BRICsとは、ブラジル(B)、ロシア(R)、インド(I)、中国(C)、南アフリカ(s)の5カ国を指す言葉だ。2001年に投資銀行のゴールドマン・サックスが、2000年代以降に著しい経済発展を遂げる国々として命名。ブラジルはGDP(国民総生産)が36年にドイツを抜き、50年には世界5位の高い水準に達すると予測した。
BRICsは一時、流行語になり草木はなびいた。国内市場の成長が望めない日本の企業はBRICsの果実を期待してブラジルに進出していった。
日本企業がブラジルに殺到したのは今回が初めてではない。1970年代、住友、富士、第一勧業、三井、三和といった当時の都市銀行や地方銀行までがサンパウロに支店を構えた。ブラジルに進出した日本企業を資金面でサポートするためだ。日本企業のブラジル進出はラッシュと呼べるほどすさまじかった。
だが、ブラジルは80年代に通貨の暴落からデフォルト(債務不履行)に追い込まれた。90年代にはインフレ率が1000%を超える異常なハイパーインフレに突入。ブラジル経済は大混乱に陥った。横並びでブラジルに進出した日本企業は、一斉にブラジルから撤退した。
そんな事実はなかったかのごとく、BRICsとして大ブレイクが期待できるブラジルに再び2000年代後半から日本企業は横並びで進出していった。だが、BRICsのほかの国と同様、ブラジルも資源価格高騰が引き起こした一時的なブームにすぎなかった。
資源価格の下落に内需の不振が重なり、ブラジルの15年のGDP成長率は6年ぶりにマイナスに沈んだ。BRICs賛歌は、うたかたのように消え去ってしまった。ブラジル経済は「悪夢の1980年代に逆戻りする」という指摘まで出始めた。
歴史は繰り返す。横並びでブラジルに進出していった日本企業が一斉にブラジルからの撤退を始めた。
IHI、三菱重工は撤退、川崎重工は損失を計上
IHI、日揮、ジャパン マリンユナイテッドの3社は、共同で出資するブラジル最大級の造船所から撤退する。3社は、現地に設立した特定目的会社を通じてブラジル最大級の造船所、アトランチコスルに対し、14年までに3社で計140億円程度を投じた。しかし、保有する33%の株式すべてを現地の建設会社2社へ4月中旬に譲渡し、ブラジルの造船事業から撤退する。IHIは15年3月期で特別損失290億円を計上している。