のりのきいたワイシャツにピカピカの革靴、そして、靴擦れだろうか、少し履き慣れない様子で歩く若者たち。ちょっと大きめのトートバッグに、明るめ清楚メイクの女性など、この時期はいかにも「新生活を始めました」という人たちを街中や電車内で見ることができる。
春は、まず別れがあり、そして新たな出会いが待つ。そう約束されていたはずだった。しかし、5年前の3月11日、卒業シーズン真っただ中での予期された別れだけでなく、予期せぬ別れを連れてきたのが東日本大震災だ。
「看護師の専門学校への入学が決まっていて、入学金もすでに支払っていました。でも、あの日から父が帰ってきません。家がなくなってしまい、働き手の父も亡くした。あの時から、機能はすべてストップ。体育館に身を寄せる中で、私1人が地元を離れて学校に通うなんてことはできませんでした」
そう語る日向さん(仮名)は、学校に1日も通わず、地元で残された家族と過ごすことを決断。現在は、地元の岩手県釜石市で介護ヘルパーとして働いている。
「東日本大震災の被災を見て、日本中で誰もが『何かできないか』と思ったはずです。私たちも、その思いの中で、子供たちに夢を諦めることだけはしてほしくないと考えました」(ロート製薬代表取締役会長兼CEO・山田邦雄氏)
去る3月10日、「みちのく未来基金」の記者会見が、東京都内のロイヤルパークホテルで行われた。
みちのく未来基金とは、11年10月にロート製薬、カルビー、カゴメの3社が合同で立ち上げ、その後、趣旨に賛同したエバラ食品工業が加わった奨学金事業である。
前述の日向さんの言葉は、同会見の中で語られたものだ。震災発生から5年がたち、復興事業の見直しなども行われて「一区切り」といった空気も流れ始めている。今年の震災関連のテレビ番組は軒並み低視聴率で、関連書籍などの売り上げは低迷、震災関連の出版物は年々減っているのが実情だ。
しかし、現実はいまだに仮設住宅に住む人が多く、復興住宅への入居も少数である。というより、津波で大被害を受けた沿岸地区では、ようやくかさ上げ工事が本格化してきたところだ。
そう、5年たっても、まだまだ「大震災」は終了していないのである。
みちのく未来基金を一言でいえば、「震災遺児を対象とした、返済義務のない奨学金制度の運営団体」である。年間300万円を上限として、両親もしくはどちらかの親を震災によって亡くした子供に対して、大学や短大、専門学校などの学費が卒業まで給付される。
広く一般(企業・団体・個人)から寄付を募り、人件費など運営に関する経費は前述の4社で賄うため、寄付のすべては奨学金として子供たちの支援に使われる。
年間最大300万円の完全給付を20年以上継続
3月18~20日の3日間、宮城県仙台市の東北工業大学八木山キャンパスで「みちのく未来基金 第5期生の集い」が開催された。これは、その年に同基金を利用して進学することが決まった新学生たちのイベントであり、12年の第1期生から毎年行われている。
18日には約80名の在籍生が準備のために集結し、翌19日には4月より進学する5期生90名(3月16日時点)のうち68名が参加。メインの20日には、基金のサポーターや関係者を迎え、総勢370名が参加して5期生のための「門出の会」、卒業生による「旅立ちの会」が開催された。
門出の会では、5期生が1人ずつ学生生活に向けての抱負や将来の目標について、力強く自分の言葉で語り、「旅立ちの会」では、社会人デビューする21名の卒業生が抱負を語った。その中には、「生まれ育った故郷である被災地の復興に尽力していきたい」という声も多く聞こえてきた。
そして、このイベント、迎え入れる側の基金スタッフ以上に、回を重ねるに従って在籍生たちのボランティアとしての関わりが増えているという。基金を受けて学んでいる(学んでいた)震災遺児による、これから支援を受ける震災遺児のためのイベントへと変貌しつつあるのだ。
「私たちスタッフが、ボランティアをしてくれる在籍生たちに『ありがとう』と言われるんです。本当は、私たちのほうが言わないといけないのですが。でも、『いつもありがとう』と言ってもらえて、この仕事をやっていて心からよかったと思いました」
そう語るのは、業務執行理事の末田隆司氏(カゴメ)だ。準備段階から在籍生が関わりを持ってくれるため、震災遺児の輪を広げるにもイベントは良い機会だという。また、このようなイベントを通して、奨学金という物的支援だけではなく、心の交流にもつながっていると感じ始めているそうだ。
