一方、成果主義型はまさにその名の通り、成果に合わせた報酬システムです。まず、各自が担当している職務に対して報酬の幅が決められ、その職務の達成度に応じて、給与が支払われます。企業の目的は利益の最大化であり、その利益貢献に応じて給与が決まるというのは実にもっともなことです。通常、人間には個人差はあるものの、がんばり屋の部分と怠け者の部分があり、年齢で給与が決まるとなれば、残念ながら成果を追い求めなくなる場合も多いでしょうから、そういう意味でも理にかなっています。
とはいえ、個々の成果の追求ばかりがクローズアップされると、例えばクラス中が点取り虫ばかりになってしまった場合、そうした組織が全体として本当に高い成果を出せるのかは確かに疑問です。よって、さまざまな工夫が必要になるでしょうが、それでもこうした点のみを強調して、何も改革しないとなれば、まさに怠け者の思う壺です。おおむね既得権者はこうした論調にのっかり、改革を邪魔するパターンが多いものです。
バブルが崩壊し、旧来の制度を一新すべく導入された成果主義人事は、失敗に終わるケースが目立ちました。もちろん、新たな仕組みを定着させるには長い時間をかけて修正を重ね、粘り強く行わなければなりません。しかし、そうしたこと以上に、時代背景的に成果主義人事が成果を基に評価するという本来の意味を忘れ、単なるリストラの材料にされてしまったケースが多くありました。つまり、降格や減給の手段にされたにすぎなかったわけです。
こうした背景のもと、成果主義に対してはマイナスなイメージが完全に定着してしまい、現在に至っています。しかしながら、今後、より本格化してくるであろう厳しいグローバルな時代を勝ち抜くために、成果というものを尊ぶ雰囲気が熟成される必要があることは明確であり、そうした人事システムが導入されなければなりません。つまり日本に根強い「悪しき平等主義」からの脱却です。もちろん、公平な機会は与えられるべきでしょうが、その上で出た結果である成果に対して個人がきっちりと責任を取る必要があるでしょう。
ダイキンの“例外管理”
では、日本の企業において、悪しき平等主義を脱して成果を尊ぶ雰囲気を熟成させるには、どのような仕組みが適しているのでしょうか。
8月31日付日本経済新聞に、ダイキン工業の会長である井上礼之氏の興味深い話が掲載されていたので、概要を紹介します。
「日本には資質のある優秀な若者がたくさんいるが、5年ほどで組織の風土に染まってしまう」
「好奇心が旺盛で行動力のある若い人材が失敗を恐れ、新しいことに挑戦しなくなるのは20代後半ぐらいからだ」