東芝、なぜ「優等生」社員はこぞって幼稚な不正に走った?増幅した「悪い癖」
不正会計問題に揺れる東芝は7日、2015年4~9月期連結決算の営業損益が904億円の赤字になると発表した。同社の上期が営業赤字となるのは6年振り。さらに同日、同社は西田厚聡氏、佐々木則夫氏、田中久雄氏の歴代3社長とCFO(最高財務責任者)2人に対し、計3億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
本稿では本連載の前回記事に引き続き、「天下の東芝」がなぜかくも子供じみた不正経理を行ったのか、その理由を合理的に類推してみたい。
思いの共有化
出自の良い大企業である東芝の社風は、穏やかで紳士的・公家的と形容され、その社員は優等生であるといわれている。今回の企業ぐるみの不正会計の背景には、経営サイド(親)からの理不尽なプレッシャーの中で、成績の良い子(社員)はカンニングをしてでも良い成績を取らねばならないという企業風土があったのではないか。これを、優等生といわれる東芝社員の宿命と片づけることは簡単であるが、それでは事の本質を見誤る。
実際、今回の不正会計は、第三者委員会の報告書でも指摘されているが、全社的であるだけに11年に発覚したオリンパス粉飾会計事件よりも深刻である。これは、内部の不都合を皆で隠す日本企業の特質の表われともいえる。言い換えれば、経営者のみならず組織(社員)も内部しか見ていない、いや見えていない典型的な日本企業である。「会社のためであれば善行」という意識も働いたのではないか。「みんなでやれば怖くない」、いや「異論は封殺し、全社でやれば怖くない」という日本特有の「思いの共有化」がありそうだ。日本特有の組織に対する帰属意識がある。
衆議一決
日本的組織における議論の特徴としては、対話(ダイアローグ)の集積ではなく、独白(モノローグ)の連鎖の展開がある【註1】。会議において、相手の発言を受けて行われるはずの次の発言が、相手を特定しない独白であるという経験は誰しもあるはずである。独白の連鎖の結果、各自の「思い」(意見や考えともいえなくはないが)は、「自ず」とあるしかるべき点に収斂してくるのが日本における議論の特徴である。その前提として、日本人は「衆議一決」という予定調和的結果としての全会一致を暗黙の原則としている。
日本的な独白の連鎖が意見の分布状態を示し、そのなかで各自は自分の位置をはかり、自分の「思い」を皆の顔色を伺いながら微修正し、何回か話し合いを行う過程で、その「思い」はしかるべき点に収斂してくる。言い換えれば、「私」が「我々」になるブラックボックスの過程である。繰り返しになるが、それを日本人は衆議一決と言ってきたわけである。