築地を元気にするために寿司店を開店。年中無休・24時間営業は日本初だった!
現在は外国人観光客で賑わう「世界の築地」だが、01年頃まで、築地場外は年間来客数150万人を切るなど深刻な状況だった。「築地を元気にしてくれ」と相談を受けた木村社長は、日本初の年中無休・24時間営業の寿司店「すしざんまい本店」を開業。
当初はトラック運転手などの来店を見込んでいたが、当てが外れて素通りされてしまう。そこで、銀座のママ3人ほどに「アフターで客を連れてきてほしい」と連絡すると、大勢の客を連れて来店。評判が瞬く間に広まって大繁盛し、35坪・40数席の店で年間売り上げ10億円を誇るまでになった。
ほかにも、木村社長の豪快伝説は枚挙にいとまがない。
「過去には『弁当』『カラオケボックス』『レンタルビデオ』など、約90種類のビジネスを手がけていた」
「中学卒業後は航空自衛隊第4術科学校生徒隊に入隊、F104のパイロットを目指していた。大検に合格して航空操縦学生になるための資格を取得。事故で目を患ったことでパイロットを断念し、退官。その後、挑戦した司法試験では択一式試験に合格するも、学費を捻出するために百科事典の訪問販売などのアルバイトに精を出しすぎて、断念した」
「文豪・ヘミングウェイが始めたカジキマグロ一本釣りの大会『ヘミングウェイカップ世界大会』(03年)で銀賞を獲得」
「電話帳や住所録は持たず、スケジュール帳も利用したことがなかったが、それは『電話番号や住所、名前はすべて記憶していたから』らしい。現在は秘書が管理しているが、若い頃はとてつもない記憶力を誇り、今も海外の全然知らない言語でも現地に3日もいれば会話できる」
「実家は貧しかったが、幼少の頃、祖母からもらったペットのうさぎを繁殖(餌は雑草で原価ゼロ)させ、売り歩いて家計の足しにした」
「キューバに行った際、政府関係のパーティーに招かれ、フィデル・カストロ前議長にもマグロの握りを振る舞った」
こんな波瀾万丈な人生を送るマグロ大王だが、冒頭の「海賊被害をゼロにした」という一件に関しては、賛否両論だ。しかし、いくら資本があり、国際情勢の知識や情報があり、動く気持ちがあったとしても、実際にここまで行動する人が何人いるだろうか。
とかく「危ない橋は渡らない」人間が多いなかで、企業のトップ自ら危険な海域に行き、海賊と直接話をするなど、かなり無茶ではあるが、かえって面白いではないか。偉そうに語るだけの経済人に、こんな行動が取れるだろうか。現代ではなかなか出会えない、無鉄砲な良い話だ。そう感じたからこそ、多くの人々は木村社長を「マグロ大王」と称えているのである。
(文=編集部)