組みの中に米国発成果主義人事がありました。
それまでの日本の人事評価制度といえば、営業などの業種を除けば、年齢や経験年数による年功序列型が一般的でした。大雑把にいえば、仕事ができてもできなくても、あまり給料は変わらない。会社と従業員の関係を親と子にたとえる例もよくありました。親は子供のできがよかろうが悪かろうが、差は付けません。それどころか、差を付けるのはむしろいけないことと捉えられています。