同基金は、今年で誕生から丸4年。専門学校の卒業生は輩出していたが、大学の卒業生は初めてであり、今年から新しい足跡が刻まれたのである。
「この基金では、学費に対して年間300万円までを完全給付します。条件は、両親もしくはそのどちらかを震災で亡くしてしまった震災遺児で、進学先に合格しているということだけです。
被災の大きかった東北3県だけではなく、『東日本大震災で』ということなので、実は広島県にもその対象となる方がいることがわかり、支援の対象となりました」(末田氏)
広島から出張中に震災が発生、親御さんが他界してしまった遺児がいたことがわかった。こういった場合も、同基金では「支援の対象」と認定される。もし、この記事を読んだ方で、そのような状況にある方、あるいはそのような状況の方をご存じの場合は、みちのく未来基金まで一報してほしい。
「返済必要なし」に涙する親も
「この基金を立ち上げる時、『期間をいつまでにするか』ということが議論の中心になりました。インフラなどは、年々復興していくでしょう。しかし、失われた家族は戻ってくることはありません。そこで、『その時おなかの中にいた子供が、大学や専門学校を卒業するまでが支援期間』と決定しました」(同)
例えば、12年1月に生まれた子供が1年の浪人の後に大学に入学、大学院修士課程が修了するまで(あるいは医学部を卒業するまで)、基金は存在することになる。
つまり、26~28年間、2040年前後まで基金は続くということだ。これほど息の長い支援を、11年の時点で私企業が決定している。
記者会見では、カルビー代表取締役会長兼CEOの松本晃氏が「海外の企業で働いていて感じたのは、日本人には思いがあってもなかなかできないことをいかにかたちにするか。そのひとつが社会貢献」と語っていた。長く被災者に寄り添う同基金は、まさに社会貢献のひとつのかたちを見せてくれたことになる。
「現在は被災地の高校などに連絡を取り、震災遺児と基金を結びつける活動が主になります。進学が決定した時点で、奨学金の給付が決まります。浪人も2年までは対象となります」(松本氏)
奨学金に関する説明は、本人と保護者および教育関係者(担任教員など)と基金担当者による面談で行っている。その席では「給付である」という説明が主になるが、この言葉でピンとくる人のほうが少ないという。というのも、「借りた学費を返せるのか」という思いが大きいからだ。
「給付型なので、返済の必要はありません」という説明をすると、親御さんのなかには驚きとともに涙ぐむ方もいるという。震災後、どれほどの苦労があったのかを感じ取り、スタッフもそのたびに胸を熱くするそうだ。
ニュースを観て「寄付をしたい」という声が続出
現在の基金の課題は「いかに早く、震災遺児を掘り起こすか」だという。福島県で小学生を対象に学習塾を開いている元教師は、「学習に対して前向きで高い能力を持つ小学生が、自分の家の窮状を理解して、早めに進学を諦めるという現状があります。このような給付型の基金については、高校からではなく、もっと低学年から知ってほしいと思いますね」と語る。
特に大学進学を目指す場合、高校を選ぶ時にはすでに進学を視野に入れているケースも多い。基金の存在は、最低でも中学の時点で知りたいはずだ。
「そこが、現在の一番大きな課題かもしれません。あとは、震災遺児を探し出すにも、個人情報保護の観点から、こちらからだけでは限界があります。震災から年月がたてばたつほど難しい。
なんとか、対象者からこちらにアクセスできるような手法も同時に考えていかなければいけない。その方法を模索している最中です」(同)
前述のイベントの模様は、その日のNHK全国ニュースで放送された。5分弱の短い時間ではあったが、それだけでも「寄付をしたい」という新規の申し出や「寄付を続けたい」との声が多く寄せられたという。
「まだまだ、マラソンでは10キロ地点を越えたくらいです。できるだけ地元を歩いて、多くの震災遺児に会って話をしたい。基金のスタッフは、全員がこの思いを共有しています」(末田氏)
震災直後、被災地に本社を移して雇用創出を掲げたものの、1年で撤退した企業もある。いろいろなかたちで被災地に関わりながらも、その意思とは裏腹に、今や姿を見ない組織もたくさんある。
そんな中で、震災から25年以上先を見越した支援を続けるみちのく未来基金。地味な活動ではあるが、この動きと、それによって救われる家族を応援していきたいと思う。
(文=石丸かずみ/ノンフィクションライター)
※後編に続く