ヒートテックが誘発剤となり、東レは繊維復活を果たしたともいえよう。
●「孤高の繊維死守」ができた要因
脱繊維の風潮に流され、競合他社が次々と繊維事業を縮小・撤退する中で、東レだけがどうして繊維を持ち永らえることができたのだろうか?
その要因は3点に集約できる。
1つ目は、三大合成繊維をまさに死守したことだった。
・帝人がナイロンから事業撤退
・旭化成がアクリルから事業撤退
・東洋紡がナイロンとポリエステルを事業縮小
・三菱レイヨンがアクリルから撤退
・ユニチカがナイロンから事業撤退
と、他の繊維大手がリストラでいずれも歯の欠けたような繊維事業体制になる中で、市場から求められる三大合成繊維の需要量を、自前で生産できる体制を保持しているのは東レだけとなった。これが結果的に東レの競争優位をもたらすことになった。
2つ目は他社のように、新興国勢とガチンコで価格競争しなかったことだ。東レは低価格品分野には目もくれず、高価格品分野に事業資源を集中、売上高より利益率を確保する戦略で繊維を守った。
3つ目は事業改革による「一気通貫体制」の構築だった。従来のアパレル(衣料品)業界のサプライチェーンは、繊維メーカー、テキスタイルメーカー、縫製メーカー、アパレルメーカーと分業化しており、これがアパレルの高コスト要因になっていた。その解決を目指した東レは、00年以降テキスタイル(生地)部門の強化、縫製品部門新設などの事業改革を進め、製糸から製織、染色、縫製まで一気通貫で内製できる体制を07年に整備、「利益を確保できる低コスト体質」を実現した。これが「低価格」が売りのファストリの事業戦略と合致、ファストリとの事業提携につながった。東レはファストリを通じて間接的に強力な販売力を確保したとも言える。
東レのこの一気通貫型繊維事業は、今や同社に安定的な収益をもたらす基盤事業であると同時に、今後の戦略商品として育成を目指している「繊維グリーンイノベーション」などのインキュベーションにもなっている。
●炭素繊維開発に50年を費やす
「痩せ我慢」と揶揄された東レの繊維復活は、最近では経営者の間で「あれこそ東レのDNA」との称賛に変わってきた。しかし、わかったようで実はよくわからないこの言葉で、東レの繊維復活を説明するのは難しい。
東レの日覺昭廣社長は、かつてメディアの取材に対して「当社は炭素繊維にしても50年前から開発を続けている。二十数年前に初めて飛行機の尾翼に採用され、それからさらに実績を積み重ねて、ようやく旅客機・ボーイング787の構造材に全面採用された」と話し、「素材産業は20〜30年の地道な事業努力が生きてくる世界だ。組み立て産業のように『東京がダメなら大阪』と、簡単に取り換えられる世界ではない」と強調している。
この短い話の中にこそ、冒頭で紹介した「歴代トップたちが継承してきた『繊維事業を守る』意思」の解があるように思える。日覺社長は「1つの事業を継続するためには、長期的視野に立った不断の努力がトップには不可欠なのだ」と、本当は言いたかったのかもしれない。
バブル崩壊、リーマンショック、歴史的円高、新興国勢攻勢……。業績不振に陥った電機、重機、造船など主要な日本企業は、決まって業績不振をこれら外的要因のせいにする。そして出てくる対策は、安易なリストラと共通している。その結果、人材や技術が新興国勢に流れ、ますます国際競争力を失っている。こうした企業にとっては、東レの繊維復活を研究することが、再建へ向けたカギの1つになるかもしれない。
(文=福井晋/フリーライター)